アウトドアライフの記録 その2

「アウトドアライフの記録1」の続きです。山歩き、桜や紅葉、季節の風景、古代史の舞台、南の島を尋ねた記録です。

松江の四季 和鋼街道を行く たたらと鍛冶と刀のふるさと街道を行く  その1 2020年9月9日

2020-10-17 10:07:47 | 松江の四季

和鋼街道を行く たたらと鍛冶と刀のふるさと街道を行く  

その1 広瀬町(広瀬町は現在は島根県安来市広瀬町となっています)

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広瀬町では月山富田城に登った後 広瀬町役場(安来市役所広瀬支所)にお邪魔して いろいろ鉄に関するお話を伺いました。

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月山富田城七曲りから見た 広瀬町の町並みです。

 

実は私のご先祖で 私の十七代前の人が 月山富田城に勤めていた 勘定方のお侍で 尼子の殿様に仕えて

毎日富田城へ通勤して、給金を頂き家族を養っていました。

そのおかげで 今の私があるのですが 生きているうちに一度そのご先祖様の通勤した道を歩いてみたいと

思い続けてきました。

そして今日あるいたのです。詳しくは

「島根の山を歩く」に載せています。http://yochanh.sakura.ne.jp/shimanenoyama/shimaneyama1.html

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富田城の本丸から二の丸越しに 広瀬町の町並みを見たところです。

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広瀬町のまちから月山富田城をみたところです。

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話は変わりますが我が家に伝わる日本刀です。

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警察の許可証更新時に 島根県教育委員会の鑑定があり、教育委員会の人が

「広瀬町に住んでいた 雲秀という刀匠が昭和の初期に作った刀で、これは郷土の宝です。

大切にしてください」とおっしゃいました。

 

そこでいつかは広瀬町に行き 雲秀の事を聞きたいと思っていました。

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この後 下山してから広瀬町役場へお邪魔して要件を言うと

文化財課へ通されて 主査の方がご親切にいろいろと教えてくださいました。

 

その方は 元和鋼博物館の学芸員をされていた方で 道理で鉄に詳して方でした。

突然訪ねた旅行者にご親切に説明していただきありがとうございました。

このあと その方に教えて頂いた 鉄の道を走り踏鞴の町奥出雲町へ向かいます。

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刀剣の町 広瀬町

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戦前は 広瀬町に刀剣製作工場が2社あったそうです。

一つは「出雲刀剣株式会社」でこれは帝国陸軍が創設したもので もう一社は

「村上刀剣株式会社」でこれは 帝国海軍が設立したものだそうです。

陸軍と海軍は仲が悪かったので 別々の工場を作ったそうです。

 

そして雲秀さんの事もいろいろと教えて頂きました。

広瀬町は今も有名な鍛冶屋さんが何軒かあるそうです。

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これは広瀬町にある 有名な「鍛冶工房 弘光」さんのホームページです。

今もいろいろと刃物を製造されています。こちらが そのサイトです。

https://kaji-hiromitsu.com/

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広瀬町西比田 金屋子神社へ

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広瀬町の町並みを出るときれいな棚田が続きます。奥出雲の亀嵩「かめだけー松本清張の

砂の器の舞台となったところです」へ向かう道です。

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たたらと鋼の神様が シラサギに乗りこの地の桂の木に降り立ち この地にたたら技術を広めたとされています。

踏鞴(たたら)には 火災から高殿を守る神、炉に風を送る神、方位を守る神、と「たたら製鉄」には多くの

神様たちが参加したと言われています。

 

この神様が一緒だと質の良い鉄が産み出される、と「たたら師」たちの間に金屋子信仰が起こり、たたら場には必ず

金屋子神が祀られ、「桂の木」が植えられました。


 その後、たたら集団の拡散と共に全国に広まり、現在では1200社を数える金屋子神社の総本山だそうです。

春秋の大祭には、鉄工関係業者をはじめ県内外の参詣人が多く訪れているそうです。

 

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金屋子神社の神門をくぐります。

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正面に立派な拝殿があります。

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本殿はさすがに「大社造り」です。

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建物の説明看板です。

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神社に奉納された 踏鞴から出た 鉧(けら)です。

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金屋子神社の隣には 金屋子神話館があります。

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金屋子神にまつわる神話をいろいろと説明するモデルがあります。

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金屋子神はシラサギに乗ってこの地の桂の木に降り立ちました。

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踏鞴の説明看板がありました。

踏鞴だけでも20~30人以上の人が働き、そのほかに砂鉄を採取する人、運ぶ人、木炭を作る人、運ぶ人

などを入れると大きな経済体ですね。

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その2へ続く

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コメント
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