『そぞろ歩き韓国』から『四季折々』に 

東京近郊を散歩した折々の写真とたまに俳句。

翻訳  朴ワンソの「裸木」73

2014-07-29 12:25:34 | 翻訳

 

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翻訳  朴ワンソの「裸木」73

 

               259頁2行目~263

 

 私は母のうわごと避けて向かいの部屋へ来た。そして病人が回復しているので一度に疲労が襲ってきた。

 

 窓の外には雪が明るくなってきたが、雪のような装いが沼のように私を吸い込んだ。 

 

 目覚めたのが何時なのか見当もつかないまま、私は漠然と正午に違いないと思った。

 

 病人のために重湯でも煮ようかと思って台所へ降りていって、板の間にふらふらと座り込んだ。全身がだるかった。

 

「今度は私が寝込みそうだけど」

 

 私は母の看護を受ける自分がなかなか想像できなくて、苦笑してしまった。

 

 居間の母はあまりにも静かだった。私は用心深く額に手を当てて、ひやりとした戦慄を感じた。あまりにも冷たかった。不吉な予感で慌てて胸を広げて 心臓のあたりを手探りした。心臓がかすかに打っているようでもあり、ひょっとしたらとっくに止まってしまっていたかもしれない。

 

 私は大門を蹴って、町へ飛び出して病院に向かって力いっぱい駆けようとしたが、気持ちだけでしきりに下半身がわなわな震えるようで、なかなか前に行かなかった。             

 

 ふらふらとかろうじて路地の入り口を抜け出た時だった。

 

「やあここでキョンアちゃんと会うだろうと思って」

 

 テスの兄嫁だった。私はそのまま通り過ぎようとした。

 

「ねえ、私をちょっと見て、へへへ、今ちょうどキョンアちゃんのところを探していく所なの」

 

「どうして?」

 

「どうしてかって? 結婚の話をしようとして。テス坊ちゃんはどうして急ぐのとなかなか教えてくれないのを、私が強引に話をつけて、やっとこの近所だとわかって探していたんだけど、探せなくても、このへんにいたら、こうして簡単にキョンアちゃんに会うだろうと思った。へへへ」

 

 彼女はとんでもなく出っ張った歯をむき出した。私が恥ずかしがっていると思っているようだった。

 

 やぼったい黒い外套の下に真っ赤な絹のチマ(韓国式のスカート)が出ているのが野暮ったいけれども、親近感が呼ぶ素朴さがあった。 

 

 私は突然今の私にとって医者よりも彼女が必要だと感じた。どんな理由もない直感だった。

 

「助けてください」

 

 私は彼女のざらざらして大きい手をむんずと掴んだ。

 

「何なの?」

 

 彼女はいつかのようにざらざらした掌で私の手の甲を満足したようにこすりながら尋ねた。ざらざらしているが、寒い天気でも温かい体温を失わない手は、頼もしかった。

 

「いっしょに来てください。人が死にかかっています。私の母です」

 

「何? 何ですって?」

 

 彼女と私は手を握ったまま、速く走った。彼女に引っ張られて私の足にも力が生まれた。

 

 彼女は走りながらも少しも口をつぐまず、私にいろいろ促して聞いているようだが、私は一つも耳に入らず、適当に首を横に振ったり、縦に振ったりしているばかりだった。

 

 外から走ってきたせいだろうか。昼間の居間が洞窟のように薄暗かった。私は片隅に退いて目だけぱちぱちさせた。

 

 彼女は躊躇せずに母に近づいて、始めは

 

「叔母様、叔母様、しっかりしてください。はい? 叔母様」

 

と耳元でありったけの声で叫んだ。

 

 彼女の〈叔母様〉という奇抜な呼び名で、私は数日間の緊張感がさっとほぐれて、微笑まで浮かぶところだった。

 

 母の返事がないと、彼女は医者よりも巧みに脈をとって、胸を広げ、自分の耳を心臓の近くに当てて見てから、まぶたをひっくり返してみると、厳粛に宣言した。

 

「臨終ですよ」 

 

 頭の隅まで掛け布団がかけられた。

 

「私が一足遅かった」

 

 少し前に来て臨終を見守るのが遅かったというのか、自分が母を生かすことができたが遅かったというのか、はっきりわからなかったが、彼女はその言葉を〈臨終ですよ〉というぐらい厳粛に言った。

 

 私は彼女に対して申し訳なくなるほど悲しくなかった。

 

 母は嫌っていた娘のところから気楽な息子のところに                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                    ひょいっと行ってしまったのだ。それだけのことだ。私はただちょっと疲れた。それだけだった。

 

 テスの兄嫁はまるでこんな忌まわしいことのために、生まれた人のように、巧みにまた得意になって〈叔母様〉の葬儀を一手に引き受けた。

 

 やぼったい真っ赤なチマをすぱっと脱ぎ捨てて、気安く母の灰色のチマに着替えた彼女は、内外のことに奔走して、迅速に処理しにでかけた。

 

 私は茫然と傍観するだけで、大小のお金の出し入れだけ管理していたが、それもまったく彼女に委ねてしまった。

 

 釜山の本家に電報も打って、絵描き達にも、テスにも死亡通知が行った。

 

 ソウルに残っている親戚―大体は老人達―にも通知が行って、70歳を超えた大叔母のお祖母さんがまず一番に来て、晩からは絵描き達まで集まった。

 

 棺の安置所が用意され、台所では大小の釜からスープが煮え、甕には白濁したマッコリがなみなみとあふれた。

 

 町内会から幾人かが徹夜をしようと来て、馴染みのない男達が長く使われていなかった客間で賭場を開帳した。

 

 家の中がことごとく香ばしい匂いと人々の高い談笑の声で活気にあふれた。

 

 私は母の死の直後のこんな活気が未だになじめなくて、活気とは縁の遠い北窓の外の木を眺めて一人きりで湿っぽい無常観に浸った。

 

〈お母さんはとうとうお兄さん達のそばに行ってしまったんだ〉

 

 母が生前少しも生に執着したことがないせいだろうか。母の死後にも別にその痕跡がなかった。故人を思わせ、故人が惜しんでいた物や故人がしたことなんかが少しも残っていない喪中の家に、故人が一度も見たことのない〈お姉様〉が騒々しくのさばっていた。

 

 母はひたすら自分が認知したことがない〈お姉様〉によってしょっちゅう〈叔母様〉と呼ばれていたが、もちろんそれが母の生前の素顔であるはずがなかった。

 

 大叔母のお祖母さんもどういうお姉様かと尋ねる前に、まずそう呼ぶことが気楽なまま、彼女を〈お姉様〉と呼んで、だんだん客間の酔客達も、「お姉様、ここにマッコリを。お姉様、ここに鍋料理を」と言うようになった。

 

 私も何気なく〈お姉様〉といつも言った。まるで母が以前に使っていた台所の女の人を〈お姉様〉と呼ぶように呼んだうえに、彼女はびっくりしながらもあえてお姉様と呼べといった。

 

「まあ、いやらしい。誰かが聞いたらどうしよう…私にはお姉様というのよ。わかった? ちぇちぇ、ただ一歩だけ私が早くても、お母様が恨みなく逝かせてあげることなの。長女を嫁がせられなくて、瞑目したお母様の気持ちがどうだったでしょうか」

 

 彼女はぐすっと泣きながら、母の不透明なチマの裾に涙なのか鼻水なのかを拭った。また時折、喪中の家で泣き叫ぶ声がしなければ、他人が悪口を言うからと、アイゴーアイゴーと上品に泣き叫んだ。彼女の泣き声は力強く物悲しくて、横の人々までもひとりでに涙が湧いてきた。

 

 私もそんな彼女の音頭で何度か目のまわりを濡らしたが、純粋に彼女の泣き声の効果であり、母の死とは関係のない涙だった。

 

 葬式の準備は隙間なく進んだ。母は、本家から送られてきた生活費と私が稼いできたお金で米を買うほかは、ほとんど使うことがなかったからで、本家から来るまとまったお金を待つこともなく、余裕をもっていろいろなことの支払いができるようだった。

 

 ただ明日が3日目でも3日葬をするか、5日葬をするか決められなかった。釜山からまだ誰も上京していなかったからだ。

 

 準備は3日葬を前提として進んでいたので、皆大門だけを眺めていた。

 

 オクヒドさんが夫人を先にして入ってきた。他の絵描き達は昨日から客間で一斉に騒々しい弔問客の役割を果たしていたが、彼には死亡通知が遅く届いたようだ。

 

 私はとても不器用に喪に服していたが、オクヒドさん夫婦の弔問もとても不器用だった。特に彼女は何も言わずに口だけ尖らせていて澄んだ目が潤んだ。

 

 黒い外套の下に黒いチマがうかがえる黒い装いの彼女は、むしろ私より更に蒼白だった。しかし、もちろんテスの兄嫁のように泣き叫ぶことはなく、涙がにじんだ目を天井のあたりに向けて、外套と同じ材質のショールを脱いだ。

 

 白い襟と優雅な首が現れた。私は彼女に体を投げかけた。そして初めて悲しくてたまらなくなって慟哭をした。

 

「どうしてこんなことに…」

 

 彼女もむせび泣きながらかろうじて一言言った。私はしばらく激しい慟哭に沈みながら、ぽつりぽつりと、

 

「私のせいだったんです。私のせいなんです。あの時なんじゃないですか? 私が小母さんの家で泊まってきた日、母は夜中、あの路地の外で震えながら私を待ち続けました。老人があの寒い晩に、それで 急性肺炎になってそのままそのまま…」 

 

 私は再び泣いた。

 

「そうだったの。本当にそうだったの」

 

 彼女は私の背中をさすった。彼女は他の言葉もかけず、彼女の柔らかい手で私は十分に慰められた。

 

「そうだったの、ちぇちぇ」

 

 お姉様がまた泣き出しそうな声をだして、チマのひもで涙を搾り出したようだった。

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