『そぞろ歩き韓国』から『四季折々』に 

東京近郊を散歩した折々の写真とたまに俳句。

翻訳(韓国語→日本語)  僕たち(私たち)の翼2

2022-02-19 21:57:01 | 翻訳

趣味の韓国語学習サークルで取り上げた短編小説です。営利目的はありません。

著者:チョン・サングック    生年月日:1940年3月24日

僕たちの翼 2

明後日は父が家に戻ってくる日だった。僕は母にばれるのではないかと自分の部屋へ戻った。ツホは居間で寝ていた。僕は息を殺して母が居間へ入っていく音を聞いて、長く続く猫の悲鳴を聞いていたがそのうち寝てしまった。夢の中でも僕は引き続いて猫の鳴き声を聞いた。僕は夢の中のその猫の鳴き声で結局目が覚めてしまった。しかし、既にその時猫の鳴き声は聞こえなかった。僕は怖さを我慢して寝床から起きてこっそり裏庭に回って行った。月の光が練炭物置まで射し込んでいた。そこに猫がだらっと伸びたまま吊るされていた。僕が傍まで近寄っても猫はそのまま微動だにしなかった。死んだんだーと思いながら部屋から持って行った髭剃りを取り出し、猫が吊るされた紐の中間ぐらいを切った。そしてその次の瞬間僕はそこに座り込むほど驚いた。ぷつんと濁って鈍い音を出して地面に落ちるものと予想したのとは違って何の音も聞こえなかったのだ。猫は地面に落ちなかった。地面に落ちたのではないかと思ったが、いつの間にか奴はニャオーと長くはっきりと1回鳴いて流れるように僕の目の前から消えてしまったのだ。

 「誰が猫を助けてやったんだい?」

 朝母がツホと僕を呼んでとても落胆した声で尋ねた。母の顔は冷たく険しかった。目にはめらめらと殺気のようなものが燃えていた。ツホが鼻水をごくんと飲み込んで僕の顔を眺めた。僕はツホの顔をまっすぐ見ることができず、すぐ視線を外してしまった。

 「ハノや、お前がしたのかい?母の声は刃のように冷たかった。僕は身震いした。

 「僕が何をしたというんですか?」僕はわざとぶっきらぼうに言った。

 「じゃ、今回もまたお前がしたんだね?」母がツホの胸倉を掴んだ。ツホが胸倉を掴まれたまま母の顔をその大きい目ではっきりと眺めて、「それ、僕の猫だから。」胸倉を締め付けられたまま不明瞭な発音でもごもご言っていたが、僕の方をちらっと見た。僕はびくっと体を震わせた。

 「この馬鹿!」母がツホの胸倉を突き出した。「お前、死んで私も死のう!」ツホをずるずる引きずって母は台所まで行き、包丁を捜してツホの首に当てた。ツホが母に体を預けたまま目を閉じた。母がツホの胸倉から手を離し後ろに押して投げた。ツホの体が台所のセメントの床に転がってのけぞって倒れながら頭が階段の角に鈍い音を立ててぶつかった。始めの数分間ツホは泣かなかった。母が抱えてゆすぶっても顔を少し歪めるだけで何も言わなかった。しかし、しばらくするとツホはとても弱弱しい声でしくしく泣き始めた。それはあたかも猫の鳴き声のようにか細いながらも切迫した感じを与える、そんなものだった。ツホは日中に1回吐いた。そして頭が痛いと横になり起きなかった。母がツホを抱いてわっと泣き出して遂に近くの病院へ行った。その病院では総合病院へ行き診察を受けなさいと言った。総合病院は既に外来を受けない時間だった。

 次の日午前、授業中だが担任が僕を呼んだ。家に急いで帰れという話だった。母が僕を待っていた。ツホは座って玩具を持って遊んでいた。僕はひとまず安堵した。

 「どうしたの、お母さん、お母さんが学校に電話したの?」

母がよそ行きの服を着て出かけようとしながら言った。

「ツホと家で留守番していなさい。お父さんが怪我をしたそうだ。」

母の目からぼたぼた涙が溢れた。

父が運転していたトラックが人をひいて山裾の急斜面でひっくり返ったのだ。父は額にガラスの破片が一つ突き刺さっただけで他の所は無傷だった。問題は父の車にひかれた人だった。病院で全治6か月の診断が下された重傷だった。全治だとは言っても1本の足を切断しなければならないところだった。その重傷を負った人の家族が次の日に家に集まってきて修羅場を繰り広げた。父は病院にいて母は避難した。

ツホはその日もお腹を握ってもぞもぞ這っていたが朝食べたものを吐いた。親父さんが入院した病院に連絡しろ、親父さんじゃなく他の家族を出せー集まってきた人々は喚いた。僕は惨憺たる心情で彼らを引き受けなければならなかった。1日中耐えた人々が夕方に退去するや、僕は緊張を解いてうとうと眠りに落ちた。夢の中で猫の鳴き声を聞いた。その晩僕をだまして逃げてから一度も姿を現さなかったその猫が、現れて首に巻かれた紐をほどいてくれとニャオニャオ鳴いた。

 父の車にひかれた人の治療のために僕たちは家を売りに出さなければならなかった。壊れた父の古いトラックは何の足しにもならなかった。頭に包帯を巻いたまま父は、母と一緒に顔が死んだように真っ黒なまま、あれこれ飛び回った。僕たちは他人の家の四角い部屋を一つ借りて暮らした。父は若く溌剌とした表情を失って肩を落としたまま部屋の中に隠れて暮らした。家を売って解決したから刑務所に行かなかっただけでも幸運だと母は言ったりした。

 母が代わりに稼ぎに出た。子供服を頭に載せ行商に出たのだ。部屋を守るのは父とツホだった。勿論、ツホはその日台所の床に頭をぶつけてから何度も吐いて、頭をくるんだまますぐ死にそうな様子で横たわっていたから、父が事故を起こした、その状況の中で僕の家族の関心の外に押し出されてしまったのだ。さらに大きな変事が生まれないだけでも幸運だった。勿論、父は母からツホが頭に怪我をしたという話を聞いて知っていた。しかし、貸し間の片隅で父は馬鹿ようになり、虚ろな目で家族の誰のことにも関心を持っていないようだった。母は平和市場で取ってきた服を幾種類も包んで顔が真っ黒く日焼けするまで歩き回っても特別な話はなかった。父は自分の敗北について一生懸命考えているようだった。ハンドルを握って自分の力で、不思議などんな力との対決において巧みに耐え抜くことができると自信があったのに、それほど彼の敗北の後遺症は大きかった。彼は深い失意の沼にはまってもがいた。ハンドルを握れない父は屍と変わらずに見えた。僕の学校の成績が急激に落ちても別に関心もなかったし、ツホが血の気のなくなった顔でがりがりに痩せて行っても同じことだった。

 僕は毎晩夢に猫を見た。猫の首に紐がぐるぐる巻いてあった。僕は猫の首からその紐をほどきたかった。息苦しくおしっこをしたくて我慢できなかった。しかし、猫はなかなか捕まらなかった。やっと捕まえたと思えばそれは例外なくツホだった。僕はいつもツホの首をぐっとつかんだまま、目を開けたりした。目を開けても僕はしばらく猫とツホを混同していた。

 「お母さん、ツホを病院へ連れて行ったら。」

 僕はある日母に言った。母が行商を休んで家で放ってあった洗い物を洗濯する日だった。父は外に出かけていなかった。

 「ツホがどうしたの?」

 母が庭の片隅に座って泥んこ遊びをしているツホをちらっと眺めながら言った。しかし、僕は答えなかった。僕は、ツホが正常な発育をしていないことをずいぶん前から知っていた。血の気のない青ざめた顔、徐々に大きく見える目と、いつも不安そうに動いている瞳―そしてツホは骨と皮ばかりに痩せ衰えていたのだ。さらに、恐ろしいことはツホがほとんど1日中一言も口をきかないことだ。ツホは大家の子供たちと絶対に一緒に遊ばなかった。いつも一人ぼっちで庭の片隅で泥んこ遊びをした。手で庭に穴を掘った。そしてその穴におしっこをした。時には大便をして土をかぶせた。大家の女の人が嫌がったけれど、ツホが家で1日にするいたずらと言うのは結局これだけだった。

 ツホについての僕の警告を無視したまま母は相変わらず風呂敷商売にだけ神経を注いだ。糊口をしのぐこと、それ以上に重要なことがあるはずもなかった。父は相変わらず廃人だった。僕は理解することができなかった。父をこのように苦境の沼に落とした、その力は何なのか。父はその日の事故当時の状況のようなことを一度も話さなかった。父が軍隊の輸送中隊にいた当時、選任下士を殺した日の状況を話すように、何か父の口から出てきそうな話が意外にも一言も出てこなかったから、僕は失望していた。

 しかし、父の蟄居は長くかからなかった。衰えていた草の株にもう一度水が上がるように父が元気に立ち上がり始める日が来た。タムシムリの伯母が僕たちの家に度々やってきて騒々しいことに取り掛かってからだった。タムシムリの伯母が家に来る日は母も商売を休んだ。そして伯母と一緒に                                                                                                                                                                         台所の後ろで何かぼそぼそ話し合っていた。彼らは深いため息をついたり、時には大きくうなずき、ある事実について深く同意し認めたりした。僕もこんな暗くぞっとする家庭の雰囲気を僕の幼い頃の記憶から探した。そうだ。祖母が生きていた頃、その頃から呪術師(シャーマン)や占い師が家に出入りした、その時のその鬼気に満ちた気配だった。案の定、僕たちが賃借して暮らすその家に呪術師(シャーマン)が現れ、祭祀を始めた。その祭祀は教会に出席する大家の頑強な抵抗にもかかわらず、強行された。庭にはチマ(スカート)を並べられず僕たちの狭いたった一間で騒いだ。僕は耳を掴んでふさぎ、路地を抜けだして恥ずかしい現場から逃げた。その晩、僕は遠く離れたドボン山の中腹まで登って山中をさまよった。まったく怖くなかった。僕はただツホのことを考えただけだ。ツホを山中に連れて来られなかった後悔が胸を圧迫した。その森で僕はツホの前でひざまずいていたのだ。事実を話さなければならない。ツホや、お兄ちゃんがあの時あの猫を助けてやったんだ。ツホが僕の顔をじっと見る。そして意地っ張りな声で言う。「あれ、僕の猫だよ。」そうだ、お前の猫をお兄ちゃんが助けてやったんだよ。助けてやったんだと。しかし、僕の声は力がない。僕は何も助けてやらなかった。僕は卑怯なだけだ。「あれ、僕の猫だよ。」ツホがまた意地を張って言う。僕はツホとのにらめっこに負けてしまう。悪い奴。殺意が指先に伸びる。僕はツホの胸倉を掴む。小さい楢柏の枝を掴んで体を震わせている自分を発見する。その時になって僕はツホを山に連れてこなくて良かったと思った。

 その日の夕方、その祭祀以後、僕の家に妙なことが生まれ始めた。その最初の変化は父がまたハンドルを握るようになったことだ。たった数日の間に元気に水を吸収した父はその新しい生活のために立ち直った。今回は観光バスを引っ張った。主に外国人観光客を相手とする規模が悪くない観光バス会社だった。嘘のように数日前とは全く違う顔を見せる父だった。母ももちろん風呂敷商売を放り出した。

 また驚く変化は彼らの関心の外に投げられていたツホに対する問題だった。夕立のように愛情を浴びせ始めた。それは決してまともな父母の子供に対する愛情と考える性質のものではなかった。彼らは今まで自分たちが見せていた子供に対する微温的な愛情に対して、懺悔でもするように狂ったような愛情を浴びせ始めたのだ。その対象はもちろんツホだった。

 僕は対象外になって彼らのまともではない変化を深い敵意をもって傍観した。そうだ。僕は相当に敵意を抱かないわけにはいかなかった。ツホと僕は例え8歳違いではあるけれど、いまだに彼らの胸の中の幼い鳥に過ぎなかったからだ。僕は一人で投げ飛ばされることを恐れた。僕は率直に彼らの偏愛に対して我慢できない怒りを焚火の火を起こすように胸に貯めていた。

 ツホに良い服を買ってきて着せた。大家の子供たちも持つことができない玩具が与えられた。ある日僕はツホのポケットに子供大公園の入場券3枚を見つけた。

 「ツホや、お前、子供大公園に行ったんだね?」

 僕が尋ねた。

 ツホが僕の目をはっきり見つめて僕がわざと笑ってやるとうなずいた。そして付け加えた。

 「お兄ちゃんに話しちゃいけないって。」

 僕は鼻でせせら笑った。何か理解するのが難しい陰謀が家の中に広がっていた。その日、僕は月の中間試験を受けて家に早く戻ってきた。部屋のドアを開け放した。

 ツホが暗い部屋に一人で座って何か食べていた。こぶしより少し大きい鶏の丸焼きだった。僕は驚いた。いまだに僕の家は鶏の丸焼きを食べるほど暮らしが良くないことがわかっていた。鶏の丸焼きだけではなかった。僕はツホがこっそり隠れて食べる様々なものを確認した。氷菓子、高い果物、そしてツホが一番好きな果物など口から離れなかった。もちろん僕にもその一部分は回ってくることはあっても、どうしてこんなものを食べなければならないのかーという気持ちの負担のために、楽しく食べることができなかった。

 ツホが大家の庭に立ってバナナを食べていた。まだバナナの季節ではなくとても高い時だった。大家の子供たちがツホを囲んで立ちバナナの皮をむいているツホをじっと見ていた。

 「ツホや、それ、こっちによこして。」

 僕がツホを睨みながら言った。ツホがバナナを後ろに隠した。僕はそれを奪うためにツホの襟首を掴んだ。あまりに軽く掴み上げて気分が良くなかった。しかし、僕はついにそのバナナを奪って塀の外に投げた。ツホが泣いた。その軽い体重ぐらいツホはまだ幼い子供だった。地面に座り込んで地団駄踏みながら泣き続けた。


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