花紅柳緑~院長のブログ

京都府京田辺市、谷村医院の院長です。 日常診療を通じて感じたこと、四季折々の健康情報、趣味の活動を御報告いたします。

之を望むに木鶏に似たり│花便り

2020-07-10 | アート・文化
紀渻子(きせいし)、周の宣王の為に闘鷄を養へり。 十日にして問ふ、 鷄闘はしむ可きや、と。曰く、未だし。方(まさ)に虚驕(きょけう)して気を恃む、と。 十日にして又問ふ。曰く、未だし。猶ほ影響に應ず、と。 十日にして又問ふ。曰く、未だし。猶ほ疾視(しつし)して気を盛んにす、と。十日にして又問ふ。曰く、幾(ちか)し。鷄鳴く者有りと雖も、己變なし。 之を望むに木鷄(ぼくけい)に似たり。 其の徳全(まつた)し。異鷄敢て應ずる者無く、反り走らんのみ、と。

紀渻子が周の宣王のために闘鶏を飼っていた。十日程した時に宣王が、「鶏は闘わせることができるようになったか」と尋ねた。すると紀渻子は、「まだでございます。今や、から元気を張って気負い立っております」と答えた。それから十日程たって又尋ねると、「まだでございます。まだ相手の姿を見、声を聞いただけで、ふるい立ちます」という。それから十日程経って又尋ねると、「まだでございます。まだ相手をにらみつけて気合を入れます」という。それから十日程経って又尋ねると、「ほとんどよろしゅうございます。鶏の鳴くやつがいても、自分は平気でおります。遠くから見ますと、木彫りの鶏のように見えます。完全にでき上りました。外の鶏は向かって来ようとするものもなくて、もと来た方へ逃げ返ってしまうばかりでしょう」と答えた。

(黄帝第二 第二十章│小林信明著:新釈漢文大系「列子」, p125-126, 明治書院, 1967)
(外篇 達生篇 第十九│金谷治訳注:「荘子」第三冊 [外篇・雑篇], p54-55、岩波書店, 2012)






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