花紅柳緑~院長のブログ

京都府京田辺市、谷村医院の院長です。 日常診療を通じて感じたこと、四季折々の健康情報、趣味の活動を御報告いたします。

御社の獅子・狛犬

2020-08-08 | 日記・エッセイ


丹波に出雲と云ふ所あり。大社を移して、めでたく造れり。しだの某とかやしる所なれば、秋の比、聖海上人、その他も人数多誘ひて、「いざ給へ、出雲拝みに。かいもちひ召させん」とて具しもて行きたるに、各々拝みて、ゆゝしく信起したり。
 御前なる獅子・狛犬、背きて、後さまに立ちたりければ、上人、いみじく感じて、「あなめでたや。この獅子の立ち様、いとめづらし。深き故あらん」と涙ぐみて、「いかに殿原、殊勝の事は御覧じ咎めずや。無下なり」と言へば、各々怪しみて、「まことに他に異なりけり」、「都のつとに語らん」など言ふに、上人、なほゆかしがりて、おとなしく、物知りぬべき顔したる神官を呼びて、「この御社の獅子の立てられ様、定めて習ひある事に侍らん。ちと承らばや」と言はれければ、「その事に候ふ。さがなき童どもの仕りける、奇怪に候う事なり」とて、さし寄りて、据ゑ直して、往にければ、上人の感涙いたづらになりにけり。

(第二百三十六段│西尾実, 安良岡康作校注:「新訂 徒然草」, p391-393, 岩波書店, 2016)

<話の展開>聖海上人の御一行が丹波の出雲大社に参られた所、拝殿前の獅子と狛犬が後向きに安置してあった。御一同、御覧ぜよ、さぞかし御由緒があるに違いありませんぞ!感涙にむせぶ御上人様は思慮深げな神官にお尋ねになった。すると神官は、仕様のない悪ガキどもの仕業でして、と言うなり元の向き合う姿に戻して去ってしまった。
<蛇足の独り言>長年培った色眼鏡を外し、恣意的な我田引水に陥らず、専門家が虚心坦懐にものを観ることは素人よりもはるかに難しい。