花紅柳緑~院長のブログ

京都府京田辺市、谷村医院の院長です。 日常診療を通じて感じたこと、四季折々の健康情報、趣味の活動を御報告いたします。

多紀元悳(元徳)│「医家初訓」

2018-02-10 | 漢方の世界

多紀元悳著「廣惠濟急方」│東都書肆

2018年NHK正月時代劇「風雲児たち~蘭学革命篇~」において、唯一釈然としなかった点は劇中の漢方医の扱いである。『解体新書』の将軍への献上阻止から杉田玄白等の襲撃まで、既得権や権威を守らんと暗躍する“蘭学革命”に対抗する陰険で狭隘な体制派として卑小化されていた。映像としては実に解りやすいプロットである。しかし蘭方医が革命志向、漢方医が保守志向かと言えば然にあらず。元来、臨床医家というものは保守派(政治的な意味ではありません)には程遠い。何故なら古今東西を問わず、其の内に必ず脈々と流れている底流が懐疑精神、実証主義であるからである。

ドラマではヒールとしてあえて皮相浅薄に描かれていた多紀元悳(元徳、もとのり)(1695-1766)(演じた俳優さんは山西 惇)であるが、史実的には医官の最高位で将軍の侍医を司る「奥医師」の重職を務めた漢方医である。字は仲明、通称は安元、名は元徳、号は藍渓、永壽院と称し、『医心方』の編著者、丹波康則を医祖とする本邦漢方医界の名門、多紀家の六代目である。元悳の父、元孝が設立した私塾の医学校、躋寿館(せいじゅかん)が焼失した際に、再建にあたり「私財をなげうって無一文となり、自宅の屋根の修理もかなわず、雨の日は傘をさして食事をし、職人の支払いに窮して往診の駕籠の戸をはずして与え、そのため元日の登城に戸のない駕籠で参上したという。」(漢方医学書集成41, p9)であり、家産を蕩盡するも少しも意としていない。後に躋寿館は幕府の医学教育機関として官立化され医学館に改称され、歴代の多紀氏が館長として教導の任についた。

元悳の著作には、救急医療に関する家庭の医学書、冒頭写真の『広恵済急方』(こうけいさいきゅうほう)、『養生大意』、『医学平言』、および還暦の年に著された、初学者に医家としての志を説いた『医家初訓』がある。時代を越えて『医家初訓』には、遥か後代の木端医師の心を揺さぶる言辞が其処彼処に散りばめられている。汲々と身の保全を計り、私利私略を巡らす頑迷固陋な医家の姿などは何処にもない。

「醫家恥べきの最とする所は本業の拙より外はなし。」(醫家初訓│「杏林叢書・上」, p673)

「凡醫家習業は學と術と相須てなることなり。(中略)醫経本草等の軌範を以て病人に施し、又病人よりして醫経本草の説に照し病證變化の機と薬剤の當否を參伍し、彼是塾案し数年の間歴史経験すること潭心精思九折の功を積て遂に良工たるべきなり。」(同, p678)

「福醫の有様を羨み其行を學ぶべからず。福醫とは醫の名を以て榮利を貪り寛闊に暮す醫賊のことを云なり。」(同, p675)

「衣服居宅の美ならず従騶の盛ならざるを恥とするは、婦女子の恥とする所にて丈夫のあるまじきことと知べし。」(同, p674)

此処に述べられているのは、本業が拙き事を最も恥とし、学問なくて徒に治術を施さず、反対に紙上の空論、文義章句の間に拘泥せず、治術に心を潜めること、以上の治学兼備の姿勢をもって、臨床現場で専一に病人に誠意を尽くすことを志した臨床医家の姿である。それが故に「醫事の上に就て見聞を廣め意智を益すことなし」、「元来根柢なければ益べき智もなく伸すべき才もなく」、「外飾華麗に口給を以て虚名高く」の《福医》を舌鋒鋭く糾弾する激しさは類をみない。一見《福医》とは、受診するだけで病が直る様な御利益のある医師かと勘違いしそうであるがそうではない。口給を以てとは、『論語』公冶長篇「人に禦(あつ)るに口給を以てすれば、屢(しばしば)人に憎まる」と述べられた口舌の徒である。
 学識と臨床経験、教養と人生経験に裏付けられた一連の一家言を拝すれば、大行は細謹を顧みずという剛毅果断、一箪の食一瓢の飲を楽しむ清廉潔白、そして自他ともに極めて厳格な真意一到を併せ持った、多紀元悳の御人となりが彷彿と眼前に浮かぶ様である。最後にもう一度、『医家初訓』の言辞を記して先哲に敬意を表したい。

「殊更醫の徒は初學のときより志を立ること堅固にすべし。醫の志を立るとは、忠孝仁慈を本とし治學兼備の良工となり、上は君父の身を安じ下は衆庶の疾を救はんと心を専らにし意を一にするを云なり。」(同, p671)

「人は萬物の霊にして人の命より重きはなし。其重き命を司る任なれば、凡百技藝の中に於て醫業ほど重きはなかるべし。」(同, p672)

「凡醫家業成りと思ふとも猶足らずとして初學の時の心を忘れず、手巻を釋ず、老至るとも怠るべからず。讀は讀ほど疑ふべきことあり。實に熟したりとは定がたき事多ければ、夕に死する朝までも此年を廢すべからず。」(同, p678)
*「手に巻(かん)を釋(と)かず」は本を離さない、読書を止めないの意味である。

参考資料:

富士川游, 小川剣三郎, 唐沢光徳, 尼子四郎編:「杏林叢書・上」, 思文閣, 1924
大塚敬節, 矢数道明編:近世漢方医学書集成41「多紀元簡」, 名著出版, 1980