花紅柳緑~院長のブログ

京都府京田辺市、谷村医院の院長です。 日常診療を通じて感じたこと、四季折々の健康情報、趣味の活動を御報告いたします。

磯城島の大和の国は言霊の助くる国ぞ

2017-11-10 | 詩歌とともに


  柿本朝臣人麻呂が歌集の歌に曰はく
葦原の 瑞穂の国は 神ながら 言挙げせぬ国 しかれども 言挙げぞ我がする 言幸(ことさき)く ま幸くませと 障(つつ)みなく 幸くいませば 荒磯波(ありそなみ) ありても見むと 百重波(ももへなみ) 千重波(ちへなみ)しきに 事挙げす我れは 事挙げす我れは


磯城島(しきしま)の 大和の国は 言霊(ことだま)の 助くる国ぞ ま幸くありこそ
(万葉集・巻第十三 3253, 3254│新潮日本古典集成 萬葉集四, 新潮社, 1981)

この葦原の瑞穂の国は天つ神の御心のままに、人は言挙げをしない国です。しかし私はあえて言挙げをいたします。この言の通りにどうぞ御無事でいて下さいませ。お障りなく御無事にお帰りの時、荒磯に寄せる波のように、変わりのない御姿でお目にかかりましょうと、百重に千重に寄せる繰り返しの波の様に、私は何度も言挙げをいたします。幾度も言挙げをいたします、私は。

我が磯城島の大和の国は言霊が幸いをもたらしてくれる国です。どうか御無事で。



『万葉集』巻十三《相聞》には、葦原の瑞穂の国、日本が事挙げせぬ国である事を謳った長歌二首がおさめられている。また山上憶良の「神代より 言ひ伝て来らく そらみつ 大和の国は 皇神(すめかみ)の 厳(いつく)しき国 言霊の 幸はふ国と 語り継ぎ 言い継がひけり」で始まる好去好来(かうきょかうらい)の歌(無事に渡り無事に帰還することを祈る歌)が巻第五(894)にある。
 「事挙げ」とは言葉に出して事々しく言い立てることを意味する。「言霊」は言葉に宿る霊力である。神代の昔から、磯城島の大和の国、日本は言霊が幸をもたらす国であり、神の意に背いて人という分を越え、軽々しく事挙げを行えば禍を招くと考えられた。ひたすら人を労わり慮る心で祈念すれば、言霊の力が願いを実現させてくれる国である。おのれは天下に並びなき論客だ、言葉で木っ端微塵に論破したなどと驕れば命運は尽きる。さてこの様に書き綴ること自体がすでに「事挙げ」であろうから、此処いらで筆を置こう。現代は個人に優先権が置かれ、個人の自己主張、生活・人生設計が優先事項とされる時代である。その価値観が果たして真に生きやすい世界をもたらしてくれたかどうかは定かでない。

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