紘一郎雑記帳

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享保の改革と庶民生活 第5部・童門冬二氏講演会・歴史に学ぶ

2010-12-18 06:30:00 | Weblog
童門冬二氏講演会・歴史に学ぶ、より

童門冬二氏「作家」
1927年東京生まれ 東京都庁にて広報室長・政策室長
1979年退職 以後 執筆活動に専念
歴史を題材に数々の話題作を発表 芥川賞 勲三等瑞宝章
著書「将の器・参謀の器」「龍馬と弥太郎」など多数

尚、童門先生のお話とその日に戴きました、童門先生著書
「日本史のツボ」を参照させて戴き投稿致します、

【第5部・享保の改革と庶民生活】

吉宗は「紀州」から連れてきた部下を「お庭番」という
役職に着かせたのです。

この「お庭番」の仕事は、表向きは「江戸城吹上御殿」の
管理人で、植物や池の鯉などの世話をする事になっていましたが
実際には市中に出て、色々な面での「調査」をしました。

改革に対して、どの「大名家」が「協力的」か「批判的」か、
どの「旗本」が「協力的」か「批判的」か、又、
町人は「協力的」か「批判的」か、そして「暮らし」はどうか
などを「庭」に出てくる「吉宗」に報告する役目であり
「吉宗改革」の「進行管理」をする「監視」、
いわゆる目付けでありました。

現在でいう「オンブズマン」の役割を負っていました。

そういう組織によって「目安箱」に投ぜられた物の中から
良い意見を採用し、「環境の改善」そして「町づくり」に
活かす、市民の声を聞いたのです。

たとえば「評判の悪い歓楽施設」については「大岡町奉行」が
どんどん「弾圧」「規制」をして行きました。

すると江戸の町が「窮屈」になり「潤い」が少なくなるので
代わりに「子供連れ」で「家族」で遊びに行ける様な
場所を数多く作りました。

この平成の時代にも残っている「隅田堤」や「多摩川堤」
そして「飛鳥山」などの「桜の名所」です。

又、綱吉将軍・元禄時代の「野良犬の収容所」跡地に
「3万本」の「桃の木」を植え、それが、今も残る
「東京都中野区」の「桃園」という地名の由来なのです。

少しは話が変わりますが「山本周五郎先生」の、
名作「赤ひげ」のモデルの「小川笙詮」という医者が
江戸の町に身寄りのない年寄りが多くいるので
「お上」の力で「施療施設」を作ってくれるなら
我々「町医者」が交代で看病に当たるので、「是非!」と
投書したのが、きっかけで、これが採用され
「小石川養生所」が出来「小川笙詮」が初代所長になったのです。

小川所長は、引き受ける代わりに「条件」を出しました。

そのころは「海外」から入ってくる「漢方薬」が高すぎて
庶民には手が出ず「朝鮮人参」を一本買う為に
「娘」が身売りするなどの「悲劇」も頻繁にあり
これを何とか解決する為に「漢方薬」の「国産化」を
するように「吉宗」は「大岡」に命じている。

「大岡」は「植物学者」の「青木昆陽」を中心にした
「漢方薬・国産化」の「薬草園」を「養生所」の隣に作りました。

現在、その「小石川薬草農園」は「東京大学」の所管で
小石川植物園のは「何百種類」の立て札がついた
「薬草」の苗が、一般公開されている。


安田紘一郎雑記帳
童門先生の講演のお話で、歴史に学ぶは、
今を生きる私にも、大いに学ぶべき事が多い。

何もかも「政治」に頼るのではなく「自身」で
解決する事を模索するべきである。

政治家も「自分」の保身など考えず「国民」の目線で
国民の声を聞く事を実行して欲しいですね。

●しかし、今の政権・政治家には無理でしょう!

政治家は「国民」に「真を問う」事を恐れては政治は出来ないし
国民は「冷静な1票」を投票する義務があると思う。