紘一郎雑記帳

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タイ暴動!危険な現場が好き 不肖!宮嶋大いに語る 第2部

2010-12-10 05:03:52 | Weblog
世界のカメラマン 大いに語る
安田紘一郎雑記帳

【不肖!宮嶋 自転車操業25年】第2部

講師ー宮嶋 茂樹氏

写真家 1961年 兵庫県
講談社「フライデー」カメラマンとして活躍後
フリー 週刊誌を中心に活動
東京拘置所収監中の麻原彰晃の写真や
ロシア外遊中の「金正日」の姿を写したスクープや
世界の戦場を歩く活躍が多い。

【第2部 タイ暴動 危険な現場が好き!不肖・宮嶋】

体力が衰えれば、過激な現場に行くのはやめようと
心に決めていたが、世間で世界で騒がれている場所には
居ても立ってもいられず、その気になってしまうのです。

50歳まであと1年だが、今年も「タイ」の暴動に取材に行きました。

日本人カメラマンが殺されている事もあり、
恐怖心を抑えながら「防弾チョッキ」と「ヘルメット」を
着用して現場にたちました。

バンコクで暴動に桑加わった男が、投擲した火炎瓶の火を
自分で被ったシーンも撮りました。

暴動というのは、大抵それを扇動する「よそ者」がいますが
この男もそうで、腕に入れている入れ墨からも、判りました。

何かをやらかすだろうと、私はその男を注目していました。
案の定、車に爆発物を仕掛けるなど、さんざん暴れまわり
自分の火炎瓶で火だるまになったのでした。

これは、今年の私の代表作の一枚と自負しています。

こういう場面に立ち会うと
「やはり、この仕事辞められない」と思うのです。

だから、私は今でも「危険な現場」へと行くのですね。

人が怪我をしたり、命を落したりするのを、
喜んでいるのでは決してありません。

ただ「カメラマン」として
「これを伝えなければ」との思いだけです。

この「タイ」の火炎瓶で「火だるまになった男」は
軽症ですみましたが、こうした「破壊行為」を
する人間に対して私は同情出来ないのです。

最近は、人の写真を見て、「上手いなあ・どう撮ったのか」と
感心することがあり、その時は「もう引退かなあ」と思います。

これが自分が若い頃は、人の撮影した「良い写真」をみると
腹がたったのですが、歳のせいでしょうか。

フリーランスのカメラマンは、年上の足を引っ張り
年下の若いカメラマンの頭を抑え蹴り落し
同業者に嫌われ、被写体からは嫌がられて、
始めて一人前のカメラマンであり、
「宮嶋が来た!あいつはロクな男ではない」と
言われてこそ本物のカメラマンであるが
「宮嶋さんはいい人だ」といわれた時が引退の時でしょう。

報道カメラマンの習性として
「大きな事件の現場に立会いたい」と思うのは本能の
ようなものですが、そのチャンスを逃がしたり
事件のタイミングを読み違えたりする事も多くあり
その時は本当に悔しい気持ちで人に八つ当たりしたりします。

私の「1985年」の「日航ジャンボ機」墜落事故の際の
事を話しましょう、

続きは「不肖宮嶋大いに語る・第3部」に投稿します。