元ライターの小説家への道

僕もまだ本気を出していません。

癌で死ぬということ。

2019年12月14日 00時47分02秒 | 日々雑感

 2019年12月1日に父が癌で亡くなった。思ったことを記しておく。


・完治したと思っていた父の膀胱癌が、肝臓に転移していると医者から告げられたのは2019年の夏のことだった。肝臓の癌はそれほど大きくないと医者は説明したが、ステージに関して尋ねるとマックスである4と言われた。転移が認められた時点でステージは4になるらしい。父の年齢や癌に罹患した部位のことを考えると、抗癌剤による治療しかないと医者は言った。母は抗癌剤での癌治療を試みたが、結局ダメだった。だからこの時点で、父はもうダメなのだろうなと思った。我が家の家系は癌に罹患して命を落としていった人たちが多い。恐らく自分も癌になるだろう。事実、数年前に癌の卵のような細胞が大腸から見つかっており摘出している。父が抗癌剤で治らないのであれば、自分はもう抗癌剤には頼らない。その見極めをしようと思った。

・抗癌剤治療以外に、放射線などによる治療はできないのかと医者に尋ねたが、それはできないと言われた。理由はあまり覚えていないが「肝臓だから…」というのが理由だったかと思う。その他の治療法がないというのが正しいとした場合、自分たちは抗癌剤を使わないという選択もできた。天秤にかけられた抗癌剤を使うor使わないの選択。結局のところ、どちらの方が長生きできるのか?の賭けに出ることになる。父は抗癌剤を起因とする肺炎で命を落とした。もし抗癌剤を使っていなかったら、いまもまだ生きていたのだろうか。この「たられば」が、決断を迫られたあの日から今日まで思案している。この答えを知るには、自分が癌に罹患した時に、抗癌剤を使わないという選択をするしかないのだろう。

・父がステージ4の癌になったと聞いて、良かったと思える部分もある。人の死は避けられない。大切な誰かの死が交通事故などで突然やってくるよりは、癌に罹患してゆっくりとその日が訪れるのを待つ方が心の準備ができる分、その人と会話をする時間をとれる分、良いのではないかと思う。じゃあ自分が父と満足いくほど会話をしたのかというと否ではある。自分と父は日常的に会話をするような間柄ではなかった。子供の時などほとんど会話をした記憶がない。父に対して知っていることは僅かだから、死の日が近づいてきても聞きたいことが思いつかなかった。それに関して悔やむ気持ちは特にないのだが、そういう関係性しか築けなかったことに関して寂しさを感じる。

・父がそろそろかもしれないという時、病院から4人部屋から1人部屋に変更する提案があった。最後は家族で過ごせるようにという病院からの配慮だ(と思いたい)。しかし俺の頭には病室代のことが頭をよぎった。これはひどく冷たい考えなのだろうか? それとも人間なら誰しも考えてしまうことなのだろうか? 昔見た小津安二郎監督の「東京物語」で、重い病気を患った遠方に住む親を見舞いに行く娘が、喪服を一緒に持っていくべきか悩むシーンがあった。映画の中ではひどく冷たい娘であると描かれていたが、なんだ俺も一緒なのか、いいや映画のケースとは違う、じゃあその線引きはどこなのだろう。そんなことを考えた。

・浄土真宗大谷派。丸に隅立て四つ目。それが我が家の宗派であり家紋であり。こんなことを知らなくても葬儀は執り行われる。浄土真宗大谷派ではお焼香を2度指でつまんでから合掌をする。つまんだ焼香は額には持っていかない。つまんで置くだけ。これは葬式前に葬儀社の人に聞いたので正しい作法だと思う。しかしこのやり方をしている親族はほとんどいなかった。結局、その程度のものなのだろう。この作法だって故人と自身のどちらの宗派にあわせるのかわからない。故人にあわせるなら参列者は事前に個人の宗派を調べる必要が出てきてしまうし、自身の宗派で良いなら、極端な話、なんでもいいということになってしまう。結局、その程度のものなのだろう。

・昨晩、葬儀社の人が家に来て、浄土真宗の色々な話を教えてくれた。浄土真宗では人が死ぬとすぐに仏になると教える。他の宗派では四十九日になってから仏になるらしい。そのため他の宗派では四十九日に魂を位牌に移すためお経を唱えるのだが、浄土真宗はすでに仏になっているので、位牌に移す魂がすでになく、位牌も作らないらしい。

・これを書いている時は喪中である。喪中のため忘年会や新年会は控えている。個人的には故人を思ってお祝いの席を慎むべきなのだろう程度に考えていたのだが、そうではなかった。身内に不幸があった人が会に参加すべきではないのは、周りの人への配慮らしい。もし参加した会の出席者の誰かが帰宅途中に交通事故にあってしまったとする。そうすると身内に不幸があった人が、災いを持ってきたんだと考える人がいるらしい。因習だとは思うのだが、会社の忘年会などの大きな会の場合、そう考える人がいてもおかしくない。だから喪中の人は祝い事の席には参加しないのだ。

・昔の人は喪中になると家から一歩も出なかったらしい。現代の感覚だと閉鎖的で大袈裟だなぁと感じるかもしれないが、その頃は疫病などで亡くなった場合、当然家族もその病気にかかっている可能性が高く、二次被害を防ぐために家から一歩も出ないという考えは、生活を守るために必要な行動だったんだなぁと思う。

・故人に捧げるお線香を立てずに寝かせるのが浄土真宗のやり方。




 


何か思うことがあればまた書く。

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