私と母乳(2)
前回は、長男と次男の母乳のことを述べました。
今回は、その2例を分析してみます。
この2つの経験は、いろいろのことを示唆していると思います。
長男が比較的にスムーズに母乳保育が成功したのは、一つに母乳保育への強い信念があったこと。2つは、母子同室で出産直後から赤ちゃんの泣く度に授乳を続けたので、産後の乳房の膨張がなくて、乳管開通が赤ちゃん自身の力でなされたのです。
私の乳房タイプは、徐徐に乳量を増すタイプですから、ミルクの併用は必要なかったのです。姑の助言を拒否する勇気も確信もありませんでしたから。
このことから、産後の助言者(助産師や、親近者)の指導が問われるのです。
次男の場合
敗戦国が、まばゆいばかりの戦勝国の文化に傾倒するのは、自然の成り行きです。
出産、育児がアメリカ方式一辺倒になったのもうなずけます。
出産は設備の整った産院であり、新生児は新生児室で保護される―というパタンはこの頃から定着したのです。ママ達は豪華な食事と快適な産褥期を産院で過ごし、赤ちゃんは十分な人工ミルクを与えられますから、母子ともにハッピーなスタートなはずです。
ところで、母乳は?
産院にとって、完全母乳に取り組むことは、手間暇がかかり過ぎて、利益のメリットはあまり望めません。それに反して、ミルク会社の競争原理で、ミルクの無償提供はあり、大勢の赤ちゃんに一律にミルクを十分に与えることができたのです。
どちらに軍配があがりますか?
それは現在も続いています。
母乳の確立には、先の長男の項で述べましたように、最初は赤ちゃんの要求に応じて、昼夜を問わずに飲ませ続けなければならないのです。ママ達は直ぐに出る人、そうでない人と個人差がありますが、基本的には出産後から飲ませ続けるにあります。
乳房がボールのように膨張する前は、どんな乳頭も柔らかく、伸びますので、赤ちゃんは吸いついてくれるのです。母乳はまだ生産過程で殆ど出ないのですが、張らないうちから、飲ませる練習を続けねばなりません。
すると、膨張がゆるやかになるので、赤ちゃんは乳輪の奥まで、くわえることができて、吸飲が上手になります。
一般に、いわゆる乳管開通が赤ちゃん自身で可能にします。