9月18日「敬老の日」、町内会の敬老会に出席しました。同じ89歳の仲良し友人との写真です。
日本に90歳台が3百万人(私の記憶違いでなければ)長寿社会であることに、改めて想いを巡らすのです。
社会にお役に立てないお荷物の年代であることに、私は心から喜べないのです。
生産年齢時代に貢献したお礼の年代ではありませんか?と言われても。
生物は自分の生存と子孫繁栄のためのDNAによって一生があるのですから、
あらゆる生物はその役目を終えたときに,死を迎えます。
人間だけにそのご褒美の年代があるのは、思い上がりに思えるのです。
私は昨年1年間歩行困難とからだの衰弱で、生死の間をさまよいました。
老人の生きる苦しさを経験したことから、、「死」ということを私なりに考えました。
もし、あの時点に尊厳死という選択があったら、迷わずに手を挙げたと思います。
私ごときに尊厳死をかたることに、躊躇しますが、
いつか社会が、金のかかる老人の福祉に寛大さを失った時に
尊厳死を議論せざるを得なくなるのであろうと思っています。。