母乳コンサルタントの日記

ママさんたちへ、母乳とマッサージ

母乳と私(1)

2012-01-01 10:05:03 | インポート

私と母乳(1)

私は2人の男の子を産みました。昭和29年と32年です。

当時は、もう戦後ではない―と云われた頃ですが、庶民の意識と生活はアメリカナイズにあおられながらも、戦前の日本の伝統を継承していました。

出産も自宅分娩が大半で、私も婚家先で出産しました。

長男は3kgの平均的な体重でした。出産後は、母親の本能として泣く子に限りなく母乳を与えました。

私の乳房のタイプは、「優子タイプ」(HPか、母乳の修理屋さんを再読ください)ですが、優子タイプにも優劣があり、私は不足ぎみで赤ちゃんは泣いてばかりいました。同居の姑はミルクの併用をうながしました。それで、

私は、授乳の後に毎回必要量の半分をミルクで補うようにしました。すると、赤ちゃんは

目に見えてマルマルと太り出し、2カ月ころから、顔に赤い湿疹ができ始めました。それは、だんだんに広がり、頭には脂漏性湿疹が、かさぶたのような厚さになりました。アトピー性湿疹でした。8ヵ月ころからは、中耳炎を頻発しました。

断乳は1年2ヵ月であったと記憶しています。乳頭をかじられて、乳腺炎になったからです。

母乳はそれなりに出ていましたので、断乳の苦しみは人並みに味わいました。

次男の時は、事情が変わっていました。

私は、病院栄養士として、週3日間働いていました。ですが、産後休職中も母乳育児が希望でした。この頃には、産院での分娩がずいぶんと一般化してきましたので、私も産院での出産となりました。

次男は、3300gの比較的に大きい男子でした。

産院はアメリカ式で、新生児室に2日間保育されてから、母親のもとにきます。

乳房は長い間授乳がされていませんので、ボールのように張れ上がったのです。

乳頭は硬く短くなりました。赤ちゃんは上手に吸えなくて乳頭をかむものですから、

乳頭が切れてしまい、痛くて飲ませられません。

それで、ミルクにしてしまいました。

続きは、次回の「母乳と私(2)」です。