母乳マッサージの不思議 3
母乳のこのような地位の変化を来たした最大の原因は、勝戦国のアメリカの文化をうのみに崇拝した思想から始まります。
先進国アメリカの文化はまぶしいばかりの輝きを持っていました。その文化を共有したいと憧れるのは当然でした。昭和20年前の出産は多くは自宅分娩であり、人工ミルクは無いので必然的に母乳で育てられました。一転、戦後は多くは設備の整った産院での出産が一般的で、衛生的で安全で快適な産院での出産は歓迎されました。
先にも述べたように、母乳の成否は多くは産院に入院中の期間にある。この間の母乳の為の指導が大切なのですが。
母乳育児成功には、多くの助産師のケアーを必要とします。なぜなら、産婦の乳房は十人十色の個人差があり、乳児も個人差があるので、マンツ-マンの指導が必要です。助産師の助力が必須であり、それを満たすには産院では人手を必要とします。そこに
商業ベースにのったミルクメーカの宣伝が、ミルクの優位性,即ち便利、簡単、安全、衛生的で、母乳のようなめんどくさい指導がカットされるのですから、誰でも飛びつきたくなります。ミルクの作り方も、乳業メーカの派遣スタップが代理するなら、経営者である産院の絶大な協力を得たのは当然です。人件費の節約、ミルクの無償配布は、お土産を頂いて喜ばないママはいません。
さて、人類は子孫繁栄のために、母乳が唯一の児の糧であったことに、誇りと使命を必然的に心得ていたはずです。ですから、少しの例外を除いて、乳は出たのです。児を生育できたのです。
ミルクが栄養的、安全、衛生的でリゾナブルな価格であること。母乳のように個人差がなく、苦労が少なく、簡単に児の空腹を満たしてくれる。現代的で便利であるなら、母乳と同等の価値を得てきたのです。ミルクの普及は絶対唯一の糧から、選ばれる選択の一つになったのです。故に、ママ達が安易にミルクを選択したことに合理性はあるのです。
ミルクの普及の功罪を、児を対象にのみ問うてきましたが、私は、与える側の乳房への影響を考えています。
人類が進化の過程で、不必要なものを退化させていったDNAが、乳房にも起こり得るのではないかと思うのです。
乳房は母乳を生産する機能を退化させていくと危惧するのです。
即ち、乳房は母乳生産工場ではなく、単なる性のシンボルに過ぎなくなるのでないでしょうか。そこで、もし、ミルクの生産が何らかの形で中止するなら、赤ちゃんは生き残れないのですから、人類の滅亡も、ここからも考えられます。
ママの乳房が最大の被害者でないかと!
次回はいよいよ「乳房の孤独」の確信にふれます。