「母乳と私」は2012年にブログに載せたものです。3回連続にしてあります。
「母乳と私 1」
私は2人の男子を産みました。昭和29年と32年です。
当時はもう戦後でない― と言われたころですが、庶民の生活はアメリカナイズに流れながらも
戦前の日本の伝統も継承していました。出産も多くは自宅分娩でしたので、私は婚家で出産しました。
長男は3㎏の平均的は体重でした。
出産後は母親の本能として泣く子に限りなく授乳しました。私の乳房のタイプは「優子タイプ」(私のHP か「母乳の修理屋さん」を参照)。
また、「優子タイプ」にも優劣があり、私は不足気味で、赤ちゃんは泣いてばかりいました。
同居の姑がミルク併用を促しましたので、授乳の後にミルクで補充しました。すると赤ちゃん目に見えてマルマルとふとりだしました。
ところが、2ヵ月頃から赤い湿疹ができて、広がり、頭には脂漏性湿疹がかさぶたのようになりました。アトピー性湿疹です。8ヵ月ころには中耳炎を頻発しました。
断乳は1年2ヵ月頃と記憶しています。乳頭をかじられて、乳腺炎になったからです。
母乳はそれなりに出ていましたので、断乳の苦しみは人並みに味わいました。
次男の時は、事情が変わっていました。私は、病院栄養士として、週3日働いていました。
この頃になると産院での出産が一般化してきましたので、私も産院での出産になりました。
次男は3300gの比較的に大きな児でした。産院はアメリカ式で新生児室に2日間哺育されてから母親の元にきます。
乳房は授乳されていませんので、ボールのようにはれあがったのです。乳頭は硬くみじかくなりますので、赤ちゃんは上手に吸えなくて乳頭をかむものですから、
乳頭が切れてしまい、痛くてのませられません。それで、ミルクにしてしまいました。
次回に続く。