漂泊の思ひ
「予もいづれの年よりか、片雲の風に誘われて漂泊の思ひやまず」
「月日は百代の過客にして」のすぐ後にでてくる文です。
いい文章だなあと思います。口調よく・格調高く・高尚です。
現代語で自分の言葉で訳してみますと、なにかうすぎたない感じがしますが、古語の単語はイメージが湧きます。こんな古文を捨ててしまった現代人が、昔の日本人と同じではないな、言葉は大切にしなくてはならないと、フランスの国語保存運動に賛成したくなります。
「私もいつからとははっきりといえないけれど、だんだん旅が好きになりました。
ちぎれ雲の青空に飛んでいくのをみると、あんな風に現在のしがらみを離れてさすらっていけるとたのしいだろうなと感じて、わくわくする気分です」
「さすらい」(小林旭)で「夜が又来る、俺を泣かせに」と寝かせません。西部劇の「シェーン」のように荒野を一人で足のむくまま進む姿。終着駅のジェニファー・ジョーンズのようにモンゴメリィ・クリフトを振り切って汽車に乗る姿。キャサリーン・ヘップバーンが、すべてをいい想い出として窓から身を乗り出して手を振る旅情のラストシーン。「みんな寂しく、なつかしく」と山頭火は、故郷の村を「雨降る里は、はだしで歩く」と雨の中を進みます。「緑の館」ではファーリィー・グレンジャーが、降り出したモンスーンの中で丘の上の修道院を見上げます。
私の漂泊の思いは、現実離れした別離(わかれ)の映画シーンが眼に浮かびます。
漂泊とは、なんかおしゃれな感じを抱かせます。
「やまず」という言葉もいいですね。「やめることが出来ない」
何か心の底から湧き上がってきて、もうそれを止められないという強い感情を表した言葉で、現代語1語にあらわせない気がします。
永井真理子(私の好きな歌手)は、そんな想いを女性らしく こんなに言います。
(実際に歌詞も彼女だそうです)
日陰に干された洗濯物、部屋に置いてくかすみ草
声を出さないものたちだって、何か欲しいと言ってる
今どこへ、今はいつも 今はどこへ向う途中なの?
さっぱりわからないってことだけわかるの
きっと心が きっとひとりじゃ きっとやせっぽちになっていく
耕すことをしなくちゃあね
喜びわかちあい 大声で笑いたい
誰かと出合いたい。苦しい出合いでもいいよ ♪♪
なにか いまの生活がむなしくなったとき、誰もがよそへ行きたく、新しい人と出合いたくなります。こういう感情をあらわす言葉はないでしょうか?これも「漂泊の思ひ」
に含めたいなと思います。
テレビCMで 「年金を貰うようになったら、タイやインドネシアで生活しよう。夫婦で5万円/月で生活できて楽しいですよ。」と にこにこしながらPRしています。
相手が生きておればいいけれど、そこで1人になったらどうなるのだろうと感じます。そこを考えるのが漂泊の思ひであり、山頭火の無常の思いでしょう。
CMにつられて、海外老人リゾートで生活するようになった人、あとはこわいですよ。
もう故郷はないのですから。
漂泊の思ひがあるから、現在の生活を深く考えることが出来ると思います。
「いづれの年よりか」というように若い間は毎日を楽しく、漂泊の思ひは大人になる芽
と考えましょう。
年取るとへりくつが好きになって、1つの言葉でも何か因縁をつけたくなります。そんな考えを光線を発するように外へ出しましょう。それが旅の心構えといえるでしょう。
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