朝礼の話題

見たり読んだりして、感じたことを朝礼で話しています。この頃は仕事の話は少なくなりました。

寂しい

2012-08-27 20:52:10 | 21世紀
寂しい
2012/08/28
「Sometime I feel like a motherless child long way from home」
「時には 母の無い子のように・・」
学生の頃、ソノラマ を 買いましたら、中にこの歌がありました。
軽い歌ですが、下宿でホームシックを感じた時、有効な解消法でした。

 お葬式の挨拶に、「御寂しゅうございます」といいますが、今まで一緒にいた人が急に居なくなると、本当に寂しさを感じます。
 父母・祖父母が亡くなって30年以上になります。それ以降寂しいことは、自分の失敗を思う時です。

 変な話ですが、先日、肉体的にも精神的にも、寂しさ・心細さを感じました。
 それは、最後の風呂に入って、入ったまま湯を抜いたのです。お風呂の水位が下がるに従って、感じる水面がじわっじわっと下がります。
 肩まであった湯がヘソまで下がると、喪失感というか、保護が無くなった感覚が皮膚から神経・脳に伝わってきます。そうだ、寂しさというのは喪失感そのものなのだと実感します。
 「I miss you」「お別れが寂しいです」と一般の別離でも言います。
 そういう経験を沢山して、寂しさの克服、ホームシックの解消、乳離れができます。
 今、寂しい若者が多いと言われます。家庭も作らず、ネットカフェで夜を過ごす。だんだん生きがいをなくし、カフェの火事を起こした若者がいました。
 寂しさとは、風呂の水位が下がることなのだと自分で定義しましょう。

 さびしさに 宿をたちいでて ながむれば いづこもおなじ 秋の夕ぐれ    
何とはない寂しさが、そぞろ、身を噛む秋の夕、たまらなくなって家を出てあたりを見れば、どこも同じひといろに、物さびしい秋の夕暮れである。
この良暹法師の歌は、かなり早くに作られている。『新古今集』時代の先駆けといってよい。
三夕(さんせき)とは下の句が「秋の夕暮れ」で終わる有名な三つの句のこと。
寂しさは その色としも  なかりけり  槙立つ山の 秋の夕暮れ  寂蓮法師
心なき 身にもあはれは 知られけり  鴫立つ沢の  秋の夕暮れ  西行法師
見渡せば 花も紅葉も  なかりけり  浦の苫屋の  秋の夕暮れ  藤原定家
年寄りになると、寂しさもこんな感じ方をするのが日本人ですね。先は長い。


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