戦争を知らない私達2006/05/23
菊陵中学と小倉高校の同期会が5月20日、21日と続けて開かれました。
遠方から参加する方のための幹事・二村君の配慮です。
私にも挨拶が廻って来たときのために文章を考えました。
何か気のきいた話をと、高校時代と50年経った今とを対比して想い出を探しますが、差しさわりのあることばかりで、話の種にはなりません。
学生時代・想い出・青春時代など一般的なキーワードで頭の中をスキャンするつもりでボーとしていますと、昔見た映画が浮かんで来ました。
「二十四の瞳」「野菊の如き君なりき」「おもいでの夏(サマー オフ フォーティツー)」「アメリカン・グラフィティ」などです。
「アメリカン・グラフィティ」をしみじみ想い出し絵を辿りました。
ジョージ・ルーカス監督で、まだ無名のハリソン・フォードが出ていました。
アメリカの田舎町、高校を卒業しての夏、明日は進学のため飛行機で旅立つ主人公はパシリの感じの優等生で小説家志望です。
クラスメートと車で町の周辺をドライブします。
友人の車とカーレース・深夜放送の街の放送を使ったメッセージ合戦・ドライブインの集まり・都会へ出たがる生徒会長にガールフレンドは行くなと止めます・パトカーに対する挑発・パトカーのバンバーを鎖で繋ぎその前でスピード違反してみせます・急発進したパトカーはバンバーをもぎ取られます。
こんな一夜が明けて、主人公は飛行機に乗り込み、映画は終わります。
それから出演者たちの以後の人生が写真と文字で短く出るのです。
誰々 ベトナム戦争 ダナンで戦死。
誰々 ベトナム戦争中 カンボジアで行方不明
ハリソン・フォード ベトナム戦争で戦死
生徒会長 町に残りガールフレンドと結婚 生命保険外交員をしている。
主人公 ベトナム戦争出征するが無事帰還、この小説を書く。
今、映画で見たこの人たちの未来はこうだったのかと可哀想でいじらしく涙が止まらず、電気が付くまで座っていました。
戦争のある国の生き方と、戦争の50年ない平穏な日々の日本の我々の生き方と同じわけないと納得もしたものです。
アメリカ人が、昔にとらわれず、現在を短期的な考えで仕事を進めるのも、戦争を頭に置いて発想するからではないか?
彼らは自分の未来を考えるのに、戦争・戦死の道もあると思っているのではないか?
戦争に行った世代は、幼友達の戦死・行方不明など想い出したくないから昔のことに拘らないのではないか?
アメリカ式のグローバルスタンダードが日本になじまないのもここに原因があるのではないか? などと思いました。
永井義人さんは、小倉高校同期会の代表挨拶で、「私は朝鮮からの引揚者です。あの頃の苦労は思い出したくないです。また父親が私達兄弟を連れて帰る苦労には頭が下がります。私達より10歳年長の人たちの苦労を考えると私達が安穏に生きるのが申し訳ない」と言われました。
皆 一所懸命生きた現役生活を離れ、ゆったりし [俺が俺が]という雰囲気はまったくありませんが、永井さんの言われる「こんなに幸せでいいんだろうか?」と言う考えは誰にも感じると思いました。
菊陵中学と小倉高校の同期会が5月20日、21日と続けて開かれました。
遠方から参加する方のための幹事・二村君の配慮です。
私にも挨拶が廻って来たときのために文章を考えました。
何か気のきいた話をと、高校時代と50年経った今とを対比して想い出を探しますが、差しさわりのあることばかりで、話の種にはなりません。
学生時代・想い出・青春時代など一般的なキーワードで頭の中をスキャンするつもりでボーとしていますと、昔見た映画が浮かんで来ました。
「二十四の瞳」「野菊の如き君なりき」「おもいでの夏(サマー オフ フォーティツー)」「アメリカン・グラフィティ」などです。
「アメリカン・グラフィティ」をしみじみ想い出し絵を辿りました。
ジョージ・ルーカス監督で、まだ無名のハリソン・フォードが出ていました。
アメリカの田舎町、高校を卒業しての夏、明日は進学のため飛行機で旅立つ主人公はパシリの感じの優等生で小説家志望です。
クラスメートと車で町の周辺をドライブします。
友人の車とカーレース・深夜放送の街の放送を使ったメッセージ合戦・ドライブインの集まり・都会へ出たがる生徒会長にガールフレンドは行くなと止めます・パトカーに対する挑発・パトカーのバンバーを鎖で繋ぎその前でスピード違反してみせます・急発進したパトカーはバンバーをもぎ取られます。
こんな一夜が明けて、主人公は飛行機に乗り込み、映画は終わります。
それから出演者たちの以後の人生が写真と文字で短く出るのです。
誰々 ベトナム戦争 ダナンで戦死。
誰々 ベトナム戦争中 カンボジアで行方不明
ハリソン・フォード ベトナム戦争で戦死
生徒会長 町に残りガールフレンドと結婚 生命保険外交員をしている。
主人公 ベトナム戦争出征するが無事帰還、この小説を書く。
今、映画で見たこの人たちの未来はこうだったのかと可哀想でいじらしく涙が止まらず、電気が付くまで座っていました。
戦争のある国の生き方と、戦争の50年ない平穏な日々の日本の我々の生き方と同じわけないと納得もしたものです。
アメリカ人が、昔にとらわれず、現在を短期的な考えで仕事を進めるのも、戦争を頭に置いて発想するからではないか?
彼らは自分の未来を考えるのに、戦争・戦死の道もあると思っているのではないか?
戦争に行った世代は、幼友達の戦死・行方不明など想い出したくないから昔のことに拘らないのではないか?
アメリカ式のグローバルスタンダードが日本になじまないのもここに原因があるのではないか? などと思いました。
永井義人さんは、小倉高校同期会の代表挨拶で、「私は朝鮮からの引揚者です。あの頃の苦労は思い出したくないです。また父親が私達兄弟を連れて帰る苦労には頭が下がります。私達より10歳年長の人たちの苦労を考えると私達が安穏に生きるのが申し訳ない」と言われました。
皆 一所懸命生きた現役生活を離れ、ゆったりし [俺が俺が]という雰囲気はまったくありませんが、永井さんの言われる「こんなに幸せでいいんだろうか?」と言う考えは誰にも感じると思いました。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます