朝礼の話題

見たり読んだりして、感じたことを朝礼で話しています。この頃は仕事の話は少なくなりました。

時には母のない子のように

2014-10-12 13:58:25 | 21世紀
時には母のない子のように
2014/10/12
Some Times I Feel Like a Motherless Child Long Way from Home
 時には母の ない子のように だまって海を みつめていたい 時には母の ない子のように ひとりで旅に 出てみたい だけど心は すぐかわる 母のない子に なったならだれにも愛を 話せない
 初めて、家から離れて 下宿し、ホームシックになった時の、心細い時、ペラペラのソノシートで聴いた歌です。未だに覚えています。
 日本語の歌詞より、英語の方が、ぴったりの感じでした。

 先日の非常時対策の文章で、「風呂で異変を感じたら、栓を抜こう。そしたら、失神しても、風呂で溺れることは避けられる」と書きました。
 実験の好きな私は、風呂上がりの時、座ったまま風呂の栓を抜きました。
 水位は胸の辺りから徐々に下がってきます。その時、感じるのは心細さです。
 お湯に囲まれ保護されている感覚が、水位が下がるにつれて、何か寂しく、無防備の感覚になるのです。水が抜けてしまうと、何かホームレスになったような、誰とも切り離された感じがします。

 私は、別に感受性が強い人間ではないと思うのですが、皆さんも一度試してみませんか? 他人の気持ちが分からないとか、オレのやり方が正しいのだとか、自意識を強く感じる時など、自分の無力さを実感し、仏教でいう無常の感覚を得られます。
 こんなつまらぬ行動でも、自分の気持ちを掴む、切っ掛けになりそうです。
 行動は、考えることより、高級な経験と思います。ただ 考えて居たって堂々巡りで、「下手の考え休むに似たり」です。
 記憶や感情は、過去の経験とよく繋がっています。お風呂栓抜きで感じたのは、18才のホームシックの心細さそのものでした。
 他人と繋がっていない心細さ、それを実感すれば、人付き合いの心構えも変わるでしょう。孤独とは、自分の強さを表すものではない。孤独とは、他人との付き合いが如何に大切かという事を悟らせてくれる経験です。
 「何でも見てやろう。何でもしてやろう」と自ら行動してこそ、経験になります。他人から命令されてすることは、考えることを止めた奴隷のように、それを避けるように働き、良い経験を積んだことにはならない様に感じます。
 経験があなたを創ります。経験こそが人生で一番大切な事としましょう。


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