3で割り切れるか?
「会社」と「家庭」、「タテマエ」と「本音」、「公」と「プライベート」のように考える事や話すことを、2つに分けるのは、私達日本人には普通の事です。
【仕事も暮らしも、3で割るイギリスの習慣】(井形慶子著 新潮社 Y1300)
によりますと、イギリス人は2つではなく3つに分けて考えるのです。
「仕事」・「生活」・「プライベート」の3つに1日を分け、洋服も3種類そろえ、それぞれの場面で人格も違うように振舞うのですって!
マッカーサー元帥は、当時の日本人を「精神年齢12才」と批評しましたが、こんなところに その原因があったのかもしれない。
「イギリスでは、中高年が若者より輝き、ゆとりを持って生きている」と井形さんは言います。日本人の年寄りとしては、恥ずかしいなあ。
彼らは、自分が人生の主人公として、3つの役割を意識的に演じていて、その役割をはっきり分離させるため、服装の演出から始めると言います。
レジ打ちのパート女性は、仕事の顔をし、化粧・アクセサリーも仕事用です。仕事用の服や履物でユニクロのイメージです。家庭では、片付け・掃除・料理・子供の躾を主婦の顔でこなします。動き易いカジュアルな服装です。
通販のランズエンドの雰囲気でしょうか?
友人とパーテイ、あるいはパブで酒を飲み話す時は、化粧も濃く、イヤリングなどつけてパーテイドレスです。仕事・家庭とも切り離された、別人格
として輝きます。叶姉妹のようなゴージャスな姿でしょう。
ですからイギリスのクラブ・レストランの入場のピークは20時~21時です。 仕事が終り、帰宅してシャワーをあび、化粧し おめかし しておれば、そんな時間になるのです。
パーテイに仕事用のスーツで参加する日本人は、着替えのひまもないのかと同情されると書いてあります。
アメリカ映画「シャール ウイ ダンス?」の中で女性の一人は重労働の職場で仕事をしていますが、ダンス教室に通い明るく振舞っています。彼女は教室で過労から倒れます。彼女の娘さんが見舞いに来たリチャード・ギアに普段の過酷な生活状態を話します。
私はこの映画の批評文を書いたとき、「ダンス教室を人生の逃避場所にしている女性」と表現したのですが、「生活3分法」の実践の姿だと考え直しますと、彼女の性格が改めて理解できた気がします。彼女は、「自分を表現することを楽しんでいたのだ」と今は思えます。
ですから「仕事」「家庭」ともう一つの「私・プライベート」の場で、誰も
彼女の生活の質や家族のことを話題にもせず、現在の彼女だけを見て、皆 対等に付き合います。
彼女の住まいは、映画の画面には出てきません。リチャード・ギアの豪邸とは差があると想像させますが、問題ともしませんし、それぞれのライフスタイルとして皆 肯定されています。
最近 個人情報・プライバシーがマスコミによく出ます。
「何故そんな事を問題にするのだろう。ピンと来ない」と私は考えていましたが、この本を読んでやっと分りました。
「個人・プライバシー」には、「仕事・家庭生活」とは次元の違う自分だけの秘密生活という場があり、そこでは自分の理想とする姿・態度をしても良いという認識があるように見えます。
お姫様を演じても、王子様を気取っても、他人に害を加えない限りそれをお互いに認める。
その芝居の裏をとやかく言うのは、それこそプライバシーの侵害の第一に当たると思えるようになりました。
イギリス人のクローゼットの半分以上は、パーテイ用の衣装であり、日本では着る場所がないようなキラキラしたものだそうです。
イギリスファンの著者は、衣服についても一家言あり、面白いです。
人間は衣服で考え方・感じ方・生活態度が変わると言います。
仕事のスーツでデートに行くと、相手の男性から「社長の表情で俺を社員を見る眼で見るな」と言われることもあるのですって!
川口頼子外務大臣は赤い服を勝負服と言っていましたが、井形慶子さんの勝負服は黒で、重要な会議や決定のときに着るのがあるそうです。
そんな感覚は私にはありません。パーテイ服など1枚もありません。それで生活のうるおいなど理解できないのだと気付きました。
田中真紀子がテレビで「主婦としての立場で、国会議員をする」と言いますが、この著者のすべての場面の混同の指摘が欲しいですね。
井形さんが、日本人男性に「生活3分割論」を話しますと、①仕事②家庭③第2の家庭(あるいはセフレ)と考えニヤニヤするそうです。
自分を演出するプライベートは、理解し身につければ、中高年の新しい生甲斐になりそうに思えました。
21世紀のキーワードの一つに「プライバシー」を入れましょう、イギリス式の。
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