朝礼の話題

見たり読んだりして、感じたことを朝礼で話しています。この頃は仕事の話は少なくなりました。

濁れる水

2013-01-02 23:34:50 | 21世紀
濁れる水の流れつつ澄む
2013/01/03
 年末に、種田山頭火を紹介するNHKの番組がありました。
 まつすぐな道でさみしい
 水音の絶えずして御仏とあり
ほろほろほろびゆくわたくしの秋
生死の中の雪ふりしきる
おちついて死ねそうな草萌ゆる
濁れる水の流れつつ澄む
 歩いて、歩いて、歩いて、歩いて、私である。
 うしろすがたのしぐれてゆくか
 だまって今日のわらじ履く
 どうしようもない私が歩いてゐる
 朝は晴れ夕べはくもる旅から旅へ
山頭火は、山口県の庄屋の家に生まれました。お母さんは山頭火が小さい時、井戸に飛び込んで自殺しました。結婚し子供も生まれましたが、仕事で失敗し、すべてを奪われ、家族も離婚し妻の実家に引き取られ、本人は、漂泊の詩人・雲水生活です。
 現在の読者で、山頭火の俳句に救われて、仕事も出来るようになったと言う人がテレビで語っていました。だまって今日のわらじ履くの句を読むと、行きたくない出勤の靴を履く自分のようで、他人も苦しいのだ、私だけでないのだと安心する。その他、失敗した人、うつ病になった人、いじめられている人、達が救われたと感想を述べ、番組の扱いは、山頭火は人類の苦労を独りで背負ったキリストのイメージでした。
 観ていて、不健康な考えだと、私は寂しくなりました。
 自分の廻りは迫害者ばかりで、私は不幸だ。この不幸は私の運命だ。私は耐えるだけだ。そう言っているように聞こえます。
 自分の境遇は自分で作ったものです。神の計らいで、苦労して成長する修業をしているのだ。大損して失敗者として生活しているのは、そう言う生活は神様の計らいだ、と考えるべきと、私は思います。
 皆がエリートではありません。エリートは数少ないからエリートです。
 大多数の人間は、現状に満足するか、我慢して生活しています。何とか生活しようと努力し昨日より今日は少しらくになったと晩酌を飲んでいます。
 他人を恨みながら、濁れる水の流れつつ澄むと考えても、濁水は静止しなければ澄みません。海に入って沈殿し澄むと考えるべきでしょう。

清盛滅亡で利益得た者

2013-01-02 02:25:45 | 21世紀
清盛滅亡の利益は?
2013/01/02
 NHKの平清盛は、嫌いで観なかったが、最終回は観てしまった。
 最期のナレーションは「清盛の目指した武士の世、対宋貿易は室町幕府の成立を待たねばならなかった」でした。
 平家は、天皇の統治システムの中で権力を握り、武家ではなくなってしまった。だから闘うことなく逃げ回り、全滅してしまった。源氏は部内闘争で皆死滅した。天皇が力を増したことも無く、地方領地は、地方の地頭などに奪われてしまった。
 平家が滅ぼされて次の政権、頼朝鎌倉幕府が力を揮った訳でもない。
 源氏の番頭とも言う、北條氏が執権と言う名で政治を行った。
 責任者を置いて、その下の実務者が力を揮う、日本的政治組織が定着した様に見えます。
 平清盛のように、実力者が直接方針を立て、それを実行するのは、チェック機能が働かず、暴走してしまう見本のようです。
 政治評論家の人が、理想的総理大臣として、池田勇人とチェック者、幹事長・前尾繁三郎の組み合わせ、中曽根康弘と実力者、官房長官・後藤田正晴の組み合わせを最高だったと言っていました。
 蘇我入鹿を大化の改新で倒し、藤原氏となった中臣鎌足の子孫の貴族政治は、平清盛に乗っ取られた状態であったが、政治と言うより、社内闘争のようなイメージに見えます。平家の政治は、武家政治の始まりと言うより貴族政治の終わりであり、武家政治というか、政治そのもので社会が形造られるのは、戦国時代を経て江戸時代からだと感じます。
 天皇は当時宗教的支配の意味もあったようですが、神道・仏教を自らの権威として取り込み、いよいよ宗教国家だったと考えるべきであり、平の清盛が神輿を弓で射たり、織田信長が比叡山を攻撃して、宗教的権威を排除したことが、日本歴史の上では大事なことだったのではなどと考えました。
 こんなドラマを見て、何か教訓を得ようとするのは、間違いである。現代のてれび番組は暇つぶしであり、将来の想い出にもならないし、今の若い人は使い捨てのBGMくらいにしか思っていないのでしょうね。
 次回の大河ドラマも、砲術使いの女性、八重さんの話だそうですが、事実に反する話が続くのでしょう?明治維新は日本の曙と私は思っていますが、悲劇の舞台として描かれるのだろうと思い、予告編だけで観る気が失せます。
 海音寺潮五郎の「二本の銀杏」などロマンあり、河川の改修工事あり、山伏の潔癖生活ありと、良いドラマになりそうですけど知らないのだろう。