朝礼の話題

見たり読んだりして、感じたことを朝礼で話しています。この頃は仕事の話は少なくなりました。

類は友を呼ぶ

2008-08-08 11:18:15 | 成長
類を以って集まる2008/08/08
 倫理法人会の集まりにさそわれスピーチをしました。
「140才まで生きる」と言う題で、若い人には興味もないと思うのですが、皆さんの聴く態度は最高で、気持ち良くしゃべれました。
 早朝5時半の清清しい雰囲気の中で、自己を高める修行をしようかと考える人がいるのは、すばらしい日本です。30人の集まりでした。

 真面目そうな人ばかりで、大声を出す人もなく、スムースに進行しています。普段から仲良くされているのが見てとれます。
 ハッタリが巾を利かす組合やロータリークラブより格上と感じました。

 倫理という単語に初めて触れたのは、石川達三の「不安の倫理」という随筆集でした。戦後の道徳荒廃を嘆く、若い人への教訓のような本でした。
 倫理=道徳 と解釈できて、石川さんはなぜ「不安の道徳」としないのだろうと子供心に疑問を持ちました。
 今、辞書を引いて見ますと、Ethics の翻訳語として井上哲次郎が作ったとあり、道徳と同じと書いてありました。

 屁理屈ですが、私は「倫理」は「道徳」より高級な概念が含まれていると解釈したいです。
 「道徳」は、親が子に教えるような生活基準であって、他人にも強制してよいような「徳目」を想像します。
 「倫理」には、他人に強制するのではなく、みずからが実行する、自分を律する「徳目」と定義したいです。
 道徳は他人との係わり合いのルールであり、倫理は自分が道徳を実行する根本の信念・倫理観そのものと理解したいです。

 現代の日本では、自分の不具合・社会の不具合の原因は自分に責任はなく他人にあるとして、他人を批判します。これが、日本を嫌な国にしています。
 元凶は、小沢一郎・鳩山由紀夫・菅直人・日教組・テレビコメンテーター(古舘伊知郎・田原総一郎)です。
 彼らは倫理観がありません。
 立居振舞は道徳的に見えますが、本音と建前の差そのもので本音は非倫理です。
 倫理と言う単語を宗教色をなくし、自分を倫理的に律する人が、次の世代を作るでしょう。
 
 話は元に戻りますが、倫理法人会のメンバーは、外部から見るとよく似ています。
 ことわざに「類を持って集まる」と言いますが、義理とか仕事関係でない集まりは、似た考えの方が集まるのだなぁと納得しました。
 共通な点は①笑顔②発声の感じ③座っている姿勢 などを挙げたいです。

 倫理法人会も、見方を変えると、子供時代の日曜学校やラジオ体操仲間の大人バージョンとも言えます。
 子供たちはゲーム機や携帯電話・テレビ・塾通いが忙しく、他人との共同生活をしません。
 それこそ次の世代が、何かの理想や目的・目標を達成出来るか心配です。
  
 日曜学校・ラジオ体操・囲碁クラブ・スポーツクラブなど学校を離れた集団活動に参加させましょう。
 類を以って集まるところに、共通の価値観・自分の考えの熟成が生まれ、成長の弾みがつくでしょう。

 北九州市には、少人数が、安価な費用で集まれる場所も少ないです。まして駐車場付きなど都心にはありません。
 先日、大野城市の「まどかぴあ」に行きました。理想の集会場でした。市役所に隣接する1等地を使っていました。

 北九州市は、この倫理法人会のような集まりを把握し、市報の別刷などに、こんな活動があるよ・こんな集まりがあるよ・どんな人が参加できるよ・連絡先は・などを知らせるサービスをしませんか。
 お仕着せの公民館活動より、自発的な活動のほうが、次の世代の教育に役立ちそうに思います。

 ついでに言いたいのは、西日本展示場や国際会議場の催しを、伝えたい人にいい方法で伝えることです。
 ホームページもいいですし、学校団体へのポスター掲示など効果的と思いますが、実施されていないようです?
 市の広報は、税金払えとか企業営業活動は悪い などのイメージがあり、読ませるより、職務消化・予算消化を目的にしているようです。