朝礼の話題

見たり読んだりして、感じたことを朝礼で話しています。この頃は仕事の話は少なくなりました。

ノンコンプライアンス

2008-07-30 09:37:26 | 21世紀
コンプライアンスが日本を亡ぼす2008/07/29
法令遵守と和訳をつけて、コンプライアンスが如何にも大事そうに言われています。
 コンプライアンス重視は、「将軍の命令したことをその通り実行せよ」との奴隷思想を日本に植えつける誰かの陰謀です。

 西欧諸国は人口の10%のエリートが命令し、90%の庶民がそれに従う社会で、奴隷制度から発展してきた社会です。革命と反乱から現代社会が生まれました。
 日本はそうではありません。90%の百姓が自律的な共同社会で農業を営み、10%の武士は農村とは別の武家官僚社会で生活をしており、武士の指示によって農業を営んでいたわけではありません。

 明治維新でも、大東亜戦争終戦後でも、政府が事細かく指示しないまま、それぞれがそれぞれの立場で努力し、発展して来ました。
 特に、社会の変動があるとき、日本人は皆柔軟な考えで変革を成し遂げ、新しい発展をしました。

 昭和20年、ゼロから始まった戦後日本は、「買出しをしてはいけない。公平に生活しよう」の規定・約束事・ルールから次々に規則・法律が増えてきました。
 小学校1年生では規則も少なかったけれど、中学・高校と規則が増えてきます。会社も役所も創業時にはルールもないままでしたが、発展と人間の増加から約束事が増え、新入社員はこれを覚えるだけで精一杯で、マニュアル人間などとからかわれています。

 このマニュアル人間たちが、頭が規則で一杯になりちゃんとルールが守れないのを、規則を守れ・コンプライアンスだと取り締まり強化しているのが、現代日本を特徴づける社会現象と感じるのです。

 ルールにがんじがらめで硬直した頭を解き放ち、柔軟な頭にしなければ21世紀の地球規模の変動について行けず、恐竜のように日本人は滅びていくのではないか?

 既定の規則を、明治維新や終戦の様に、反古にして新しい規則を作るのが21世紀の発展策と考えます。
 ゼロベース思考という考えがあります。
 これを徹底させ、既得権益を一切認めず全てを競争入札的考えで処理することが必要な時代と感じます。
 過去の実績を考慮せず、人権擁護も考慮せず、多数決も忘れ国の発展に役立つか?のみを条件に物事を決定する大統領制の如き体制が望ましい時代です。
 
 明治維新の時も、安政の大獄が行われ、多数の志士が殺されて、新しい政治組織が出来て、新しい発展をしました。
 平成の無風時代に、何か突破口を作ろうと、自分の出来る反乱が、秋葉原事件であり、山本モナであり、バスジャックであり、大分の教員汚職摘発という気がします。

 社会の閉塞感が、個人の不満足感を刺激してこんな事件が起こると感じます。
 韓国の牛肉騒動・竹島騒動、中国の公害問題・人権問題など、何処の国も矛盾を克服しようと社会運動が、起こっています。
 日本にも、近い将来飛び火して、社会的運動が起こるでしょう。
 これを機会に、過去の既得権を清算し、大阪の橋本知事のような首長が、各県に、各市町村に生まれるのが、楽しみです。

 コンプライアンスなどと言う発想は頭の硬直した、変化を嫌うエリートのものでしょう。
 矛盾があるとき、それに蓋をするのが、コンプライアンスの考えだと思います。
 自分が、他人に常識を守れ、俺を無視するな、などと感じたら、頭の柔軟さなくなり、老いて頭が固くなった兆候だと考えましょう。

 裁判制度も、硬直化し、時間が掛かって一罰百戒の意味もなくなりました。
 裁判員制度などと、屋上屋を重ねる制度が始まります。
 私に裁判員が回ってきたら、昔風の判決、殺したものは殺せ、盗んだものは手を切れ、姦淫したものは重ねて四つ切り と投票するつもりです。

 何事も複雑になって人権だ、既得権だと理屈が尊重されるのは、終わりの始まり、ガラガラポンの革命が近い、現在の権力者の追放の時代と思います。
 総てを単純にしましょう。それは日本の発展に役立つか?を基準に考えたいですね。