まちをいろいろ 歩いてみたり、まちを彩る 行事に触れてみたり
新聞や情報誌などの記事を読んだりしていくと・・・・
改めて このまちは 「“先取”と“絆”のまち 福岡市」なんだなぁって思います。
まちの本質は「粋」かな?ともちょっと思ったけど、
糸へんの漢字「絆」のほうが、
昔っから「ひとのわ」があり、
ひととひとが繋がってくの、素敵!!と思う まちの本質を伝えるのには 合ってるのかなぁ、って思ったりもして。
「先取」って意味では、わたしの出身県・長崎も
鎖国の時代に開かれてた場所として 「はじめて○○した」「はじめての○○」みたいなのは多くて。
はじめてものを集めた冊子(県が作ったんだったっけ??)を見た覚えもあるんだけど、
その「はじめて○○した」に付随する感覚が やっぱり それぞれのまちで 違うんだなぁ・・って思います。
ほかのまち・・というか、昔むかし、中学生の頃かなぁ・・やってた、インドと旧ソ連のペンパルとのお手紙交換が、
もし、まだ、続いていたとしたら・・・・
私はどんな風に、このまちの事を記すのかなぁってのを考えてて
結局、「先取」と「絆」なんかなぁ・・と思った、っていうことなんですけどね。
この場合だと、きっと英文書いて、漢字表記を使ってのやりとりって、しないだろうから、
あえて「絆」を選ばなくてもいいのかも・・と思ったけど。
でも、なんだかんだで散らばった、日本各地にいる友達や知り合いには、
漢字の「絆」で、このまちの本質が伝えたいのかなぁ・・・・なんて思います。
「先取」と「絆」だと 他のまちに住んでる友達に つぎの説明が続きやすいし。
歳時記やイベントや、まちの伝統的な工芸品にしても 食べ物にしても、
長い説明話をくっつけないでも、
いろんな単語を繋げいって、それぞれに 話が出来るし、伝えやすいなぁって思ったんですよね。
とはいえ、まだまちのこと、伝えるまで至ってはないなぁって思います。
やっぱり、ずーっと住んでる人は、まちとの想いの交換の積み重ねがすごいもの。
まだまだで、ぼちぼち・・だけど。
ぼちぼち、私なりに まちや ひととの気持ちの交換の積み重ね・・・・・やっていけたらいいなーと思ってます。
新聞や情報誌などの記事を読んだりしていくと・・・・
改めて このまちは 「“先取”と“絆”のまち 福岡市」なんだなぁって思います。
まちの本質は「粋」かな?ともちょっと思ったけど、
糸へんの漢字「絆」のほうが、
昔っから「ひとのわ」があり、
ひととひとが繋がってくの、素敵!!と思う まちの本質を伝えるのには 合ってるのかなぁ、って思ったりもして。
「先取」って意味では、わたしの出身県・長崎も
鎖国の時代に開かれてた場所として 「はじめて○○した」「はじめての○○」みたいなのは多くて。
はじめてものを集めた冊子(県が作ったんだったっけ??)を見た覚えもあるんだけど、
その「はじめて○○した」に付随する感覚が やっぱり それぞれのまちで 違うんだなぁ・・って思います。
ほかのまち・・というか、昔むかし、中学生の頃かなぁ・・やってた、インドと旧ソ連のペンパルとのお手紙交換が、
もし、まだ、続いていたとしたら・・・・
私はどんな風に、このまちの事を記すのかなぁってのを考えてて
結局、「先取」と「絆」なんかなぁ・・と思った、っていうことなんですけどね。
この場合だと、きっと英文書いて、漢字表記を使ってのやりとりって、しないだろうから、
あえて「絆」を選ばなくてもいいのかも・・と思ったけど。
でも、なんだかんだで散らばった、日本各地にいる友達や知り合いには、
漢字の「絆」で、このまちの本質が伝えたいのかなぁ・・・・なんて思います。
「先取」と「絆」だと 他のまちに住んでる友達に つぎの説明が続きやすいし。
歳時記やイベントや、まちの伝統的な工芸品にしても 食べ物にしても、
長い説明話をくっつけないでも、
いろんな単語を繋げいって、それぞれに 話が出来るし、伝えやすいなぁって思ったんですよね。
とはいえ、まだまちのこと、伝えるまで至ってはないなぁって思います。
やっぱり、ずーっと住んでる人は、まちとの想いの交換の積み重ねがすごいもの。
まだまだで、ぼちぼち・・だけど。
ぼちぼち、私なりに まちや ひととの気持ちの交換の積み重ね・・・・・やっていけたらいいなーと思ってます。