福岡市を知る&学ぶ&楽しむ!子連れおでかけと地域史を学び続ける日々

大好きなまち~福岡市~での育児やおでかけと、福岡市の地域史を知り次の世代に伝えたいと学び続ける日々を綴ります。

トイレ遺構は8世紀なのね・・・と ペタッ! 昨日の復習をやりましょう

2013年06月08日 18時08分13秒 | 鴻臚館とその時代を 一から知る・深める・伝えるっ(2013年ママになってから)
本日のおちびさん、お昼間 ぐずることなく、よく寝ています。


まぁー、珍しい。


ありがとう♪ママ、昨日の復習ができるよ~。




さて。
トイレ遺構は8世紀のもの・・・でしたので。
なので、ふせんに“トイレ遺構”と書いて、
2、3月ごろにまとめてた、“掘って出てきたものをまとめていた表”に ペタッ。

あわせて、8世紀に あの場所から唐に向けて出発したとか、唐からやってきた人で
日本史の知識、正直あやしーい私でも なんとか「昔、聞いたことあるよ?」という人の名前を付箋に書いて・・・ペタッ。

そうそう、天然痘が九州から流行って、畿内で多くの死者が出たというのも8世紀だったので、これも付箋に書いて・・・ペタッ。

あわせて、ボストン展で買った絵葉書や、「博多ものがたり」での8世紀のことに触れてあるページもそばに置いて・・・



・・・そうかぁ・・・
8世紀のころの 鴻臚館のたてものの役目を 追っかけること、な~~~んとなく できはじめたかな?という感じです。


これが9世紀になると、表の様子が変わるんですよねー。

掘って出てきたものが いっぱい・・・。



あっ、でも、「仏教伝来、修行僧」という観点から あの場所を見ると、8世紀と9世紀にまたがって、
円珍(智証大師)の場合は、博多が栄えていて、唐商人が行き来していたからこそ 唐に行けたんでしたっけ??


うーん、これはやっぱり「仏教を歩く」の18号「円仁・円珍 求法の旅に行かん」を買って読んでみなきゃいけないかも?!
8世紀から9世紀のころの博多のこと、なんか触れられてないかなー?!
・・・・・・ドキドキ

そろそろ 発売?もう発売されているのかな???


おおっと、ぐずりだしました。今日はここで まちまなび、おしまい!!