福岡市を知る&学ぶ&楽しむ!子連れおでかけと地域史を学び続ける日々

大好きなまち~福岡市~での育児やおでかけと、福岡市の地域史を知り次の世代に伝えたいと学び続ける日々を綴ります。

違い 違い→→まちの違い?????

2012年03月02日 23時28分22秒 | 御朱印帳と共に 宗教と福博のまちの歴史
今日の題名は・・・ちょっと変ですよね。

うまく書けなかったんです。
まだ 理解がうまく深まってないからなんでしょうけど・・・。

お部屋の断捨離をしていたら、ちょとびっくりなところから、本のコピーが出てきました。

あらっ、わたし、いつの間にか、江戸の城下町時代の地図を、なんかの本で見つけてたのね。





・・・・・・・・・・・・・・忘れてる私って、どうなんですか?!まちまなびしてるって、言っていいんですか?!




で、江戸の頃の地図と、昭和10年の頃の地図と見て・・・・

やっぱり、博多部ってとこと、福岡部ってとこは、道路のつくりが違うなぁ、と。
むか~~~~~しむかし、読んだ本に
「道路(生活道路ね、歩いたり、子どもが走ったりするような)が違うと、子どもの生活と性格?が違う」
みたいなことが書いてあった覚えがあって
(とってたのに、本の断捨離で、一気に手放しちゃった
そうだとすると、まあ同じ藩領だったり、同じ市内だったりしても、
生活とか、性格とか、いろいろ違ったりしたのかなぁって思いました。


そうそう、借りたり買ったりの本の中で気づいたこと・・・・


まず、これ。
博多の商人に、江戸のはじめに伝わった、社訓のルーツと言われる「宗室遺言書」では、
信仰、浄土宗や禅宗を信仰すればよい(それも老人になってから?!)とあったような感じで、
随所に禅の教えがうかがわれる「禅に裏打ちされた戒めであった」と 書かれていたんだけれども。。。。

一方、こちら。

こちらで、二代藩主忠之の話の流れで
「仏教においては、特に真言宗が保護され」とあって。。。

あれ?福岡と博多だと、仏教の宗派(?っていったらいいんですっけ?)、江戸のころ、重視されていたのは違ったの???って思って・・・・。


信仰の対象が違うってことは、やっぱり同じ藩領だったり市内だったりしても、
ひとびとの内包するものって、やっぱり違ったりするのかな??っておもったりもしていて・・・・・・。


ん~~、でもね、まだまだ仏教っていうものについての詳しさを持ってないので、
なんとも今浮かんでる疑問に、私自身、道筋をどうつければいいか・・・わかんないんですよ(大汗)。


出身県のことをちゃんと知って、案内とか考えようと思ったら、
カトリックのこととか世界観を知ることが重要になってきてたんだけれど・・・
福博のことをちゃんと知ろうとしたら、仏教、もうちっと深めないといけないかなぁ???



その前に・・・神社ごとを もう少し詳しくならないといけないかもなって思ってるんですけどね。
福岡市内、神社の数・・・・一の宮とか三大○○とか、大きいのがありますもんね。
ご朱印めぐりの表には、今まで行ったところ、ちゃんと反映させました。
この表を見ると、このまちは 本当に古くから栄えていたまちなんだろうなって思いますよ~~。



3月の始まりと共に、日常生活、なにかと慌ただしくなっている、ここ数日の私・・・。
結局 疑問点の発見はできましたが、解決先の発見には・・いつ至るのかわかりません・・・