我が郷は足日木の垂水のほとり

文化芸術から政治経済まで、貧しくなった日本人の紐帯を再構築したいものです

フランチェスコ・アイエツ

2010年01月19日 | 芸術作家

Francesco Hayez (1791-1882) 

                    

 
 Galleria tematica dipinti di Venere - Afrodite
 
 
参照サイト 
     (収録絵画 7点)
          (聖書を持って瞑想する女性)
 
 
フランチェスコ・アイエツはヴェネツィアの貧しい家の出である。父親はフランス系、母親はムラーノの出身。フランチェスコは五人兄弟の末っ子で、母方の叔母夫婦に育てられたが、この叔母は裕福な船舶所有者また美術収集家の妻であった。叔父は、子供の頃から素描の才能を見せたフランチェスコを、ある美術修復家の元に弟子入りさせる。後にフランチェスコは画家の Francisco Magiotto の生徒となり、3年の間学ぶ。1806年には New Academy of Fine Arts の絵画コースに入学し、Teodoro Matteini の元で学ぶ。1809年、 アカデミア美術館主宰のコンペティションに入賞し、ローマのアッカデミア・ディ・サン・ルーカで1年学ぶことになる。フランチェスコは1814年までローマに滞在し、次にジョアシャン・ミュラに任命されて『アルキノオスの法廷にいるユリシーズ』を制作するためにナポリに移る。1830年代半ばにはミラノのサロンに出席していたことが分かっている。1850年にブレラ美術館のディレクターに任命された。
フランチェスコ・アイエツに対する評価は、彼が自分の作品にサインや日付を入れなかったため、困難なものとなっている。更に彼はしばしば同じ構成で絵を描いたが、それらにはほとんど違いがないか、全く違いがないものがある。彼の初期の作品にはドミニク・アングルやナザレ派の影響が見られる。後期の作品は古典復帰の傾向が見られる。

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