土井 たか子
土井 たか子(どい たかこ、土井 多賀子、1928年11月30日 - 2014年9月20日)
日本の政治家、法学者。愛称はおたかさん。
衆議院議員(12期)、日本社会党委員長(第10代)、衆議院議長(第68代)
社会民主党党首(第2代)などを歴任した。
日本における女性初の衆議院議長、政党党首。
(wikipedia)
2013 03 26 お兄さんは 若さだけがとり得 【わが郷】
1980年代の終わりには、労働運動の右傾化に歯止めがかからずに、連合というダラ幹主導の怪しげな組織=連合が立ち上げられて、日本の階級闘争は終焉を迎えた。このころ社会党の内部には信じられないような腐敗が進行していた。北朝鮮による日本人拉致事件はこの頃に頻発していたわけで、土井たか子や管直人らの言動を見れば、この者たちは拉致事件に何らかの形で関わっていたと強く推認される。
落選と政界引退後[編集]
2005年の第44回総選挙では、比例近畿ブロック単独名簿順位5位で立候補したものの落選し、国会の議席を失った(社民党の比例代表近畿ブロック当選者は復党した辻元のみ)。落選後のインタビューでは引退を強く否定したため、再立候補の意向であると見られていたが、参議院議員転進も取り沙汰された中での2007年7月の第21回通常選挙には不出馬。さらに2008年10月、第45回総選挙にも立候補しない意向を表明し、事実上政界から引退した。ただし、政治活動自体は続ける意思を示した。
2010年1月末、1990年12月に自らの呼び掛けで設立し代表理事を務めていた「アジア人権基金」が、その役割を終えたとして活動を終了した[11]。
2013年10月に社会民主党党首に選出された吉田忠智が直後に土井に面会を申し入れたが、痩せ往年のイメージと異なってしまっているという理由から、実現しなかった。しかし安倍晋三政権に対する危機感を露わにするなど、晩年も政界に対しメッセージを発し続けた[12]。
2014年9月20日に肺炎のため兵庫県内の病院で死去。その死は初七日の28日に社民党本部により公表され[13]、与野党を問わず惜しむ声があがった[14]。85歳没。11月25日にお別れの会が開かれた[12]。