我が郷は足日木の垂水のほとり

文化芸術から政治経済まで、貧しくなった日本人の紐帯を再構築したいものです

攻撃する 相手がちがう

2011年07月25日 | 日記

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 やはり一位じゃないと、ダメなんです。

 女子ワールドカップで休んでいた、ナデシコ・リーグ戦が再開した。

 観戦者が、この前の伊賀FC戦(6月11日・兵庫三木総合防災公園)では、448人だった。それが今回は、1万7812人と、ナント40倍もの大盛況だ。給与が、0円とか、多くても10万円の貧乏を、この勢いで、なんとか脱出してほしい。

                               

 この様子をみて、20年前の先輩のことを、懐かしく想い出した。

 残念なことに、彼は45才で亡くなった。まだ日本にプロのサッカーが、無かったころのこと。県のサッカー協会専務理事だった彼は、プロリーグを作るために努力していたが、病に倒れてしまった。昼には自動車関連業界で働き、夜には自分のクラブチームや、Jリーグ設立のために、動き回っていた。休みの日には、地域の少年サッカーの面倒も見ていた。働きづめだが、好きなことをやる彼は、楽しそうでもあった。


 田舎から東京や、京浜地区にもよく出かけていた。彼のクラブは、部員が150名ほどのかなりの大所帯だった。その上メンバーの細君や、シニア・チームの場合は子供まで、大勢の人数を連れ回していた。自慢の一つが、ラモス瑠偉 選手が現役の頃、そのラモスと彼の娘と一緒に写真を撮ったことだった。


 1993年に、Jリーグが出来たときには、すでにこの世には居なかった。過労が、とくに夜更かしが祟ったのだろうか。劇症膵炎は、死亡率の極めて高い病気だ。肉とか脂っこい食事が好きで、さきほども触れたが、夜更かしの生活不規則な人が罹患しやすいようだ。今でもサッカーの事となると、その先達の事を想い出す。あまりにも悲しい出来事が終章にあったので、それからはサッカーはあまり見ることも無くなった。

 それから早、ふた昔が記憶のスクリーンに重なって、悲しみはかなりぼやけてきた。そして女子サッカーが、まさかのことに、世界一になってしまったのだ。サッカーには此処のところ疎遠だったので、「まさか」とか書いてしまったが、「なるべくして成った、世界一」なのだろう。スポーツ世界一で、偶然なんて無い。彼女たちの此の努力の成果の裏には、様々なエピソードがあったことだろう。

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  もう一度、テロリズム批判を書いてみる。

  人ひとりの命には、全世界が込められている。


 どのような宗教でも、世界宗教とよばれるものには、「汝殺す無かれ」と書いてある。仏教の広く信じられ、亦、知られている日本では、家畜さえ殺すことは、なかなか出来ることではない。

 

 ではなにが何でも、人殺しは良くないのだろうか。

 広島に原爆投下をするために、エノラゲイは日本上空に侵入した。もしこの情報を、事前に知っていたとする。われら日本人、とりわけ広島の人々にとっては、悪魔の爆撃機だ。こいつの所為で、瞬時に七万人余の人命が奪われた。これを撃ち落とすは、日本軍人の崇高な任務である。しかしこの任務は果たされずに、原子爆弾は投下されてしまった。放射線被爆は、福島原発事故の比ではない。この後遺症での死亡を含めれば、十万人をはるかに越える、多くの人々が殺された。わがまほろばの里を守るには、結果としての殺人を避けることは出来ない。あの爆撃機は、なにが何でも撃墜すべきだった。

 東京周辺にはB29さえも、撃ち落とす特殊な高射砲が設置されていた。

 それで西日本が狙われたのか。

五式十五糎高射砲

 

 

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 ノルウェーの青年は、殺人者にすぎない。

 自分の政治目標を達成する手段として、あまりに酷い大量殺人を計画した。

 殺された人々は、この殺人者の思想とは、違っていた。いわば対極にある思想で、世界市民主義つまり、ザックリとした物言いでは「サヨク」である。このサヨク思想の根底にあるのは、欺瞞である。ノルウェー国内にある、富裕と貧困の格差を、さらに下層の『ド貧困』を外国から連れてきて、もっと貧乏を見せる。それでゴマカそうと云うのだ。ノルウェー国民の多くを占める、何代も前からの国民は大企業や公務員には、コネがないと就業できない。正義感の強い者ほど、その情実採用とかの不正を嫌う。自由経済を標榜する社会でも、人々は「カネ持ち」や「特権、利権」の鎖につながれて生きるしかない。「カネ持ち」や「特権、利権」の汚さとか煩わしさを遠ざければ、貧乏で居るしかない。自由経済の「自由」とは、人間一般の自由ではない。カネが勝手気ままに、振る舞える、『カネ持ち自由主義』に他ならない。

 

 金融はありあまるカネを使って、マスコミと教育を支配下に組み入れる。政治家も多くは、ゼニになびく。そして公務員は、なぜか世襲になっている。平和な余が続けば、人心は倦み腐る。自由主義経済とは、誰もが経済の主人公になれる、そのような夢の社会ではない。金融は通貨を発行出来る。この権能をもって、様々な企業を支配する。政治も金の力で、あやつり人形となす。行政もカネで言うことを聞かせる。

 自由経済とは、一般の人々をカネで縛り付ける、その様な経済のカラクリを言う、美称にすぎない。カラーテレビに、クーラーそれと自家用車をもてば、たいがいの人は「生活に満足」なのかなと、思う。いやマスコミなどを通じて、自分は「中流」と思い込む。

 

 ただの阿呆で法螺吹きなのが、例えば支那の「共産党」なのだ。

 原爆投下で日本国は、あれ以上の大虐殺を避けるために、終戦となした。

 毛沢東は火事場泥棒で、日本軍が去った支那を盗んだ。

 彼らの憲法には、支那はキョウサン党のものと憶面もなく書いてある。

 

 なぜ負けたかは、左近尉にはひとつの思いがある。明治維新で日本国の国体は、ユダヤ風に改められてしまった。これを書けば、きりがない。なので今回は置くが、必ずそのうちに書きたいと思う。とにかく今日は、『テロル』がテーマである。


 圧政を排撃するために、抑圧者を誅するのが、テロルの本義であった。

 それが、武力優位者が、無辜の市民を殺すことと、テロの意味がねじ曲げられた。権力者が被統治者を殺すことは、テロルとは絶対に言わぬ事であった。これは恐怖統治という。そして例えば、同時多発テロが、『米国政府の一部』が行ったと仮定するならば、恐怖による統治と言わねばならない。亦、米国政府が言う如く、「アラブのテロリスト」が行った事を真実と見るならば、どのような「利益」のために行ったのか、考えて見る必要がある。たしかに言えることは、あれだけのことをしてのけるには、強固な組織が関与していた。この事である。絶対的な、武力での優位者が、軍隊的な統率力でコントロールされていた。故に、何機もの飛行機が同じ日に、「自爆攻撃」をしたのだろう。

 このテーマも書き出せばきりがない。

 

 ただ言いたいことは、9.11事件以後から、『テロル』の意味が変節した。

 自爆と言うが、それの真偽はわからない。自殺攻撃と金融寡占に買われた、マスコミは書く。アラブやモスリム、そしてロシアの当局は、遠隔起動の爆破だと、対抗報道を行っている。

 

 圧制者つまり、武力優位のものを、殺す。自分の身の危険を顧みず、政府軍とか警察に、敢然と挑む。此処にテロルにたいしての、庶民の共感が生まれていた。だが今は、古色蒼然たる、テロリストの矜恃を聞くことはない。何故か最近のテロリストは、「自爆」して全員が死亡してしまっている。

 911以後のテロは、自分は陰に隠れて、『遠隔操作』で弱者・市民を殺している。

 

 イラクやパキスタン、あるいはインドで多発しているのが、やはり「イスラム過激派」の自爆攻撃なのだという。これがヤラセで、本当は「携帯電話などの、遠隔操作の起爆装置」を用いた偽装「自爆」だという意見は、イスラム圏内ではもっぱらである。あるいは、米英が、ユダヤのマスコミが言う如く、正真正銘の自爆なのか。

 ただ言いたいことは、この事件以後から、『テロル』の意味が変節した。

 

 イラクやパキスタン、あるいはインドで多発しているのが、やはり「イスラム過激派」の自爆攻撃なのだという。これがヤラセで、本当は「携帯電話などの、遠隔操作の起爆装置」を用いた偽装「自爆」だという意見は、イスラム圏内ではもっぱらである。あるいは、米英が、ユダヤのマスコミが言う如く、正真正銘の自爆なのか。

 

 左近尉が思うに、これは神風特別攻撃にヒントを得た、攻撃ではある。

 神風特攻は、敵の正規軍を攻撃目標にしている。


  これに対して

 いわゆる、『テロ』は無防備の「市民」が、無残に殺される。


 エノラゲイに特攻を仕掛けるのならば、これは正義の戦いであり、戦争である。

 敵でもない、無関係の人々を殺すのは、「セイギ」に名を借りた虐殺である。
  卑怯きわまりない、爆殺事件の裏側にいるとされたのが、「アルカイダ」であった。便利なことに、コヤツラは米軍がいる処ならば、世界中何処にでも出没する。

 

 

 支那の高速鉄道事故は、起こるべくして起きた事故だ。

 左近尉もこれは予感していたこと。なれどネットで人が死ぬよと、予言してどうなるものでもない。ましてやアホ莫迦・マヌケの支配する支那の事では、日本国内のネットで言っても詮無きこと。日本人の我は、少しばかり「言霊信仰」に似たものをもっている。なれば、「死ぬよ」といえば、その結果に、わだかまるものが生まれる。


 後知恵で言うよう、ではあるが支那の高速鉄道政策は、自爆政策であったとも言える。

 事故が起きようが、人が死のうがチュウゴクには、人が有り余っている。毛沢東も言ったではないか、『原子爆弾を落とされても、人口が多いので、どうって事はない。1億人殺されても、なんてことはない。』西側の人々が聞けば、驚愕の言をいとも容易く吐くのが、サヨク・コミンテルンなのだ。


 あの粗雑な鉄道建設と、中央制御の絶対性を欠いた運転の有り様は、必ず事故を引き起こす。そして是は現実のものとなってしまった。

 まさしく、911以後の「テロ」と様相が似ている。

 

 菅直人民主党政権の、『無策』は、支那狂惨頭と同じく、テロルである。

 仙谷由人腰抜けの、「全共闘の弁当運び」風情が、一番の親玉などという組織は、卑怯者、軟弱ものの集まりだ。それがあろう事か、拉致犯人たちに共感して、ベラボウな献金をしてのけた。共感と言うより『菅直人らは、拉致犯人の仲間』なのだと最近は確信しているのだが。


 菅直人のテロリストへの献金を報じなかった、マスコミも拉致・テロルの共犯と言える。

  被災地への復興支援を行わない。

 是こそまさに、唾棄すべき、テロルであろう。

 もちろんこの意味は、最近の『弱者』への無差別テロのことだ。

 弱者に対して、圧倒的な金融力をもった、『民間』なるものが、『特区』では土地と海とを明け渡せと迫っている。爆発物をしかけて、無辜の市民を殺した男に、正義などあろう筈もない。機関銃を乱射して、小さな島の中、逃げ惑う少女・少年を、殺した男には極刑がふさわしい。しかしサヨクの支配する、ノルウェーは死刑制度は廃止されている。


 日本国憲法の規定にしたがえば、民主党・菅直人テロリストは、あと二年も勝手に凶悪な日本解体を続けることを許している。

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