今たくさんのチュチュを縫っていながらもしこのミシンがなかったらいったいチュチュを作るのにどのくらい時間がかかるのだろうと想像しただけでミシンの有り難みがわかるというもの。
ボクが始めてのミシンと遭遇したのはもちろん母の使っていたものです。
昭和30年代に家には足踏みのミシンがありました。
さわってはだめだといわれてさわらないわけがないミシンはいつもうっすら油が回りにつき油の臭いがしていたものです。
おそらくボクが逆回転させたりテンションのダイヤルをあちこちまわした結果母は調子が悪いと思い込みいつも油を注していたのでしょう。
多分この型のミシンではなかったでしょうか。
昭和4年【ミシン】パイン100種30型:145円
国産最初の家庭用標準型ミシン「パイン100種30型」を発売。下糸機構に垂直半回転式を採用し、作業能率が飛躍的に向上しました。
母はその後縫い物より編み物に重点を置き始めこの古くて調子の悪いミシンは買い替えられることもなく置き去りになっていたようです。
そして姉が高校生の頃当時は花嫁道具の一部としてミシンがありそれが高価なものだったため積み立て預金を母が姉のためにしていたのです。
当時は女の子のいる家庭では皆やっていたのではないでしょうか。
どのくらいの月日がかかったのか定かではないが積み立て預金が完了してやってきたのはまさにこの型でした。
母の持っていた黒く光った足踏みとはかけ離れたモダンなポータブルミシンだったのです。
それでも今のものにくらべるととても重いです。
昭和39年【ミシン】670型、ハイドリーム:40,000円
東京オリンピック開催を記念して発売された「ハイドリーム」。
業界初の自社生産による軽合金ダイカスト製。
操作法もダイヤル方式でまとめ、画期的な完全自動機構を備えているうえ、重量も従来の2分の1という軽さで、歓迎されました。
このミシンは姉が嫁に行く以前にボクが学校で使うため東京に持って行ってしまったのです。
アルバイトをしながらも学校に通っていたのですがある時遊びのお金欲しさにこのミシンを始めてで最後の質屋に持っていきました。
いくらお金が入ったのかほとんど記憶はありません、質屋の店主にいついつまでお金を持ってこないと質流れになるとはっきり言われたことだけは覚えています。
あの重いミシンをまた持って帰りたくはないという気持ちと姉の嫁入り道具は質流れさせたくない気持ちが錯誤する中期限が来る寸前にどうにかお金を工面して持ち帰ったのでした。
その後姉が結婚した後もそのミシンはボクのもとで活躍していたのです、縫い物に興味のなかった姉はミシンはいらないといって嫁入り道具の一部にはならなかったのです。