雛祭り
今日は雛祭りだったのですね、生まれた田舎では旧暦で祝っていたから三月のひな祭りの頃はまだ寒かった記憶があります。
これは死んだ姉のもので毎日玄関ホールに置いてあります。
良く陽の当たる場所なので陽焼けしていますがこのあせた色が好きです。
この二人は座っているお内裏様とは異なり一体どなたなのかわかりません。
かれこれ70年弱前に購入されたもので庶民に買える一般的な物だったと思います。
今日は雛祭りだったのですね、生まれた田舎では旧暦で祝っていたから三月のひな祭りの頃はまだ寒かった記憶があります。
これは死んだ姉のもので毎日玄関ホールに置いてあります。
良く陽の当たる場所なので陽焼けしていますがこのあせた色が好きです。
この二人は座っているお内裏様とは異なり一体どなたなのかわかりません。
かれこれ70年弱前に購入されたもので庶民に買える一般的な物だったと思います。
今回の日本行きは初めて降りたつ中部空港での着発でした。
二十数年ぶりの名古屋は地理は全く覚えていないもののネット情報でどうにか行きたいところに行けて生地も買えて小さめな都会もまたいいものでした。
ところが地下街という場所は雨降りの時はいいのだが
回りの建物が見えないので方角を間違えるととんでもない方向に行ってしまいます。
生地探しとしては尾張一宮まで足を伸ばしました、
名古屋から電車で十分ちょっと、ここには近隣の織物会社から
でたサンプルやハギレが沢山ある Re-TAil という面白い店でした。
名所旧跡に行きたかったけれどあいにく台風上陸の前という悪条件で出かけることができなく残念でした。
もう少し街の地理を知ると名古屋はいい発着空港かもしれません。
ここ三年の間に二度にもわたり偶然出会った一人の中学の時の同級生がいた、
一度目はなんの差し障りのない会話で別れおそらくそれきりだろうと思っていた、
そして今年の六月またしてもばったりと出会ったがその時も強い思いもなく短い会話をして別れた。
五十年近くも合わなかった旧友に偶然とはいえ二度も出会ったことは
なにかの縁だろうと思わざるをえなかった。
その夜電話帳を開いて彼の電話番号を見つけるのは簡単だった、意を決して受話器を取ると連れ合いらしき人が出て簡単な自己紹介をしメールアドレスだけ伝えてくれるよう頼んでおいた。
数日してからのメールの返事からは行方の知れなかった僕のことは大分話題にのぼっていたことがわかった。
生まれ育った地元に住む彼らはかなり仲が良いらしく年に二回も同級会で親交をあったためているという、
あの頃から性的嗜好の違う僕はいじめられることは全くなかったがこうした会は極力避けてきたものだった。
九月に僕が帰ることを知ると是非とも同級会を開きたいという。
十六人参加するというだけで誰が来るのかも分からず
その日の朝からだいぶ緊張していた、
そんな心配もよそに会ってみるとなんら偏見もなく受け入れてくれたのは
やはりあの頃の彼らの優しかった心情からなのだろう。
さらに翌朝には思いもよらず農業をしている女友達が新米が採れたと言ってミョウガと一緒に持ってきてくれ、
午後には蕎麦粉と一緒に蕎麦の正しい打ち方のメモを持ってきてくれた男友達がいた。
こんな素晴らしい友を避けていた自分に情けなくなるやらで涙目になってしまった。
さて 一挙に木曽路からです。
暑いと聞いていた日本はちょうど季節の変わり目時で朝晩はとっても寒いです。
中山道にある奈良井宿に行ってきました。
ここは東西に連なる山に囲まれているため冬に来た時は日の隠れるのが早く寒かった記憶があります。
この日も一通り見終わったら雨が降り出し寒くなってきました、
流石に宿場町、軒先きが張りだし雨には濡れず歩くことができました。
全盛の頃には江戸から京都を行き来する人達で活気があったに違いありません、
今は観光客でにぎわっています。
それぞれの家の前には様々な鉢植えや小さな生花が置いてあり黒い家並みに彩りを与えています。
懐かしいおもちゃが骨董品屋さんの前に。
ここは木曽檜を使った塗物やつげの櫛も作られていたのです。
気になるもの、別れを惜しんで涙目です。
今回の旅は成田のカルーセルで名前を呼ばれた時から悪運が付いていたのです。
夏服は実家にあったのと数日だから下着をワンセット買えば一つを洗えばこの陽気では半日もするとカラカラに乾くのでそれだけが幸運でした、
もともと2週間ほどの旅でも僕は下着は着ているものを含め4セットだけと決めています、今では3セットで十分だと思います。
そして次には風邪をひいてしまいました、この真夏のような陽気で扇風機をつけて寝たのが間違いでした、ふしぶしが痛く寒気がする典型的な風邪です。
それからスーツケースは3日に配達される予定でした、
僕が記入した住所が不確定だということで送られてきたオリジナルの住所を見ると、
事もあろうか番地が違っていたのです、
生まれ育った家の番地を間違えるとはよほど疲れていたのでしょう、
四桁の番地の数字が二桁逆になっていたのです。
旅の半日程をスーツケース無しで過ごし
ようやく届いたスーツケースを開け一番に目に付いたものはあのピンクのパンツです。
でもこの田舎でピンクを着ることは違反に違いありません、
もちろん着ることはありません、安心してください。
東京でピンクのパンツをはいているシニアを見かけたら気軽に声をかけてやってください。