近距離列車の混雑模様<o:p></o:p>
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この札をもらって、改めてまた切符の行列に並ぶのである。<o:p></o:p>
朝四時五時からならんでいる人もあるそうで、僕がいったときはもう百五、六十人もならんでいた、碧く美しく晴れた空なのがまだしものことだ。しかしその空にはアメリカの飛行機が銀色の翼と胴をかがやかせて、悠々と監視飛行をやっている。<o:p></o:p>
……昨夜二時まで起きて本を読んでいたので眠くってしかたがない。<o:p></o:p>
「やいやい、金魚のうんこみたいにぞろぞろならびやがって、朝っぱらこんなところに暇そうに立ってる野郎の面あ見ろい。どいつもこいつもロクな面あしていねえ」<o:p></o:p>
と、突然発音不明瞭な声でこう怒鳴った者があって、振り返ってみたら、黒い角袖を着た老人が、煙草を横くわえしたまま、よろよろと歩いていた。酔っ払っているらしい。色んな悪口雑言を大声でしゃべっては皆を笑わしている。<o:p></o:p>
「天皇…天皇が何だい、あんなもの何でもありゃしねえ。あんなものあ床の間のお飾りみたいなもんだよ」<o:p></o:p>
といった。みんな黙っている。三ヶ月前ならこの老人は張り倒されたろう。<o:p></o:p>
わあーっという声がして、駅前の広場をアメリカ兵を乗せたジープが横切っていった。声はあとを追っかけて走る子供たちである。石岡にも進駐して来るはずで宿所まで決めてあったのだが、何かの都合で取止めになったそうだから、これは土浦かどこかに来ている進駐兵であろう。<o:p></o:p>
行列があんまり長くなり過ぎたので、心配した人が順々に数えはじめた。最初数えたとき百五十六番であったが、二度目のときは百八十八番になっていた。<o:p></o:p>
「途中から割り込む人があるんだよ。図々しいったらありあしない。いくら知ってる人だからって、割り込む奴も奴なら、入れる奴も奴だよ」<o:p></o:p>
「そりゃね、一寸便所にゆくくらいはいいさ。けど御飯食べに帰るとか、そんなのはまあいいけど、仕事しに家に帰るなんて、そんなこといやあ、だれだって忙しいわ。それをこうやって我慢してならんでるんだもの、公衆道徳ってものをもう少し守らなくちゃねえ」<o:p></o:p>
と、うしろの長屋風の女が、もっとも今の女は大抵長屋風になってしまったが、憎らしそうに話している。御当人たちだって時と場合によれば平気で割り込みかねない御面相である。<o:p></o:p>
二百と数えられた人の後の行列も、未練を残して決して去らない。二百枚内外に希望をつないでいるのである。<o:p></o:p>
やっと行列が動き出し、ほっとした。あと十人位でおしまいになる危ないところで買えた。その札を貰ってからまた切符の長い行列にならばねばならないのだが、一応松葉病院に帰る。町の家々は配給のサツマ芋を大事そうに蓆にならべて日向に乾かしていた。<o:p></o:p>
二時十四分の汽車で上京。大混雑。<o:p></o:p>
依然窓ガラスは破れ、座席の布裂けて藁のはみ出した汚らしい汽車、この汽車も「ポツダム宣言」をのせて走っているのだ。各駅ごとに、新しく乗り込もうとする人々と、デッキに溢れて身動き出来ない乗客との間には汚い喧嘩の応酬が起こる。
多分買出しであろう。重そうなリュックを背負った老人が強引にもぐり込んで来た。<o:p></o:p>