goo blog サービス終了のお知らせ 

うたのすけの日常

日々の単なる日記等

うたのすけの日常 韓国映画を観る

2011-02-24 05:53:08 | 映画

暖かい日射しに誘われました<o:p></o:p>

<o:p> </o:p>

 別段これといった映画をやっているわけではないのですが、家にじっと落ち着いていられぬ陽気であります。梅雨の晴れ間のような今日一日だけの暖かさと天気予報は言っています。朝食を食べ終わった段階で腹も決まり、「おかあさん、映画へ行こう、韓国映画の男たちの挽歌てえ映画」女性向きではないのですが、とにかく付き合ってもらいます。「八時五十分のバス、丁度ぴったし待たないで観られるよ」<o:p></o:p>

 かみさんはその間、洗濯を干し終え出勤前の娘に声をかけて家を出ます。遅い出勤の人も何人かおりますが、バスはガラガラの状態で水戸駅まで走ります。入場したのは小生たちが一番、ですが後から続々観客がというわけには参らず、途切れ途切れに観客が入ってまいります。ここで小生ハタと気づきます。入ってくる観客が女性ばかりなのです。それも四十代五十代といったご婦人ばかりでして、なるほどこれがヨンさん人気から始まった韓国ブームなのかと、その一端を如実に現していることに遅蒔きながら知ったわけです。<o:p></o:p>

 映画もメロドラマでもなく、殺伐な韓国の暗黒街を描いた女性の一人も登場しないといった、徹底的な日本映画でいうところの仁侠映画であります。脱北した兄弟が韓国で、兄はヤクザに、弟は刑事に。二人の葛藤を飛び交う銃弾を軸に描いた、多少はほろりとさせられる映画でした。<o:p></o:p>

 場内が明るくなり、退場する人たちを見ていると男性の姿は一人もおりません、ということは男性客は小生一人きりなのです。<o:p></o:p>

 芸能面での韓流ブームの凄まじさを、まざまざと見せ付けられました。この映画に登場した俳優たちの名前は、小生たちには皆目わかりませんが、きっと今日の女性客には周知のことで、胸をときめかして駆けつけたものと推察されます。<o:p></o:p>


うたのすけの日常 映画「太平洋の奇跡」

2011-02-14 06:46:08 | 映画

      梅雨の晴れ間のような晴天に誘われて

 昨日までのみぞれ交じりの雨や、小雪降る天気が嘘のようです。朝から青空が覗かれ、気持が高揚してまいります。人間なんて何て勝手なそして他愛のないものです。お天気次第でこうも気分が変るのですから単純ともいえます。
 そんな天気を見て、寝起き早々にかみさんに言いました。「映画見に行こうよ」「前から言ってたあの戦争映画?」「そうですよ」。小生早速メモしておいた上映時間の紙片を点検します。なにしろ日曜日ですので、一時間に一本のバスがさらに少ないので、上映時間との調整が難しいのですが、勿論ぴったりなんて望んでなどいませんが、なるたけ待たない時間のを選びます。
 そして選びぬいた時間が上映開始が十時五分、バスは八時五十分となりました。水戸駅まで約二十五分、到着は大体九時十五分。まあまあの待ち時間です。天気予報で洗濯日和と報じています。「洗濯している時間あるかしら」とかみさん言い出します。「成り行き成り行き」「そうね、あの子が早く終れば干していけるわね」

 そんなわけでして、朝食もそこそこに身支度にかかります。娘の洗濯が早くに終りましたのでかみさん、大童に洗濯に取り掛かりながらあれこれ洋服、コートとこれまた大忙しに身支度にかかります。とにかく無事ベランダに干し終え、バスに悠々の時間で家を出ることが叶いました。
 「ちょっと映画見に行ってくるよ」まだ出勤前の娘に声をかけます。「ええっ、こんなに早く」娘の呆れた声を背中に受けて、ゆっくりとバス停に向いました。

 映画の内容は太平洋戦争末期、米軍の圧倒的な軍事力に玉砕したサイパン島守備隊の、辛うじて生き残った四十数名の部下を統率し、米軍にフォックスと恐れられた一大尉の毅然とした態度を描いております。最後には民間人を投降させ、そして自ら「みんな一緒に日本に帰ろう」と部下を納得させて投降するといった、実話にもとづいた戦記です。
 スタッフ、キャストと、戦争を知らない世代が作った映画と話題性を含んだものですが、こまかいことを言えばかなりの不満はありましたが、少なくとも戦争の無意味さは十分に果たしていると、至って満足させられたいっ時でありました。

 映画が終った時間は測ったように十二時二十五分。駅ビルの鮨屋で昼食であります。「今日は飲みすぎないよう、二杯で止めますよ」と宣言して久保田のコップ酒を傾けます。つまみは中トロの刺身とイカげそのから揚げです。
 程よい酔い加減でバスにゆられて帰るのも、なかなか結構なことであります。


うたのすけの日常 「最後の忠臣蔵」を観ました

2010-12-22 18:44:02 | 映画

           小説家って凄い

 赤穂義士の吉良邸討ち入り後日譚とでも評したらよろしいのでしょうか。討ち入り直前に一人、討ち入り後に一人と、二人の義士が姿を消します。一人は義士の遺族や浪人に身を落とした、元浅野家家中の侍たちを探し出して、討ち入りの真相を話し、金銭的な援助をするため、内蔵助の密名で全国を旅するのです。
 そして本命がもう一人の義士の、内蔵助の隠し子を一人前の娘に育て上げ、それなりの家に輿入りさせようえとする働きが描かれます。身分を隠し、武士の娘としての矜持、技芸万端を教え込むのです。その身は討ち入り前夜に逐電した卑怯者の汚名を浴びながら、内蔵助の命をまっとうする武士の姿には大いに感銘を受け、もらい泣きです。
 いかし二人の仲は、男女の微妙な雰囲気が漂います。外出から帰った娘の足を、その素足を慈しむように盥の水で洗うシーンは象徴的でして、谷崎潤一郎の世界を彷彿とさせます。
 筋書きは省略せねばなりませんが、討ち入り後の挿話を見事に創り出した、原作者の技量と才能には感銘を受けました。

 俳優もみな達者でして、特に娘役の俳優は毅然とした風貌の中にも可憐さを漂わせ、何回か涙が滲んできたりしました。

 忠臣蔵の後日譚は 過去に何編かいろんな作家によって書かれています、例えば確か四十八番目の男といった小説もありました。今回は最後のと銘うたれておりますので、後日譚はこれが最後かも知れません。もし書かれるとしたら、「これが本当の最後の忠臣蔵」といったタイトルになるかも……。


うたのすけの日常 上天気に誘われて

2010-11-29 07:59:55 | 映画
     そうそういい映画にはぶつかりません

 上映時間に日曜日のことで、バスの時間がうまく合致しません。早目のバスで水戸駅前まで、そこで約二時間ぶらぶらして時間調整であります。北口のメインストリートを散策、銀杏坂と銘された舗道の銀杏が見事に黄葉しております。
 行きは日なた道、帰りは日陰道を歩きましたが、テナント募集の看板が目立ちます。何処の街でも同じ現象が噴出していることとて、今さらといったところですが、思いなしか人通りも少なく感じます。クリスマスの飾り付けも行われておりましたが、うら淋しい気分は拭えません。
 もっとも夜になって電飾が点灯されれば、趣も違ってくるのではないかと、期待もされます。ぶらぶらしながら薬局で切れ加減の歯磨きとバンドエイドを買います。かみさん一軒の店に立ちどまり、来年の干支である兎の置物を買います。小生は現実的な、かみさんは夢の買物とでもいえますか。
 三十分前に映画館にもどります。飲み物とポテトフライを買い場内へ。十五分前に開場です。映画は「行きずりの街」。映画の感想はと問われれば。これこそ簡単明瞭、一言で済みます。極端に分かりづらいです。一応ミステリー仕立てとありますが、筋立てそのものがミステリーでは、おまけに場面が現在と過去と転回も簡単に読みきれないのです。ただただ暴力場面が凄いばかりで現実離れしていて、おまけにとってつけたようなセックスシーンもついていけませんでした。

 かみさんの買ったプログラムを後で読むと、人物相関図が掲載されています。相手も相関図を載せなければ観客には理解できないと分かっていたのかも知れません。それなら観る前にじっくりこの相関図やストーリーを読み、頭に叩き込んでから観ればよかったと悔やまれました。なるほど、そうだったのか、そういう関係にヒーロー、ヒロインの二人はあったのかと悔やまれます。
 しかしミステリーとある以上、余り筋書きを前もって知ってしまうのも、如何なものかと疑問も残ります。ただ都会の繁華街を舞台とした画面画面が、年寄りには刺激が強いと申しますか。こんなところには、とてもじゃありませんが住めないといった恐怖感が、しきりと湧いてきました。
 なれば映画の製作者や監督は、己たちの目的を達したともいえなくもありません。

うたのすけの日常 最近映画に凝ってます

2010-01-08 06:10:38 | 映画

映画「アバター」を観ました<o:p></o:p>

<o:p> </o:p>

SF超大作と宣伝文句に釣られたわけでもなく、SF物も元来好みでないのですが、予告編を何回か見せられるうちに、何となく気分が乗って劇場に足を運びました。かみさんとはいつもあたし本位で観賞する映画を決めていていささか気がひけるので「おかあさんは、どっちかというと、恋愛物のがいいんじゃないの」と話を向けると、「別にそんな事はないわよ、べたべたしたのより、ばんばん鉄砲撃ったりするのが好きよ」といった返事が返りました。西部劇やギャングものを指しているのです。<o:p></o:p>

それは好都合と「アバター」観にいこうと誘ったわけですが、なんだか気味悪そうと言うのです。メイキャップのことを言っているのですが、そんなことないよと納得してもらいます。<o:p></o:p>

当日バスの時間を間違えて1時間も早く劇場に着いてしまい、かみさんに笑われながら、喫茶店で時間を潰しました。最近こんな間違いを多々起こすのです。映画の終わるのが2時を回るので、ポテトフライを買って入ります。<o:p></o:p>

話としては単純明快、22世紀、人類が地球から遠く離れた衛星パンドラに莫大な利益を生む鉱石を発見し、それを得るため先住民族を駆逐しようと策略を巡らし一挙に攻め立てるのです。どうやら昔の西部劇が彷彿と浮んできました。インデヤンの土地を奪い彼らを居留地に閉じ込めるといった手法に良く似た筋立てです。<o:p></o:p>

異色なのはこの星の先住民と人間のDNAを組合わした肉体(アバター)創り、尖兵として元海兵隊員が先住民族の世界に派遣されるのです。彼は族長の娘と恋に落ち、話し合いで事を運ぼうと努力を続けるのですが、両者の狭間でもがき苦しみます。結局は先住民族側に組して地球側と戦い、勝利を収めるといったお話です。<o:p></o:p>

パンドラの世界の美しさ、恋あり戦いありといった贅沢極まるお膳立てで楽しいひと時を過ごしました。<o:p></o:p>


うたのすけの日常 今朝も映画のお話です

2009-11-24 05:03:20 | 映画

小春日和の予報につられて<o:p></o:p>

<o:p> </o:p>

 早朝の散歩、天気予報にはほど遠く、時間も早いが曇天で太陽の光が届かず、予報は外れだなとぼやきながら出だします。しかし朝の食事の時間になると、みるみる雲は取り払われて青空一色の好天気となりました。さっそく昨夜かみさんと話し合った通りに、映画を観に行くことを再確認します。<o:p></o:p>

 7時朝食を済ませて8時50分のバスで水戸行きとなりました。映画はもちろん朝一番の9時30分からです。かようにバスの時間と上映時間の調節が上手くいくなんて滅多ありません。9時20分にはチケット売り場に並んでいました。映画のタイトルはいとも簡潔「2012」でして、上映は字幕版と吹替版とに別れます。どちらにするかと思案のしどころですが、かみさんの「吹き替えのがいいわあたし、字幕だと読んでるうちに変ってしまうですもの。」といった子供みたいな言い分を通して吹替版と既に決まっております。<o:p></o:p>

 今回の映画、ふた月も前から予告編を何度か見せられていて、そのド迫力に圧倒され、よし、見るぞと決めていた映画です。<o:p></o:p>

 2012年12月21日、マヤの予言通り、世界は終わる…世界の余命は3年と、ショッキングなチラシの文面でして、映画はそれに違わず地球を襲う天変地異が飽くこともなく、次々と胸の鼓動が停まるのではないかと思うほどの迫力で迫ります。いやはやよくもここまで出来たものと、その執念には技術力と共に拍手です。もちろん度肝を抜く画面に、一応のお話が添えられてはいますが、その内容はいささか無理があってあくまで二義的なものです。<o:p></o:p>

 とにもかくにも映画は世界規模の大洪水、大地震、大津波、大噴火が見物でして、その特殊撮影の規模と技術力には、あらためて執念さえ感じられた映画でした。<o:p></o:p>


うたのすけの日常 気晴らしには映画です

2009-11-23 05:49:54 | 映画

映画を観てきました<o:p></o:p>

<o:p> </o:p>

「面白くなければ全額返金します」の宣伝文句に惹かれての映画鑑賞です。それより最近映画を観る回数が増えてきております。観だすと映画は後を引くといいますか癖になりまして、ひと月に一回か二回のペースで観る様になりました。ところで今回の映画のタイトルは、「イングロリアス・バスターズ」破天荒といいますか、荒唐無稽に近い内容のアメリカ映画です。<o:p></o:p>

フランスの片田舎の牧場主の娘が、ナチに家族を殺害されてしまいます。舞台はがらりと変わって、娘はパリの映画館主となって登場します。彼女は家族の復讐に燃えていますが、それに連合軍特殊部隊の、ドイツ軍の殲滅作戦を交えて話は進みます。彼女の経営する映画館にドイツ映画の上映が企画され、そこにヒットラーはじめナチの要人たちが集まってドンパチが始まるのです。このクライマックスだけを見ても、いかに話がとてつもないものかが分かります。<o:p></o:p>

出掛けに娘に見に行く映画を聞かれて話しますと「ああ、面白くなければ入場料返すって映画ね。でもそれって最後まで観てたらダメなのよ。確かラストの何分か何10分か前に出なくてはダメなのよ。」と注意してくれます。「そりゃそうだな、全部観て面白くないじゃ筋は通らないものな。」途中から出る気もないのに、小生尤もらしいことを言います。<o:p></o:p>

戦争アクションでもあり、かなり辛酸な場面もありまして、女性向きではないのは確かでして、かみさんの反応がちと心配でした。とにかく一点だけ語れば特殊部隊の隊員が、ドイツ兵の頭の皮を剥いだり、バットで殴り殺すといった場面もあるのですから度肝を抜かれます。全編機銃の音が凄まじく館内一杯に鳴り響き、火薬の匂いが充満してくるようなアクションが繰り広げられるのですから。おまけにラスト近くには炎と爆発が用意され、とてもではありませんが、途中から出だすなんて芸当は出来ません。<o:p></o:p>

最後まで観て、硝煙と機銃の音と炎に追いかけられるような気分で映画館を後にしました。いずれに致しましても最後までハラハラドキドキの連発で、その演出力、サービス精神には脱帽です。<o:p></o:p>


うたのすけの日常 映画鑑賞

2009-02-26 07:10:45 | 映画

映画チェンジリングを見ました。<o:p></o:p>

 <o:p></o:p>

 映画は見だすと癖になりますね。今年は早々にゲバラの映画を一部二部と見て、予告編の影響もあって先日かみさんと一緒に見てきました。<o:p></o:p>

 息苦しい怖い映画です。クリント・イーストウッドが人気女優アンジェリーナ・ジョリーと初めて組んだ話題作ということですが、残念ながら彼女のことは全然知りません。なにしろもう何十年も映画は年に一度見るか見ないかが続いているのですから。<o:p></o:p>

その昔それは映画館に通ったものです。ラーメン一杯30円か40円の時代と言っておきます。或る年に一年間チケットの半券を貯めたことがあります。数えてみるとなんと100枚を超えていました。それよりあたしが見た映画館は、封切館は少なく大方二番館か三番館で二本立てか三本立てが主流でした。梯子して見たこともありますから、年に400本は軽く見ていた勘定になります。その頃昼飯に25円のラーメンを食べた記憶が残っています。もっともチャーシューの代わりに薄ぺったいハムがのっていましたが。帰りは電車賃もなくなり、浅草から日暮里までよく歩いて帰ったものであります。そんなわけで映画は確かに見だすと切りがなくなり、それは一種の中毒症状といえます。<o:p></o:p>

話を戻します。映画はサスペンスもあり、謎を秘めたストリーが展開されますので詳細はお話できません。 <o:p></o:p>

舞台は1928年のロサンゼルスです。当時の街並みやファッションが克明に映し出されるのは見事です。

シングルマザー、クリスティンの息子ウォルターが突然失踪します。警察が息子を発見するものの、その少年はまったくの別人なのです。ここから警察と母親の壮烈なそして過酷な闘いが始まります。そのことを信じてもらえないクリスティンは思わぬ運命を辿っていきます。当時の腐敗した警察が事件の裏側にひそみ、身の毛もよだつシーンが続きます。

主演のアンジェリーナ・ジョリーの演技にあたしは圧倒されっ放しでした。脇役陣も個性的な納得できる演技を披露してくれています。

たまには映画鑑賞もいいものと、映画の良さを再確認した一日でした。


うたのすけの日常 久しぶりに映画館へ

2008-12-03 06:32:27 | 映画

映画「私は貝になりたい」を観る<o:p></o:p>

「どうだい、久しぶりに映画でも見に行くか」朝方思い立ってかみさんに声をかけました。すると「そろそろストレスが溜まったようね」と笑います。「そんなことありませんよ。先月はなんだかんだで医者通いが続いてたから厄払いだ。それより日赤の検査がまあまあだったからその祝い酒も兼ねてだ」「そういえば先月は目医者、歯医者、内科、そしてインフルエンザの注射。極めつけが日赤の泌尿器科」。「バカにならべたな、麻生さんが渋い顔するわけだ」。<o:p></o:p>

 まあそんなわけでして結構医者通いが続いたのです。飲む飲まないは二の次でして見たい映画があるのです。<o:p></o:p>

 「私は貝になりたい」をかみさんに勧めますとあっさり賛成しましたので、それではということとなりました。<o:p></o:p>

 娘が映画の時間をインターネットで調べてくれます。食事してぎりぎりに1回目に間に合いそうで、朝から大忙しとなりました。間に合うかなといつもの心配性が顔をだしますが、コマーシャルが映画の前に何本もやるから大丈夫とかみさんは落ち着いたもので、着ていくものの選別をゆうゆうとこなしています。天気はよし外出にはもってこいの陽気です。<o:p></o:p>

 <o:p></o:p>

チケット売り場で席を決め、大枚2千円を払います。シニア料金です。以前というより昔は身分証を提示したものですが、今は2枚の一声でパス<o:p></o:p>

となります。老化した顔が証明書なのでしょう。こんな話を出掛けに娘に聞かせると、ぎりぎりの齢の人は必要かもしれないと言う。それに対してそうだろう、こっちはもうどっから見ても正真正銘の年寄りだと、胸を張ったというわけであります。<o:p></o:p>

 1回目とあって場内がらがらでの上映でした。この映画昔テレビドラマでフランキー堺主演で上演されたことがあります。日本本土に無差別爆撃を繰り返すB29が撃墜され、パラシュートで脱出した瀕死のバイロットを日本兵が銃剣で刺殺します。<o:p></o:p>

戦後家族のもとに無事復員した主人公は家業に精を出し、平和な日々を過ごしていますが、突如長閑な四国の山村にジープでMPが現れ、戦犯として妻や子供の泣き叫ぶなか連行していきます。妻のお腹には二人目の子供が宿っています。<o:p></o:p>

主人公は最下級の二等兵です。上官の命令は天皇の命令であるという鉄則のもと、銃剣を手にしたわけです。そしてB級戦犯として横浜の軍事法廷で裁かれる羽目になります。日本の軍隊で二等兵は馬や牛以下で上官の命令には絶対服従であり、逆らえば銃殺もあると訴えますが復讐に燃える戦勝国の軍事法廷が受け入れるわけはありません。絞首刑の判決が出て死刑囚として監房に死刑執行の日を待つ身の上となります。<o:p></o:p>

四国の妻子は死刑判決を知らされ上の子の手をつなぎ、乳飲み子を背負って面会に横浜四国と往復を重ね、再審請求の署名運動にも奔走するのです。涙なくして見られないシーンがくりかえされました。<o:p></o:p>

恐らく満員の場内でしたらすすり泣く、或いは泣きじゃくる音声が充満したと思います。だからどうなのと問われても困りますが、この一編の映画が平和の偉大さ、大切さが、キナ臭い空気がじわじわ身近に忍び寄ってくるような昨今、少しでも意識されれば結構なことと考えたりしました。<o:p></o:p>

<o:p> </o:p>

結末は敢えて省略しますが、びっくりしたことがありました。それは主人公は片足が不自由なのに召集されたということです。そのような人まで兵隊にしなくてはならないという悲惨さに愕然とし、あらためて戦争の無謀無残さを知らされました。<o:p></o:p>

 映画は丁度12時に終わりました。

うたのすけの日常 昔の映画を観る

2008-04-26 05:26:35 | 映画

南の島に雪が降る<o:p></o:p>

<o:p> </o:p>

衛星放送で昭和36年製作の東宝映画「南の島に雪が降る」を見ました。映画の内容は置いといて、自分がつくづく年取ったなあと実感しました。とにかく懐かしい役者が、当たり前の話ですが次々と登場です。森繁久弥・加東大介・有島一郎・西村晃・小林桂樹・フランキー堺・桂小金治・渥美清・志村喬・伴淳三郎・三橋達也・織田政雄・細川俊夫等。いずれも名優の名を欲しいままにした役者で、既に鬼籍に入った人が大半ということも、わが身になぞらえて感無量というわけです。<o:p></o:p>

映画は同名の加東大介の自伝小説が原作となっています。敗色濃厚のニューギニアで将兵の戦意高揚と慰問を兼ねて演芸部隊が結成されます。前進座の役者だった加東大介が指揮をとって、劇場までつくってしまうといった感動作です。最後の芝居では「瞼の母」でクライマックスに雪を降らせて将兵たちの涙を誘うのです。<o:p></o:p>

映画を見て今更ながら戦争の残酷さ、非情さ無意味さが無念でなりませんでした。飢えと病に加えての激しい空爆に、なす術もなく逃げ惑い多くの将兵が命を落としていくのです。しかしこのニューギニアの苛烈な戦場でも、戦線によって運不運があるといったことが分かりました。ラストシーンのナレーションで何千という将兵が、昭和22年復員船に乗船したと言ってます。<o:p></o:p>

私ごとながらかみさんの叔父はこの地で戦死しており、もう一人の叔父は沖縄で戦死しています。二人は部屋住みのまま召集され、戦地へと向かいました。かみさんとはそれまで同じ屋根の下で暮らしており、ずいぶん可愛がられたと言っております。長女として生まれたかみさんには、二人の叔父は叔父というより優しい兄といった存在だったのです。