身につまされました
テレビで、早くも日本アカデミー賞そのほか数々の賞を受賞した映画、「明日の記憶」が放映されると宣伝していました。さてどのくらい前に上映されたのかと手元の原作の本をしらべてみました。その本は発行が去年の6月で16刷でして、その帯に5月13日全国ロードショーと映画化の宣伝文が書かれてあります。上映されたのはざっと一年前ということになります。テレビに登場するのが果たして早いのか遅いのかはわかりませんが、問題はその映画を見たか見てないのかが定かでないのです。勿論原作はあたしも家内も読み終わってます。映画はと家内に聞くとあたしと同じに、なんか見たような気がすると頼りないことを言いますし、映画の一コマ一コマが脳裏に浮んだりするのです。ですがテレビ欄に名前が出ている大滝秀治が、出演していたかどうかの覚えがありません。それで急遽とにかく録画だけでもしておこうと、番組表を睨んで操作を終えたといった次第なのです。そして昼間ゆっくりと腰を据えてその映画を見たわけなのですが、巻頭部分で見ていないことがわかりました。あたしは原作の本のカバーに模された、映画のワンシーンがいつの間にか頭に入っていて、映画を見たという錯覚に落ちていたのです。つくづくこの現象に情けなくなりました。
映画はある日突如夫が、アルツハイマーになる中年夫婦の悲劇を描いたものです。夫の病状が進んでいく中、夫婦間の情愛や、夫が職場で日ごと病で追い詰められていく姿が悲惨で、胸が締め付けられます。夫婦して専門医を訪ね診断を受けますが、アルツハイマーと診断されその病気が今日の段階では治療の方法はないが、進行を遅らせる薬はあると告げられます。夫の若年で罹ると進行が早いのではないかと、医者に食ってかかるといった心身ともに乱れる様が哀れです。
さて、夫が最初に診察の際ごく初歩的な診察が行われ、彼が子供だましと怒るシーンがあるのですが、その検査の方法過程は原作を読んで知っていましたので、画面を見てあたしもやってみました。
医者の質問です「今日は何曜日ですか?」彼が言いよどむうち「では、今日は何月何日」ですか。彼はとっさに答えられず、誰だってあることでしょうと反駁します。あたしも映画の流れに身を置いて答えようとしましたが、直ぐに答えられません。次に医者はこの言葉を憶えていて下さいと「あさがお、飛行機、いぬ」と言い、二三質問を挟んでさっきあげた言葉は何でしたかと質問します。「さっきの、言葉?」「ええ、植物、乗り物、それから動物の名前をあげたのですが」彼は答えられず、医者は後の質問に移るのです。あたしも見事に即座に答えられませんでした。次の質問も彼と共に討死です。それは机の上に四つの品物を並べ「これをよく見て下さい」と言い、いきなり傍の角封筒でそれを覆い「机に並んでいたのはなにとなにでしたか」との質問でした。結局彼はレントゲンによる脳の精密検査でアルツハイマー病と確定されるのですが、病気が進行していくうち、映しだされる患者の精神的な荒廃が恐ろしく、老人であるあたしには役者の好演もあって身につまされるものが多分にありました。
映画を見てつくづくと思いました。人間老いれば物覚えは確実に後退し、記憶力の衰えも度忘れではすまされないこともあります。幸い年の功でおとぼけ戦術で凌ぐ術は心得てはおりますが、一抹の心細さは拭えません。
出来ることならボケなる老化現象が、まだらボケで収まるか、ボケでも雪崩ボケといった急激なものでなく、雪解けボケといった好ましい状態で、周りの者に穏やかに見守られてあの世に収まりたいものです。