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うたのすけの日常

日々の単なる日記等

うたのすけの日常 映画「明日の記憶」を見ました

2007-07-06 05:03:42 | 映画

 身につまされました

 

 テレビで、早くも日本アカデミー賞そのほか数々の賞を受賞した映画、「明日の記憶」が放映されると宣伝していました。さてどのくらい前に上映されたのかと手元の原作の本をしらべてみました。その本は発行が去年の6月で16刷でして、その帯に5月13日全国ロードショーと映画化の宣伝文が書かれてあります。上映されたのはざっと一年前ということになります。テレビに登場するのが果たして早いのか遅いのかはわかりませんが、問題はその映画を見たか見てないのかが定かでないのです。勿論原作はあたしも家内も読み終わってます。映画はと家内に聞くとあたしと同じに、なんか見たような気がすると頼りないことを言いますし、映画の一コマ一コマが脳裏に浮んだりするのです。ですがテレビ欄に名前が出ている大滝秀治が、出演していたかどうかの覚えがありません。それで急遽とにかく録画だけでもしておこうと、番組表を睨んで操作を終えたといった次第なのです。そして昼間ゆっくりと腰を据えてその映画を見たわけなのですが、巻頭部分で見ていないことがわかりました。あたしは原作の本のカバーに模された、映画のワンシーンがいつの間にか頭に入っていて、映画を見たという錯覚に落ちていたのです。つくづくこの現象に情けなくなりました。

 映画はある日突如夫が、アルツハイマーになる中年夫婦の悲劇を描いたものです。夫の病状が進んでいく中、夫婦間の情愛や、夫が職場で日ごと病で追い詰められていく姿が悲惨で、胸が締め付けられます。夫婦して専門医を訪ね診断を受けますが、アルツハイマーと診断されその病気が今日の段階では治療の方法はないが、進行を遅らせる薬はあると告げられます。夫の若年で罹ると進行が早いのではないかと、医者に食ってかかるといった心身ともに乱れる様が哀れです。

さて、夫が最初に診察の際ごく初歩的な診察が行われ、彼が子供だましと怒るシーンがあるのですが、その検査の方法過程は原作を読んで知っていましたので、画面を見てあたしもやってみました。

 医者の質問です「今日は何曜日ですか?」彼が言いよどむうち「では、今日は何月何日」ですか。彼はとっさに答えられず、誰だってあることでしょうと反駁します。あたしも映画の流れに身を置いて答えようとしましたが、直ぐに答えられません。次に医者はこの言葉を憶えていて下さいと「あさがお、飛行機、いぬ」と言い、二三質問を挟んでさっきあげた言葉は何でしたかと質問します。「さっきの、言葉?」「ええ、植物、乗り物、それから動物の名前をあげたのですが」彼は答えられず、医者は後の質問に移るのです。あたしも見事に即座に答えられませんでした。次の質問も彼と共に討死です。それは机の上に四つの品物を並べ「これをよく見て下さい」と言い、いきなり傍の角封筒でそれを覆い「机に並んでいたのはなにとなにでしたか」との質問でした。結局彼はレントゲンによる脳の精密検査でアルツハイマー病と確定されるのですが、病気が進行していくうち、映しだされる患者の精神的な荒廃が恐ろしく、老人であるあたしには役者の好演もあって身につまされるものが多分にありました。

 映画を見てつくづくと思いました。人間老いれば物覚えは確実に後退し、記憶力の衰えも度忘れではすまされないこともあります。幸い年の功でおとぼけ戦術で凌ぐ術は心得てはおりますが、一抹の心細さは拭えません。

 

出来ることならボケなる老化現象が、まだらボケで収まるか、ボケでも雪崩ボケといった急激なものでなく、雪解けボケといった好ましい状態で、周りの者に穏やかに見守られてあの世に収まりたいものです。


うたのすけの日常 久しぶりの映画

2007-05-16 07:25:30 | 映画

    「俺は、君のためにこそ死ににいく」を観る

 
随分と映画を観ていない。確か最後に観たのは「ラストサムライ」である。あの映画もかなり話題になったが、あたしには荒唐無稽以外の何者でもなかった。隣の席でかみさんも、かなり退屈しいてたはずである。大体が女性向の映画ではなかったのである上、あたしが誘ったので、いささか心苦しかったのを憶えている。今回は夕刊の広告欄を見ていた「あっ、この映画明日からだは」のかみさんの言葉で見に行くのが決まった。
 バスで映画館に着いて、上映まで40分ぐらいの間がある。当地にもシネコン?というのか当節流行のミニ映画館の集合した建物が出現している。初めてのこと時間があるのでゆっくりと場内を見て巡ることが出来た。八つの館があるのには驚きである。各館指定席で、自ずと入れ替え制である。このことは予め孫に聞いて先刻承知のこと。上映時間も携帯で調べてもらってあるので、気持は余裕たっぷりである。長いカウンターで各種の飲み物食べ物が売られている。おまけに生ビールまである。「トイレ大丈夫」と言うかみさんの心配をよそに中ジョッキを頂く。物見遊山の気分である。ベンチに腰を下ろし辺りを改めて見回す。土曜日のせいか、中高生らしき子供たちの姿が多い。今の子供たちは親も含めて大変だとつくづく思う。奇麗な格好をし、色とりどりの飲み物や食べ物を買い求め、館内のあちこちに屯して話しに興じたりしている。すぐそばにはゲームコーナーもあってなかなか賑やかである。なまじっかの小遣いでは間に合うまい、人様の経済のこととはいえ親御さんのやり繰りの苦労がなにかと想像される、己の娘親子を含めて。
 そんな感慨にふけっているうちに上映時間が迫り、場内に足を踏み入れる。席数目算で200ぐらいか、段差があって実に見よく前の席との幅も十分取られていて、至極満足である。前置きが映画を離れて脱線気味であるが、ここで軌道を映画に戻すことにする。

 この映画「製作総指揮、脚本・石原慎太郎」とあります。特攻の母といわれた鳥浜トメさんをモデルに、彼女が知覧でいろいろ語られた、特攻隊員との交流を元に脚本を書かれたものと想像される。
 結論からいうと題名と内容がそぐわない。「俺は君のためにこそ死ににいく」というテーマがぼやけている。なぜ特攻作戦が採られたのか、映画では特攻隊生みの親と言われた大西滝治郎中将を登場させ、敗色濃厚の戦況下にある日本の国体護持を語らしている。そして上級将校をして特攻による戦況好転を足場に、有利な条件で講和に持ち込むと言わせている。そのために二十前後の若者が死地に追いやられるといったのがテーマともとれるのである。母や恋人親兄弟の幸せを願い、日本の勝利を信じ毅然として死地に赴くといった、悲壮感あふれるタイトルとはかなりの距離がある。
 しかし若い隊員たちと、岸恵子(美し過ぎる)扮する鳥浜トメさんとの、出撃間際の日々の交流には、目頭が熱くなりぱっなしであった。俳優たちはみな熱演であり、巧みである。それだけにいっそう隊員たちの憐れさが胸を打つ。それにもまして既に世界に誇ったゼロ戦の性能も連合軍の後塵を浴び、優秀なパイロットは南海に没している。未熟な技量で、整備不良の飛行機で死地に追いやられた若者の無念さ、映画ならずとも涙は尽きない。しかしここでに言わせてもらえるなら、ラスト近く隊員たちが次々と敵艦に体当たりするにはほど遠く、敵弾を浴び全身血だるまになって死に行くさまを、これでもかこれでもかと見せるのはいかがなものか。せめて遠景で見せて欲しかった。
 
 改めて言うが役者は男優も女優もみな好演といえる。誤解を恐れず言わせてもらえるなら、日本の俳優は軍人を演じさせたら天下一品である。女ならさしづめパンパンガール(街娼)であろうか。


うたのすけの日常 映画を観て感泣する

2007-04-10 05:52:56 | 映画
   テレビで「男たちの大和/YAMATO」を観ました

 昨日は朝から雨模様
朝食を済ませて部屋に戻り、予定通り映画鑑賞の一日としました。録画した映画が四五本溜まってしまっているのです。最初に「男たちの大和/YAMATO」を観ました。泣けました、いや、泣かされました。
 今大戦末期、沖縄の戦いに参戦した、当時世界最新鋭の戦艦として世界に誇った大和の最後を描いたものです。というより大和に乗艦し大和と運命を共にして散った、兵士たちの人間ドラマといえます。大和は片道の燃料で航空機の護衛もなく、文字通り特攻戦艦として沖縄戦を有利に導くため出撃したのです。沖縄本土に突っ込み艦そのものを陸の砲台と化し、米軍の上陸を阻止せんとした作戦だったのです。しかし航空機の護衛なしの艦船の末路がいかなるものか、ミッドウェイで海軍も軍部も思い知らされていた筈なのにです。戦闘機の保有も底をついた海軍は、大和に死に花を咲かさせようとしたのでしょうか。死に場所を与えたというのですか。三千の将兵の犠牲もろとも。
 無謀以上の自国民の虐殺ともいえる作戦です。あたしは迂闊にも大和に映画で知らされたのですが、多くの少年兵が乗艦していたとは知りませんでした。十五六の子供です。今の高校生と同じ年齢です。新聞のこの映画の紹介記事の見出しに「若き兵士たちの壮絶な闘い」とありましたが、それをいうなら幼いそして稚拙な兵士たちの闘いです。体に倍する機関砲を仕官に叱咤され、操作する姿が憐れで涙が出ます。身に余る砲弾を砲台に運ぶ姿は悲惨です。何が世界最新鋭の戦艦大和ですか。弾薬砲弾の補給に、砲台まで弾薬箱を担ぎ階段を昇るのです。砲弾を抱き砲台まで階段を昇るのです。人間の体力を計算しない、無謀な設計の上に造られた戦艦といえます大和は。
 訓練で砲弾を落とした少年兵が、下士官に凄惨なリンチを受ける場面が描かれ、目を覆いたくなります。陸軍の内務班での制裁となんら変わらぬリンチが、大和でも行われていたのですか。内地の家族を護るため、日本の国体維持のため、戦いの勝利を信じ身を挺して死地に赴く少年兵を殴打する組織に対し、今更ながら怒りに身が震えました。それはあたしだけではない筈です。勿論映画ではそれをホローする挿話も描かれてはいますが。

 大和は沖縄まで隠密に航行しますが偵察機に発見され、今やこれまでと沖縄に直行しますが、敵機の攻撃に晒されます。映画ではそれが実際なのでしょう、これでもかこれでもかと執拗な敵機の攻撃が描かれ、乗員たちの悲惨に死に行く様が酸鼻そのものに描かれていきます。その間に乗員たちの在りし日の挿話や、語り部の想いが重厚に語られ、これにも泣かされました。
 最後の休暇で郷里での、束の間の身内や恋人との逢瀬が涙を誘います。郷里が遠く、郵便局から俸給を国許の母に、為替で送る少年兵の姿が憐れです、全てが凄惨極まる戦いの序曲でした。
 
 隣でいつの間にか来て観ていた妻が、涙声で戦死した二人の叔父さんたちの名前を繰り返し口に出します。沖縄とニューギニヤで戦死しているのです。叔父さんたちはみんなこんな風に死んでいったのねと。そして少年兵が勤務の間の帰郷で、母の作るぼた餅を食べる場面では、母と一緒にぼた餅を持って叔父の面会に、水戸の連隊に行ったと話し泣きます。終戦間近、谷田部航空隊の特攻隊員たちが実家に遊びに来たことをぼそぼそ話します。そして直ぐにその後戦争が終わったから無事、親元に帰れたろうと昔を偲んで声を震わせています。

 敵機の猛撃で艦の運命は決まりました。艦長は全員退艦の命令を発します。映画は上官に生きるんだと、海に落とされた少年兵のその後を語ります。復員した彼は死んだ戦友の母を訪ねます。母は一度は彼におめおめ生きて帰ってとなじります。しかし野宿して早朝黙々と田植えをする彼に、母は握り飯を差し出します。彼は土下座しておめおめ生きて帰ったことを、戦友の母に詫びるのです。母は彼の手を握り二人は号泣します。
 彼即ち語り部を演じた老人は、生き残った負い目を一生背負ってその後の人生を、戦死した仲間の弔いに捧げたのでしょう。辛い余生だったのでしょうか。あたしにはわかりません。


うたのすけの日常 「男はつらいよ」あたしも辛い

2007-02-11 06:00:27 | 映画

        「男はつらいよ」シリーズの放映終わる

 NHKの衛星放送で放映されていた「男はつらいよ」48作品の放映が先ごろ終わりました。あらかたの寅さんファンは録画に懸命だったと思います。そういうあたしもそうでした。
 たしか放映される以前にある映像会社とでも申すのですか、全作品をいろいろ寅さんグッヅをつけたり、解説書を添えたりして大々的に売り出したことがありました、その行方はどうなったのでしょうか。あたしはもう少しで買おうと思ったのですが、思いとどまりました。それが正解かどうだったか、その会社のその後の運命が気になります。NHKの放映以前にかなりの数を売り切っていればよいと、他人事ながら心配します。

 NHKの放映では最初にいろいろ解説がつきます。それによって疑問に思っていたことが一つ解けました。それはこうです。映画の冒頭は江戸川の土手を行く寅さんの姿です。そこで色々笑いのシーンが繰り広げられるわけですが、そこにあたしは疑問に持っていたのです。なぜなら団子やに帰るには、柴又の駅からなら一直線とは言いませんが近い訳です。なにしろ数ヶ月ぶりの帰郷です。可愛い妹や、とらやさんの家族に一刻も早く会いたいはずです。それなのにわざわざ遠回りして帰る、現に旅たつときは、それが喧嘩の挙句か、悲しい旅たちか、いづれにしても店を出て左の方向、柴又の駅へ向かうわけです。厳密にいえば最初のほうの作品で、店を出て右、即ち帝釈天の方角へ行ったことがありますが、それは例外です。
 それを今回の解説では、寅さんにとっては江戸川の土手や河原は、子供の時分の遊び場で一心同体というわけです。懐かしさもあり、そこを歩くことによって、生まれ故郷に戻ったという実感を肌で感じ取りたかった。そんな意味合いのお話でした。
 あたしは単に映画作りの一つの手法と見ていて、その上で納得したかったのですが、深追いはせずに素直に納得することにしました。しかしもう一つ疑問があるのです。寅さんの仕事上のことです。寅さんの仕事はテキヤで、一般的に香具師とか露天商とか言われていて、テキヤは的やとも表します。地方のお祭りとか、縁日、又はそれとは関わりなく人通りのある通りで店を広げます。多種多彩な商品を扱います。大きな品物を大量に積み上げて啖呵売をするわけです。
 寅さんの旅のいでたちは例の雪駄履きにトランク一つです。何処でどうやって、商品を仕入れたり運んだりするのでしょうか。そんなシーンをみたことがないのです。商品は忽然と現れ、次のシーンでは煙の如く消えています。そして飄然とトランク一つの寅さんの姿です。これが映画、作り物の世界ですと言われればそれでチョンです。しかしそこで納得したり、引き下がっては、世の中ちっとも面白くもおかしくもありません。
 そこであたしなりに考えました。きっと寅さんはプイっととらやさんの店を飛び出しても、途中に卸問屋に立ち寄り、商品を仕入れカバンと一緒に背負い、駅へ向かうのではないでしょうか。そして目的地の駅にチッキで送っておく。或いは馴染みの旅館に送り届けて置く、そんな具合ではないのでしょうか。
 なにしろ粋で格好つけてる寅さんです。背広姿に中折れを被った寅さんに、野暮な荷物を背負わせるわけにはまいりません。商売が終われば次の目的地に、早々と荷物を送っておくわけです。そうあたしは自分を納得させたわけです。これも一つの映画の見方と思います。

 ここで話は変わりますが、「男はつらいよ」シリーズ48作品全部山田洋次監督作品ではありません。ご承知とは思いますか確か二作目か三作目は別の監督さんの筈です。以前おすし屋さんでこのことで若い衆と言い合ったことがあったのですが、後日彼も分かって、さすが渡世人です、なんて変な持ち上げかたをされたことがありました。それはともかくだいぶ
前、小学校の講堂で監督の作品で、定時制中学を扱った映画が上映されたことがありました。監督の講演がありまして、そのときの話で、監督は自分の撮りたい映画を、それは商業的に成功するかしないか、不安の残る映画のことを指しているものです。会社に許してもらうためにドル箱である「男はつらいよ」を撮りつづけていると話されていました。一寸淋しい思いをしたことを憶えています。まさか片手間の仕事ではないでしょうが。

 一作目から今回通して見て、もちろんほとんど、全部といっていいほど見てるわけですが、見逃した作品もあるはずと思っていたのです。それが全部見ていたのです。これは見てまいと、途中までは見てない見てないと見てたりしたのですが、途中からあっ、矢張り見ていたと落ち着いたりしました。
 最後の作品では
渥美清、さすがに声に張りもなく、所作も活気が失われていて見ていて辛うございました。

 役者渥美清は舞台で死んだわけです。これを世間で言う、役者冥利に尽きるということなのでしょうか。


うたのすけの日常 映画「山の郵便配達」を観る

2006-10-20 10:54:40 | 映画




         親子の絆を中国映画にみる

 この映画、ストーリーは単純だが、伝わってくるものは濃密であり感動的だ。

 中国の山岳地帯に郵便を配達する親子の物語である。父は引退しあとを継ぐ息子のはじめて配達に出る朝、三日間の行程であるが、なにかと手ほどきしたり、旅の心得を説いたりする。しかし結局は心配でもあり「次男坊」という犬とともに同行することになる。
 この犬がまた親子にはさまれて存在感を示す。別に演技をしているわけではないのだが、ひょっとすると演技と見せない演技をしているのかも…。

 心配げな母の顔にもほっとした安堵の笑みがうかぶ。観客も共感を覚えるシーンだ。

 息子は旅の間、厳しい自然に遭遇したり仕事の重要性を肌で知らされたりしながらも、父の仕事に向かう姿勢に、山の人たちの父に対する尊敬の念や、親しみ愛情を知るのだ。

 小さいときから、仕事で不在勝ちの父になじめなかった息子は、その旅で初めて父を「お父さん」と呼ぶ。ごく自然に。呼ばれた父の顔がゆるむのが感動を呼ぶ。親子の絆がむすばれた瞬間だ。あたしはそこに在りし日の日本の姿を垣間見た。失われつつある日本の家庭の姿を…。そこには家庭内暴力も家庭崩壊の憂いなど微塵もないはずだ。

 三日の間に父は身をもって、郵便配達という仕事の重要性を克明に言葉すくなく、やさしい眼差しで語っているのだ。

 一見の価値ある映画とみた。

 もうひとつ、この映画で見逃せないのは女優陣だ。実に美しい、楚々とした風情。一昔前の日本映画にみられた女優たちと同じである

                  《上の写真》

 いまどきのけばけばしい、これみよがしの美人とは別世界の美貌である。