観測にまつわる問題

政治ブログ。政策中心。「多重下請」「保険」「相続」「農業」「医者の給与」「解雇規制」「国民年金」を考察する予定。

戦後保守主義のあるべき国家観(深化と開拓)

2018-12-16 14:46:28 | 政治システム・理論
日本の国旗(パブリック・ドメイン)

自由保守主義(ウィキペディア 2018/12/16)なる政治思想があるようです。伝統主義的な思想とは一線を画し、私的所有権や市場経済など経済的自由や個人的自由を最重視する右派なのだそうです。

自由主義だと言われることもある筆者はこれに近いところもあるのかもしれません。

でも私的所有権を重視するのって当たり前じゃないですか?人のものはみんなものという共同体主義が一方にあるのかもしれませんが、幾らなんでも現代においてそんな考え方で国家は成り立たないだろうと思います。別に私的所有権を最重要視して何でも自分のものと主張している訳では全くありませんが、筆者には私的所有権はごくごく基本的な考えだろうと思っています。今更入会権(村落共同体等が、一定の主として山林原野において土地を総有などし、伐木・採草・キノコ狩りのなどの共同利用を行う慣習的な物権)も何もないというか、保守主義を掲げてそう言い切ってしまうことにリスクはあるのかもしれませんが、とにかく、ごく普通の政策を言っているだけで、ある種の方から反発されるような事態こそどうかしているんじゃないかと思えて仕方ありません。多分普通のことを言っている方が今では特殊な考えの人々の強いモチベーションで攻撃されているんじゃないでしょうか?そもそも反~にあまり良いものがあるとは思えません。例えば反安倍とか反自民とかもう何を言っているか分からない感じですし。

市場主義経済も市場原理主義と言われて、強い反発の対象になりやすいのは理解しています。ただ、経済を普通に成長させようとして、市場経済を全く無視することは出来ません。行き過ぎを戒めるのは問題ないと思いますが、必ずしもそう言われている訳ではなく、社会主義や共産主義的な特殊な人々、経済音痴な人々に感情的反発を受けているだけではなくいかと思うこともあります。何でもよく分からず、極論で反発するべきではないと個人的に思うことはしばしばあります。

議論してこれこれこうなら、別に構いません。でも、現実にはムードで決まって議論無しが多い気がします。反論すると、言い訳・全てが・明らかにで一切説明せず、攻撃一本槍の人って実際多いんです。これは実際のところ、恐ろしい話です。理性で全てが片がつくとは思いませんし、全て一々議論すべきではなく経験でサクサクことを進めることも重要だと思いますが、一時の感情に流され議論をつくさず謎判断で失敗すると後悔してもしきれないんじゃないでしょうか。現代では技術の発展が加速し、世の中の変化はこれまでの歴史環境の中でかなり早い部類だと考えられます。これまでの経験に頼っていれば、概ね問題なかった昔とは状況が全く異なっているだろうと考えられます。特に日本はお手本があってキャッチアップすればいいという国では必ずしもありません。自分の国を自分達で考える必要があって、特に立法(議員)は然るべき手順で議論し物事を決めることが重要なんだろうと思います。何となくムードで結論を決めてしまうというようなことが実はあって、ムードの側から見て正反対にムードで物事を決める方が少なくとも政治においては×なんだろうと考えます。別にイメージや感情を重要視するなと言っている訳では全くありませんが、そちらがわの暴走が目立つ印象です。

結局のところに集団に脳は存在せず、脳は個人に存在しています。ですから、考えと言うものは全て個人の脳から生まれていると言えます。みんなは反論しません。考える脳がありませんから。あるのは結論への異議に対する叩きのみです。然るべき結論が然るべき手順で決まったら、当然従うべきですが、どうもそういうことを言っているのではなく、暴走した感情があるべき議論・手順を消しに行っているように見えます。

そういう訳で少なくとも経済や法律の世界では概ね一種の自由主義的考え方が一般的だし、そうしなければ国自体成り立たないんだろうと思います。これは日本においては明治維新の頃、近代国家を樹立させて以降の基本的な潮流だと考えられます。旧軍の暴走は言われるところですが、どうも戦史やそれに至る過程を概観するに、議論を尽くした形跡がなく、強硬な雰囲気に引き摺られた印象もあって、それに対する意識的警戒は必ず必要なんじゃないかと思えます。失敗を全て他者のせいにして自らは反省しないならば、また同じ失敗をしてまた人のせいにするんじゃないでしょうか。判断は間違う時はありますが、強硬な雰囲気が場を支配し強硬だけが正義になった時、その結論を受け入れられない他の集団と必ず衝突し、やがて破局に向かうのではないでしょうか?完璧な判断はありませんが、せめてベターな判断をくだせるように努めるのが当然なんだろうと思います。

以上のような考え方から、筆者は左右に関係なく、集団主義による政治(合議制ではない、というのもその集団(組織を指しフワっとした概念を指さない)に属さない個人や集団に対してその集団?の結論を強要するような動きが時折みられるからです)・雰囲気だけの政治の方こそが当人達の考え方と逆に有り得ないんだろうと思っています。ゆえに集団主義対個人主義で保守リベラルを分けようという一切の考え方等徹底反対します。そんなもの国柄を一々政治で変えてられませんし、近代国家ではない何処かの隔離された共同体でやりたきゃやればいいんじゃないですか。あるいは前近代が好きなら、好きなところに移住すればいいじゃないですか。そんなことは言ってないつもりかもしれませんが、だとしたら普通のことを主張して問題視される理由がありません。どちらの議論が妥当か議論があればいいですが、それを認められない側こそ逆に問題のはずです。

日本国憲法改正に対する反対が根強いのも、こうした反省がないように見えることが反映している可能性もあります。失敗は失敗だし、TPOはありますが、反対があったら然るべき手順で反対しても当然良い。こういう当たり前の考えがあるいは出来ていないから、また失敗すると思われている可能性が無いとも言えません。まぁガラっと体制を変えることに(失敗したらアプローチを変えるのは当たり前ですが)反対する筆者は保守主義者だと思いますが、とにかく筆者は近代国家に生まれたのであって、そちらが普通。そうでないものが異常だという考えです。安倍だから反対、基準は反安倍か否かみたいな暴論に与する訳にはいきませんが、そのような主張というか、暴走をする方々が政治に結構いらっしゃり、それなりに力を持っているところが頭の痛いところです。ですから、戦前のことでも是々非々。建前論だとしても、必ず守られるべきです。それが守られないように誤解されるような憲法改正は上手くいかないだろうと思っています。

ところで、ここまで書いて筆者は集団主義なるものを必ずしも全否定している訳ではありません。完全に個人主義だと頑張らないのが正義みたいな結論に結構陥り易いと考えられます。自分が頑張らない方が得だと思えば、完全な個人主義においてそれが正義になるからです。人は必ずしも個人だけで生きられる訳ではなく、いろいろな性格を持つ組織等に属して生きています。その最たるものが国家であったり、地域共同体であったり、会社であったり、家族であったりそういうものです。それ個別に様々な考え方が有り得るでしょうが、気をつけなければならないのが、集団主義を掲げれば何でも正義になる訳ではないということです。ここでは個別に詳細を見ることはしませんが、ひとつだけ軍隊・治安維持組織等についてだけ検討するものとします。

軍隊は当然命をかける仕事です。これは実際のところ個人主義では成り立ちそうもなく、それは近代国家においても例外では無さそうです。何故なら、完全な個人主義において命は至上の価値を持ち、命をかける選択肢が存在しないからです。個人主義的な軍隊ほど当然壊走しがちで戦争に負けがちだと考えられます。今は技術が高度に発達していますが、基本的な考え方が通用しなくなっている訳ではありません。北朝鮮なんかもマスゲームを誇示しますが、あれは先軍政治で強い国家をアピールする意味もあるのかもしれません(そんな面倒なだけの国を誰が攻めるのかという話でもありますが)。それはともかく先進国においても同様で、やはり軍隊組織が必要である以上(日本だけ無くしても他所の国に攻められ日本だけが滅亡するのは火をみるより明らかです)、軍人は命をかけなければどうしようもなく、ゆえに個人主義はほぼ成り立たないと考えられ、だからこその愛国心で、人の生死が関わる以上、全く宗教と無縁という訳にもいかないということになります。軍法が存在するのもそうした絡みでしょう。持ち場を離れる兵士がいたら、そこから部隊は全滅しえます。個人主義で命が惜しいを理解する訳にはいかず、軍法会議で悪質なものは射殺すら有り得るのが寧ろ当然で、そうならないよう訓練するということなのでしょう。

先進各国の軍隊は全て同様と思いますが、自衛隊も当然に集団主義的で軍法があって精強な組織を目指さねば意味がありません。自衛隊を認めるというのはすなわちそういうことだと思います。ただ、問題もあって、近代国家は先に述べたように軍隊だけでは当然成り立たず、寧ろ個人主義の方を基礎にする必要があります。強い会社もいいですが、会社のために命をかけろだとか、怖すぎますよね。強い経済なくして強い軍隊もない訳ですし(世界で一番の経済大国かつ軍事大国はどういう成り立ちでどういう考え方の国でしょうか)。会社も利潤を得ることが目的ですから、会社至上で奴隷労働を是としたら、上がる給与もあがりませんし、余裕がありすぎれば単に会社を守る貯蓄ばかりの守りの経営で経済が冷え込むとも考えられます。いずれにせよ、極めて特殊な例を除けば、集団主義による法治国家など有り得ません。憲法は国家において最重要の法律です。ここのところの基礎はシッカリ押さえて誤解無いようにしなければなりません。

自衛隊は先の大戦の経緯の反省に基づけば、あるいは先進各国同様の事例を参考にすれば、文民統制(シビリアンコントロール)でなければならないということになるでしょう。自衛隊の集団主義や軍法の新設を認めていくと共に、主客の逆転は無いということも確認しておかなければなりません(誤解のないよう何らかの形でかつて戦前にそういう動きがあったことを率直に認めて然るべきなんだろうと思います)。雰囲気だけで物事を決めると行き過ぎで有り得ない結論が是になりがちだから怖い訳です。

靖国神社も同様の文脈で確認されるべきです。全て是で無批判はどうかと思いますが、個別の事情に応じた流儀もありますし、いずれにせよ、兵士が命をかけ当然死ぬことも有り得る(訓練においても)ことは当然の話であって、当然宗教の話もないということにはなりません。原理主義的な政教分離など凡そどの先進各国にも存在しません。タブー化して議論を全くしない時点で全てアウトです。程度問題や個別の事情は有り得ますが(勿論葬式で議論を始めるの類は全く有り得ない話です)。当たり前のことを徹底すべきですが、意外にもというか、戦前の反動で平和に偏り過ぎたかのような異常な議論が罷り通ってきたのが戦後レジームであり、結果自衛隊が憲法学者7割違憲みたいな状況に陥り、当たり前のことを当たり前にしようという流れになっているんだろうと思います。

命をかけるということにおいて、治安維持の組織も同様のところもあります。消防なんかも同様ですが、軍隊のように軍法までは必要ないにせよ、犯人が怖いから個人の責任において逃げるとか、火が怖いから個人の責任において必要な活動を拒否するなんてことは有り得ません。緊急事態に所定の手続きを踏めないということも当然に十分検討されるべきであり、既に治安関連や消防関連の法律に例外を認めるところはあるんだろうと思います。その憲法的根拠の代表例が所謂(左と呼ばれる方々が嫌いがちな)公共の福祉です。

結局のところ、日本の戦後保守主義とは明治維新=近代国家に基礎をおいて(皇室を筆頭に連綿たる伝統を持つ古い国ではありますが制度面で)、戦前の失敗を踏まえ、戦後の反動を正常化していく動きになるんだろうと思います。なおかつ、停滞し始めた経済を再び成長軌道にのせる試みにチャレンジしなければ、先がありません。東アジアにはテロ国家の核武装という問題や、既存の体制にチャレンジする独裁大国の急成長と領土侵略というキナ臭いファクターが明快に存在しており、見なければ存在しなくなるという訳では勿論なく、冷静に現実を見て問題に対処していく必要性がどうしてもあります(更に言えば人は感情の無いマシーンでもありません)。

日本政治における保守とは当然にこうした全てを包摂するものでなくてはならないと筆者は考えています。政権交代を絶対的に否と筆者はしませんが(ハッキリ言って自分は政権交代論を全く応援したことなく、それどころか逆に実際問題結構頑強に反対してきた事実が存在しますが、そういう考えの政党があっていいんだろうとは思っています)、変な偏りで(感情が暴走したか安倍政権だから話さないのような)有り得ない話を是とする訳にはいかないと確信しています。守るべきは当然日本であり日本国民です(外国人の権利も国際社会の中で、政治的権利など自国民と全く同じではないにせよ、認められる必要があります。念のため)。個別の問題に異論はあるのが当然ですが、こうした総論の方向性に異論はちょっと考えにくい気もしていますが、いずれにせよ、何らかの形で異なる政治的立場や政党を必ずしも禁止するというような国では戦後ずっと日本はありませんし、少なくとも筆者が改めてそういう方向にしようと企んでいる訳では全くありません。

旭日旗ですが、筆者は否定しませんし、寧ろ肯定的に受け止めてはいますが、上記の事情で扱いに気をつけるべきところはあるように思っています。つまりあまり強調して日本第一の旗であるかのように見られれば、軍部が(旭日旗は戦前軍旗でもあった)政治を支配し主客転倒した戦前の失敗をそのまま肯定する動きと同一視される危険性があります。ですから、第一にアピールすべきは日本国の旗、日章旗です。


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