観測にまつわる問題

政治ブログです。「保険」「相続」「国民年金」「AIロボット」「運輸エンタメ長時間労働」「GX」を考察予定。

戦後の日露平和条約交渉に基づく新しいアプローチの検討

2019-03-15 06:28:47 | 外交安全保障
Habomai 01.jpg(ウィキディア)

ロシア軍、北方領土で軍事演習 日本牽制か(産経ニュース 2019.3.12)

>極東地域を管轄するロシア軍の東部軍管区は12日、北方領土の択捉(えとろふ)島と国後(くなしり)島で射撃・砲撃部隊による軍事演習を開始した。

これはやはり現状の日露交渉にロシアが不満だというアピールなのでしょう。改めて北方領土に関して検索してみましたが、米中露日の国際関係やプーチン支配体制の性格から、このままだと交渉が延々と続くだけで3年あっても交渉は妥結しない可能性が高いようにも思われます。第二次世界大戦の戦後処理を済ませないというのも異常事態ですので、検索で見つけた名越健郎氏の記事を元に改めて考察し直してみます。

プーチンが密かに狙う北方領土「1島返還」(フォーサイト-新潮社ニュースマガジン 2018年10月)

>「中国人には忍耐力がある。中国の経済力なら、貿易戦争に耐えることができる。中国の経済規模は人口を勘案すれば米国をしのぐ勢いだ。経済政策を修正したとはいえ、成長率は依然高い。世界も世界経済もいずれ変化していく」などと語った。米中貿易戦争で中国に加担する発言であり、近年の中国傾斜外交を見せ付けた。本音では、ロシアは米中が貿易戦争でともに消耗することを望んでいるかもしれない。

>ロシアの安保政策を担うニコライ・パトルシェフ安全保障会議書記は、「ロシアは中国のような非欧米の新興大国と同盟を構築していく必要がある」と述べており、政権内で中露同盟論が議論されている模様だ。米国の対中、対露政策が、中露をますます接近させている。

>日本人の質問に「面白くない」と投げやりだった大統領は、中国人の質問には、「尊敬する友人であり仲間」と敬意を表しており、中国志向、日本離れを態度で示していた。

日米同盟基軸で中国の伸張に対応するという現行の日本の体制は妥当だと思いますが、必然的にアメリカと関係の悪い国に兵器を輸出するなどアメリカとの対抗を基調とする国であるロシアを中国側に追いやっているところはあるんでしょう。これを逆転させることは非常に困難ですし、そうまでする意味があるとは思えません。まぁ昔はここまでとは思いませんでしたが、最初からこういう構図だったのは認めざるを得ません。

ただロシアとしてはアメリカに経済で対抗できる中国がどうしても必要だとは言え、中国の膨張は最終的に北方に向かう可能性も結構ありますし、中国の下風に立とうと思ってはないんだろうとは思います。欧米列強の一角だったロシア帝国は清と愛琿条約、北京条約を締結し極東地域を獲得しました。アヘン戦争後に英国領になった香港同様、清にとって屈辱的な不平等条約と言え、中国のインターネット上には「ロシアに奪われた未回復の領土」といったコメントが頻出するようです。中国とて愛国主義的な人民の意見を完全に無視できる国でもありません(【世界を読む】「奪われた領土」極東ロシアに流れ込む中国人…“スーツケースで侵略”は危険な火ダネ 2016.10.4)。中国の人口や移民拡張政策も共通の脅威の面もあり、武器輸出で中国がロシアに対抗してきているところもあって、引き続き中露関係を注視する必要は依然あろうかと思います。ソ連は計算高く火事場でどういう動きをするか分からない国でもあります(既に中国についているロシアがおかしな動きをする時は裏切る時です)。

日本としては日米同盟を基軸として価値観を同じくするヨーロッパ諸国とも関係を深めていくことが重要だと思っていますが、ドイツやイタリアの煮え切らない態度はあるものの、ロシアも非欧米と名指ししているように、基本的にはヨ-ロッパは依然こちら側と考えていいんだろうと思いますEU、中国は「競合相手」 関係見直しへ10項目(日経新聞 2019/3/14)。欧露の対立関係はアジアから何となく見るよりは深いのかもしれません。

アジアに関して言えば、中国の伸張を警戒して当然ですし、関係を深めることは十分可能ですし、日中関係・米中関係共に互いに破局を望んでいる訳ではなく、いずれ落ち着くべきところに落ち着くと考えられます。

いずれにせよ、日露関係を安定させておくことは重要ですし、それなりに話し合えるチャンネルは維持すべきだと考えますし、長期的な視野で特に極東ロシア地域・アジアのロシアとの関係を深めるべきだと筆者は考えています。何故なら中国の国家主義的(当面の)本音はアジアの支配にあって、ロシアもその対象であり、国力が伸張しているのは明らかだからです。大体台頭する国が要求を強めて既存の体制に対し問題を起こす歴史があって、日本は中国の台頭の脅威に晒される面もある既存の体制側ですが、アジアにおいてはロシアと潜在的に利害が一致しているところがあります。

隣国との経済関係は常に重要ですし、ロシアは現時点で敵対的ではないかと言われるかもしれませんが、人口も少なくヨーロッパ正面の国が大きな脅威とまで言えるか疑問です。そういう訳で平和条約を結ぶ意義は変わらないだろうと思っています。日露同盟を結ぶ話でもなし(あくまで第二次世界大戦を終わらせる話です)、問題はその価値の大きさをどう見るかに過ぎません。

>色丹島にはロシア人が3000人近く居住し、千島社会経済発展計画に沿ってインフラ整備も強化している。返還の場合、補償や手続きが面倒なのに対し、歯舞には国境警備隊が駐留するだけで、引き渡しは容易だ。

演習をしている択捉・国後は絶対に返す気もないでしょうが、色丹もこれまで返したくないと散々サインを送ってきていることは確かです。仮に色丹島が返ってきたとしてロシア人3000人をどうするかという問題は確実にあるんでしょう。

>クナーゼ氏と言えば、ソ連崩壊直後の1992年3月、国後、択捉の帰属協議と歯舞、色丹の返還協議を同時並行で進め、合意したら平和条約を締結するとの秘密提案を日本側に打診したことがある。しかし、4島返還を当然視した日本政府・外務省はクナーゼ提案を時間稼ぎとみなして無視した。クナーゼ提案を基に本格交渉を行っていれば、当時の日露の圧倒的な国力格差から見て、歯舞、色丹は確実に日本領となり、国後、択捉は結局は分割され、「3島プラスアルファ」のような解決策が有力だっただろう。

>2001年のイルクーツク会談では、今度は森喜朗首相がクナーゼ提案と瓜二つの並行協議案をプーチン大統領に提案したが、ロシアが無視した。

>1992年のクナーゼ提案は、一握りの外務省幹部が拒否を決め、官邸にもほとんど報告していなかったと言われる。ソ連崩壊から27年も経て、北方領土問題がますます後退している責任は、92年に千載一遇の機会をみすみす座視した当時の外務省幹部にある。失敗を繰り返さないためにも、外務省は文書公開を通じて当時の責任の所在を明確にしておくべきだろう。

クナーゼ提案が真剣に検討されなかったことは、戦後日本外交最大の失敗のひとつかもしれません(外交文書の公開に期待したいですが、廃棄でもされてないか心配はあります)。ロシアの体制も今は落ち着いているでしょうし、当面こういう千載一遇のチャンスが訪れることもないと考えられます。また、エリツィン体制に比べて強権的なプーチン体制は期待薄でしょうし、今後ロシアが穏健な国に変貌する見込みもないと思います。もう取り返しがつかない「歴史」ではありますが、今後のためにも反省すべきは反省すべきではないかと考えます。クナーゼ提案にも反対の人は多いんでしょうが、互いに強硬一本槍で話し合いがまとまる可能性は皆無ですし、ロシアと無闇に戦争できるはずもありません。プラグマティズムに基づく外交安全保障が必要だと筆者は考えています。

とりあえず今回の日露交渉の振り返りは以上ですが、以下そうした考えを元に今後どうしていくかを考えてみます。基礎とするのは1956年に発効した条約であるところの日ソ共同宣言と1993年の東京宣言です。これらは2001年のイルクーツク声明でプーチン大統領とも合意しています。

日ソ共同宣言では「日ソ両国は引き続き平和条約締結交渉を行い、条約締結後にソ連は日本へ歯舞群島と色丹島を引き渡し(譲渡)する。」

東京宣言では「領土問題を、北方四島の帰属に関する問題であると位置付け、(ロ)四島の帰属の問題を解決して平和条約を締結し、両国関係を完全に正常化するとの手順を明確化し、(ハ)領土問題を、1)歴史的・法的事実に立脚し、2)両国の間で合意の上作成された諸文書、及び、3)法と正義の原則を基礎として解決する、との明確な交渉指針を示した。」

これをベースに色丹島を返すぐらいなら平和条約は必要でないと言わんばかりのロシアとの交渉をどう妥結させるか考えなければなりません(勿論話し合いが決裂する可能性はあります)。

まず色丹島は「譲渡」されなければなりません。これは確定条件ですが、期間が書かれていません。中国みたいで残念ですが、香港やマカオみたいに日本と帰属を決めて○年後に引き渡すという条約を結べる可能性はあると思います。引き渡しは条約締結後ではありますが、「譲渡」は条約締結とセットで当然日本に返ってくることは約束されねばなりません。ロシア人が3000人いる領土というのも返ってくれば大変で、絶対立ち去らないという人が多かったらどうなるか、どう経営するか意外と負担になる面もあると思います。○年後と期限を決めて返ってくるなら、時期が近づけば自然と動きがありますし、準備も実務家が進めていくものだと思います。結局そちらの方がコストは少ないかもしれません。いずれにせよ、これは新しいアプローチとは言えます。

東京宣言で四島の帰属の問題を解決してから平和条約を締結するということですが、これはどちら領か決めなければならないということに他なりません。問題は日露で歴史的・法的事実の主張が異なるということです。どこまですりあわせられるかですが、日本で一般に流布されている日露和親条約が最初に締結された条約だから択捉-ウルップ間が法的に絶対というかのような主張が法的に成り立っている訳ではないことは明らかです。国境は後の約束で如何ようにも変わるところがあります。歴史的に最初に日本だったはロシアも合意するかもしれませんが、その後戦争でロシア領になったとも主張してくるでしょう。勿論日本に有利な話もありますが、1ミリでも譲ったら売国奴であるかのような主張は歴史的・法的に全く成立の余地はありません。

両国間の合意に基づくのは幾度と無く確認されていますが、法と正義の原則を基礎とするのも互いに合意はできるんだろうと思います。ソ連が日ソ中立条約侵犯を明言して認めるようには思えませんが(ソ連は破棄を宣告しましたが、期間のある条約ですから相手側(日本)の同意がない限り明らかに無効で、法と正義の原則が戦争に敗れたと言わざるを得ません)、平和条約を締結できれば日ソ中立条約侵犯の問題も一応ケジメがついたということになります。

日本の主張は北方四島は固有の領土で全て日本領というものです。それ自体正しいとは思いますが、過ちを訂正する可能性は何時でもあります。日本はサンフランシスコ講和条約で(ロシアと約束してませんがロシアから見て一方的に)千島列島を放棄しており、この講和条約が有効である限り、千島列島の領土要求が法的に出来ないことは言うまでもありません(共産党は非合法的な党だから千島全島の領土要求ができるという訳です)。つまり北方領土問題で千島列島の範囲は死活的に重要です。

国後・択捉ですが、例えばクナシリ・メナシの戦いがありましたし、国後場所もあって両島(特に国後)が北海道と一体的な属島であったことは明らかだと思います。樺太やウルップ以北の島々と違って国後・択捉が明治以後に日本でなかったこともありません(江戸時代も同じですが、ウルップ警固地・得撫郡は失われています)。歯舞・色丹は根室国でスタートしており、地形的に全く千島列島に連ならないのですが、択捉・国後が千島であるというロシアの主張を歴史的・法的に完全に否定しきるのは難しいところはあって、北方領土の範囲で日露が合意するのは理論的には可能なように思います(絶対反対は感情論に過ぎません)。筆者としては根室湾に浮かぶ国後島が特に目障りで100年後でもいいので返ってこないかなと思っているところはあります。少なくとも地形的・歴史的に奥尻・礼文・利尻以上に属島然としているのは間違いないんじゃないでしょうか。択捉島もずっと日本の領土としての歴史があるのは間違いありませんが、占領後に北方領土最大手の建設・水産企業のギドロストロイの企業城下町になっており、戦争が起こってしまうと勝ったものが正義で法も歴史も消し飛ぶところがあるのは否めません。千島の放棄を宣言したサンフランシスコ講和条約が発効したのは1952年、1956年の領土問題でも触れた日ソ共同宣言とソ連との国交回復を踏まえて日本は国際連合に加盟し国際社会に復帰しました。これが戦前の秩序とは多いに異なり、戦争の結果であることは否定できません。

帰属の問題に関連して両属の可能性ですが、ロシアが現実に支配を及ぼしている以上、如何なる妥協もロシアの後退になりますし、あまり現実的であるように思いません。例えば世界の何処に2つの国が警察を置いている地域があるでしょうか?2つの国が主権を及ぼすというのは実際問題無理で、少なくとも筆者には考えにくいところがあります。日米同盟体制下で小さな日露同盟(ロシア軍の駐留を引き続き認める)を構築するのようなことも全く現実的と思われません(拒否権をもたれるなどしたら単に日米同盟が機能不全に陥ります)。互いに軍隊を置かず(中国大陸でかつてあったような)租界にするのような合意が不可能とも言えませんが、特別それをするべき理由はなく(経済関係など領事館で十分でしょう)、互いの面子を削って面子を守るのような合意に意味があるようには思えません。どちらかと言えば(島でそれほど大きく開発できるように思えない)北方領土よりは(領事館を置いた)ユジノサハリンスク(かつて樺太庁がありましたし、油田に関して言えば、パイプラインの敷設は平和条約締結後に考えられるのではないかと思っています)の機能強化の方が面白いかもしれません。いずれにせよ、両属とは歴史的には「独立国」が二股をかけているような状態を言うのであって、現在ロシアが支配している北方領土を両属状態にすることに大きな意味があるように思えません。

また例えば日本に帰属するとして、返還の期限を決め、段階的に日本が関与するという意味で租界にするのような話なら考えてみる価値はあるかもしれませんが、ロシアに帰属すると決めてしまうと、平和条約を締結して外国であるロシアの土地に拠点を設ける以上の展開はないように思えますが、中国大陸における歴史を考えると、ロシアの主権下で日本がどのように開発に関与できるか頭の体操をしてみる価値はあるかもしれません。中国分割(世界史の窓)を参照すると欧米列強は、港を建設したり、軍隊を駐留させたり、鉄道を引いたり、鉱山を開発したりしています。ただ、これをロシアの主権下でやると開発した後でどんなことになるか恐ろしいものはありますが、サハリンプロジェクトでも結局後だしで日本が後退しているところはあるので、後から手のひら返しされないように考えなければならないことは多そうです。そう考えるとロシアの主権下で普通に開発に参与して交渉すべきを交渉した方が話は早いような気もします。

経済関係だけならそんな感じですが、歴史的な関係の深さを考えると、何らかの共同関係はあった方がいいのかもしれません。例えば筆者はアイヌや古アジア民族・ツングース・モンゴル・トルコ・ウラル・スキタイといった諸民族や草原の道に関して日本史・東アジア史の観点から関心があります。これは単純な学術的な興味に止まらず、「アジアのロシア」はそもそも独自に発展した地域であって、特に漢民族の土地ではないという歴史的事実から来る関心と言えます。アジアが中国に塗りつぶされる未来を見たくないんですよね。シベリア出兵も満州国も結局失敗していますし、勿論ロシアと戦争したいということではなく、またこれらの少数民族を独立させようということでもなく、北回りで中国に来られては適わないという感じです。(モンゴルですが)元軍とアイヌがかつて交戦した事実もあって、あまり過剰な心配をするつもりもありませんが、あらゆる事態は想定すべきであって、日本の北に広がる外国に関心がなくていいということにはなりません。少数民族の問題で言えば、例えばこれまで同系とされてきたカムチャッカ半島のイテリメンとコリャーク人・チュクチ人が同系ではないという有力な説「イテリメン問題」があって(イテリメン語は孤立語だった)、どうもイテリメンがアイヌやニヴフ同様の孤立した土着のカムチャッカ民族で、コリャーク・チュクチがトナカイ遊牧を生業としたより北方の大陸民でないかという気がします。そう考えると気になるのは千島列島におけるイテリメンと(千島)アイヌ・オホーツク文化(ニヴフとも言われます)の関係です。カムチャッカにはアイヌ語地名も残ると言われます。だからどうという訳ではありませんが、学術的興味で人的交流や観光も考えられます。イテリメンは消滅の危機にあるとも言いますが、再興の動きもあるとか。コリャーク・チュクチで言えば、トナカイ放牧の起源と伝播もユーラシア大陸に広がる壮大な話題で面白いんじゃないかと思います。旧満州・樺太含む極東ロシアに広範囲に広がるツングース(満州系)に関して言えば、農耕不適な気候で狩猟採集民なのでしょうが、特にアムール川と漁労が気になります。一部トナカイ遊牧民もいるようで、生産手段・文化の伝播が伺えますが、広範囲に同じ民族がいるということは拡散と交流があったはずで、タイガという環境が同じ文化を共有させたかもしれませんが、移動手段としては川が非常に怪しいような気はします。上京龍泉府など日本との交流が深かった渤海国の都市は川沿いか海沿いにあるようです。シベリアは凍土地帯であって、シベリアの春は泥の春とも言うようで移動が困難な時期もあるようです。それが開発を難しくさせ現代まで森を残したのではないでしょうか。とするとやはり川が怪しい。アイヌと琉球の比較で言えば、日本史との関係で大体同時期に現れると思いますが、島ということもあるか、琉球の方が言語が分化し地方色がある気がします。広大な北海道でアイヌ同士の交流が(琉球以上に)深かったように思えるのですが、琉球王国ほど経済発展してはいなかったでしょうから(陸の交通がどれだけ発達していたか怪しいでしょう)、これも川沿いに船で交流・交易が盛んだったのではないかと思えます。樺太アイヌは余市アイヌとの関係が示唆されるようですが、アイヌ語地名から元々東北にいたアイヌと渡島半島の関係などとの比較なんかも面白いのかもしれません。シャクシャインの戦いのきっかけの一方である胆振から日高北部にかけての太平洋沿岸地域に居住するアイヌ民族集団「シュムクル」(ウィキペディア)は「「祖先は本州から移住してきた」という他のどのアイヌも持たない独自の始祖伝承を有しており、本州から移住してきた奥羽アイヌを核として成立した集団ではないかと考えられている」のだそうです(大井晴男「シャクシャインの乱(寛文九年蝦夷の乱)の再検討」『北方文化研究』22号 1995年 101-102頁)。きっかけのもう一方が静内以東の太平洋沿岸地域などに居住するアイヌ民族集団「メナシクル」(ウィキペディア)で、1789年に北海道東端・国後島に居住する「メナシクル」がクナシリ・メナシの戦いを起こし、松前藩が鎮圧しました。「また、考古学的には「メナシクル」の領域にのみ「砦」としての性格を持つチャシが発見されている」のだそうです。だとしたら国後島にメナシクルの砦が今も眠るかもしれません。アイヌ新法が今国会に提出されているようですが、未開拓のフロンティアにも思えるアイヌ史・北海道史にはまだまだ可能性がありそうです。

見出し画像の歯舞群島(ウィキペディア)ですが、「昭和20年(1945年)の第二次世界大戦終結時の総人口は約4,500名で、漁業人口は95%であった」ということです。返ってくれば北海道漁業にプラスは間違いなさそうです。奇しくも女子プロテニス界で大活躍している大坂なおみ選手の母方の祖父の出身地のようですし(ロシアの女子テニス選手もシャラポワ選手で強い印象はあります)、これまでの交渉を後退させない形なら返ってくるものは返ってきた方がいいはずです。

また知床半島は世界遺産ですが、国後島(ウィキペディア)の自然も「2005年に知床半島が世界遺産に登録された際には、国際自然保護連合 (IUCN)から、国後島と知床半島をあわせ、「保全の促進を(日露)両国で同意することが可能であれば、広範な『世界遺産平和公園(World Heritage Peace Park)』として発展させる」という提言が行われた」ようで、世界遺産の拡張・共同登録も含めて先の展開は考えられると思います。「島の60%はロシア国立クリリスキー自然保護区に指定されており、民間人の立ち入りが規制されている。このため、原初的自然がよく保全されている」とも。羅臼国後展望塔から根室海峡のクジラ・シャチが見えるとも言いますし、この辺の観光開発は北海道開発とあわせて結構なポテンシャルがありそうなんですよね。日本がロシアに貢ぐとか屈服するとかそういう形ではなく、win-winの関係で共存関係できればよいと思っています(ロシアには申し訳ないですけど、日本の立場としてロシアから大きな安全保障上の脅威があると思っておらず、寧ろ中国に比べて長期的な観点から弱体を心配しています)。


最新の画像もっと見る

コメントを投稿