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観測にまつわる問題

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原賠法の解釈

2011-05-20 23:08:37 | 政策関連メモ
「神様の仕業」予測し得たか 東電破綻回避で消えぬ免責論(MSN産経ニュース 2011.5.20 21:59)

>東京電力福島第1原子力発電所事故の被害賠償を進める上で、前提になる原子力損害賠償法(原賠法)の解釈が不確定要素になっている。地震と津波の規模が「異常に巨大な天災地変」であれば東電は免責されるが、今回の震災の規模をどう評価するかは政府内でも意見が割れ、東電と政府の賠償負担をめぐる議論の行方が定まらない。

>免責される災害規模について、政府は「関東大震災の2倍ないし3倍を超えるような地震」と定義しているが、同原発で観測された加速度は550ガルで関東大震災のほぼ2倍。また、この地域では869年の貞観地震で8メートル以上の津波があったのに対し、今回の津波は14~15メートルに達した。

結論から言えば、東電は免責されないと思う。理由は官房長官が言ったとされる「以前から大規模な津波の可能性が指摘されていた」からではない。事故の原因が異常に巨大な天災地変にないと思われるからだ。原賠法の当該条文(法庫)を見てみよう。

>第3条 原子炉の運転等の際、当該原子炉の運転等により原子力損害を与えたときは、当該原子炉の運転等に係る原子力事業者がその損害を賠償する責めに任ずる。ただし、その損害が異常に巨大な天災地変又は社会的動乱によつて生じたものであるときは、この限りでない。

産経の記事では地震の規模によると書いているが、条文を見るとそうではない。損害が異常に巨大な天災地変によるかどうかだと、きちんと条文に書いている

東日本大震災の地震の大きさは確かに大きい。マグニチュード9だとされている(大きければ免責されるとふんだ東電サイドの圧力があった可能性は検討してもいいと思う)。しかし、これによって発生したのは、予想を超える大きな津波であり、地震の揺れ(震度)に関して言えば、自分が調べた範囲では関東大震災と大差ない(一部の地域が震度7)。

それでは、津波が大きかったから、事故が起こったのだろうか?そうではないだろう。残念ながら、やはり非常用電源がきちんと分散されていない守られていないというのは人為的な落ち度と言える(これを言うと、他の原発にも波及するのだろうが止むを得ない。直ぐにでも止めるべきとは全く思わないが、他の原発でも対策はしておくべきだろう。対策が出来ないなら、代替エネルギーを確保した後、廃炉にすることも考えなくてはならなない)。原子炉は守られていても、それを動かすものが守られていないというのは、予見可能な危険と言え、その部分の対策がしっかりしていれば、今回の地震でも全電源喪失は避けれらた可能性は高いのではないかということだ。

また、残念ながら、地震の揺れの影響で事故を招いたとの指摘がある。地震での揺れそのもの(震度)は異常に巨大と言えない以上、これもまた原賠法の条文に照らして免責に当たらないと言え、他の原発でもチェックが必要なところである。浜岡原発停止は残念だが、もしも中部電力に地震に耐える自信がなかったのであれば、止むを得ない。今回の地震でもやられたのは福島第一だけであり、この手痛い教訓を活かせば、原発はまず安全だと思う。いずれにせよ、原子力発電に金が流れないまま稼動するという事態になれば、それがより危険であることは100%論理的な帰結だろう。

よく言われる再生可能エネルギーは計算できないことは明らか。不安定でもある(梅雨に発電できないとか、風が吹かなかったらどうする?とか、冗談みたいな話)。3割電気を使わずに日本経済を壊滅させる気でなければ(100%壊滅する)、代替エネルギーは火力しかない。脱原発論者は、再生可能エネルギーなどと非現実的な無責任発言を止め、日本経済3割減か火力代替か(その「ベストミックス」でも良い)正直に現実的な案を出すべきである。

勿論、自分は原発の安全性を高める派(脱原発の圧力が原発更新の動きを止め、皮肉にも原発を危険にすることを警戒している)である。日本のものづくりは定評がある。安全基準がしっかりしていれば、安全性の高い原発は十分可能に思えるからだ。また、自殺的節電は有り得ないし、火力一本槍は、エネルギー資源がない日本にとってこれはこれで非常に危険が高いということは、これまでにも書いてきた通り。

話が飛んでしまったが、原賠法で免責は無理という予想に変りは無い。ただ、国はこれまで許可を出しチェックを怠ってきた責任があると思う。何のための原子力安全・保安院か?ということである。全てが想定外の大地震のせいでないとなると(そう思う)、やはりそこは問われるべきだろう。更に言えば、そうした政府を野放しにした責任は国民の側にもあると思う。国費の投入も止むを得ないのではないか。

それでも、国費の投入を当然視する言論とは一線を引いておきたい。天変地異(地震災害)による被害も国費による復旧が当然とは思えないからだ。何もかも国のせいでは、国民による自発的な行動は望めない。

最後になるが、原賠法を読んで気になったのは、損害が社会的動乱によって発生した場合、免責になるというくだりだ。テロ対策が甘いという指摘がアメリカからあるが、責任が東電にないから甘いということであれば、庇いようがないと書いておきたい。外国に言われるのは癪だが、ここは素直にチェックしておく必要があると思う。