昭和から平成、そして令和へと時代が移る中で、先の大戦の記憶も薄れていっている。真珠湾攻撃や、アメリカとの4年間の激戦の末、日本国中、焼野が原になってしまったことさえ知らない世代も増えているようである。
そんな中、国内で唯一、米軍との地上戦が行われた沖縄、そこには、まだまだ当時の爪痕が色濃く残っている。 そんな場所に触れたくて、昨年の秋、ようやく機会を作って「南風原町文化センター」を訪れることができた。 ここは、第32軍陸軍病院の跡地である。
飯上げの道とは、離れた場所で作った食事を病院まで運ぶことに利用された急坂な道で、女子学生が重い食事を担いで行き来していた。
この病院は、最初は那覇市内にあったのだが米軍の空襲で施設が破壊されたため、この地にあった南風原国民学校校舎に移設された。
その後、この地も米軍の艦砲射撃が激しくなったため、この一帯に約30の横穴壕が掘られたと言われている。 沖縄師範学校女子部・県立第一高等女学校の生徒(ひめゆり学徒)222人が看護補助要員として動員されましたことでも知られている場所である。
横穴壕の一つである20号のみ整備され、平成19年から一般公開されている。 今回、案内をして頂いた方のご厚意で、現在は閉鎖中の20号を見せて戴いた。 ほぼ当時の形状が残っており、米軍上陸後の外傷患者の激増に伴いここで繰り広げられた惨状が、今でも伝わってくるようである。
当時の悲惨な状況が伝わってくる。
From Face Book: The ruins of Japanese army hospital.
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