宇和町の下松葉の春日神社境内にあるタブノキ。地表から1.3メートルの高さで幹の太さを計測すると、5m96cmだった。ここは私の通勤途中にあるので、以前から太さが気になっていたが、計測してスッキリ。6mに届かなかったのは残念だが、全国のタブの樹齢と幹周を眺めてみると、6mだと樹齢300~400年らしい。宇和町内、巨樹・巨木を一通り巡って写真を撮ってみたが、里山や奥深い山中ではなく、集落に隣接する、もしくは集落内にある神社・寺院に多い。巨樹・巨木を伐ることなく、今に伝えているこの事実は、純粋な「自然」ではなく、「文化(人間の営みの産物)」なのかもしれないとも思った。
この芭蕉の葉っぱ。葉っぱではなく、茎からは繊維がとれる。沖縄の芭蕉布は有名だが、かつては南予各地でも芭蕉から糸をとっていたらしい。葉を取って茎を撮影しようかと思ったが、自生ではなく、地元の人がお盆に使うものなので、あきらめた。いずれ、芭蕉の茎から繊維をとってみたい思いに駆られる。
南予地方の山間部では芭蕉が自生しているのをよく見かける。正確に言うと、自生ではなく、ある目的で使用するため植えられたもの。使用目的は、お盆の精霊棚。棚に敷いて、それを「仏さまの青畳」だという。確かに、寺院の近くに多いし、この写真は、城川町田穂の大池のそば。この脇には、城川の有名な年中行事「実盛送り」の実盛人形を最初に安置する石仏がある。バナナに似ているが、バナナの実はならない。しかし、小さいバナナのような形の実が成るが、八幡浜の山間地で聞いた話では、実際、食べたらまずかった、ということだ。
坪ヶ谷新四国をまわっていて、42番から43番の間に、
明石寺がある。これぞ本四国の霊場。
ここに地蔵堂があり、その後ろに、大きなケヤキがそびえたつ。
地蔵堂の地蔵は延命地蔵。地蔵を拝むと、背後の巨樹も拝むことになる。
地蔵の延命利益と巨樹の生命力が合わさったように感じる。
3月下旬に、岩木地区の方々と笠置峠を宇和町岩木側から散策。
その峠道から少し離れたところに「モロイ岩」という大きな岩があり、
その上に登ることができました。
石城公民館で年配の方に話を聞くと、昔はよく遊びに行って
登っていたとのこと。
ただ、岩の向こうは絶壁で、危険。子どもだけで遊ぶ場所ではなく、
私も足が震えました・・・。
今朝は早起き。外の天気を見ると、台風の影響だろうか、風が強い。
でも雨はまだ降っていない。娘の小学校は今日が遠足だったが、
延期になったとのこと。
強風が明日まで続くということで、雨が降り出す前に、裏山に行って
梅の実の収穫。朝7時から1時間程度かかりましたが、
先日の自宅庭の梅の3倍は収穫できました。
でも雨はまだ降っていない。娘の小学校は今日が遠足だったが、
延期になったとのこと。
強風が明日まで続くということで、雨が降り出す前に、裏山に行って
梅の実の収穫。朝7時から1時間程度かかりましたが、
先日の自宅庭の梅の3倍は収穫できました。
八幡浜市保内町の神社の瓦をもう一つ紹介。
「竹に虎」。虎の吼える様子が「猛虎」のようで迫力がある。
「竹に虎」といえば、唐獅子に牡丹、梅に鶯、紅葉に鹿などと同じで
関係の深い植物と動物を組み合わせた縁物で、昔から様々な図柄として
使われている。
竹と虎が描かれている図柄といえば、法隆寺・玉虫厨子の「捨身飼虎図」。
シャカの過去世である薩捶(サッタ)太子が、飢えた虎に我が身を与えよう
として、崖の上から飛び降りる場面が描かれている。
その虎の周りは竹林が表現されていて、まさに「竹に虎」。
ただし、これは後世の着物の柄や家紋など縁物での図柄とは
分けて考えた方が良い。後世の「竹に虎」には捨身の思想は含まれない。
ちなみに、この「捨身飼虎」は、根拠となる経典が存在する。
それは『金光明最勝王経』である。
この経典は、日本書紀・続日本紀にも頻繁に登場する。
「金光明経」とか「最勝王経」と略されて出てくることも多いが、
この経典の巻第十が「捨身品第二十六」。
ここに「捨身飼虎」の話が具体的に説かれている。
「竹に虎」。虎の吼える様子が「猛虎」のようで迫力がある。
「竹に虎」といえば、唐獅子に牡丹、梅に鶯、紅葉に鹿などと同じで
関係の深い植物と動物を組み合わせた縁物で、昔から様々な図柄として
使われている。
竹と虎が描かれている図柄といえば、法隆寺・玉虫厨子の「捨身飼虎図」。
シャカの過去世である薩捶(サッタ)太子が、飢えた虎に我が身を与えよう
として、崖の上から飛び降りる場面が描かれている。
その虎の周りは竹林が表現されていて、まさに「竹に虎」。
ただし、これは後世の着物の柄や家紋など縁物での図柄とは
分けて考えた方が良い。後世の「竹に虎」には捨身の思想は含まれない。
ちなみに、この「捨身飼虎」は、根拠となる経典が存在する。
それは『金光明最勝王経』である。
この経典は、日本書紀・続日本紀にも頻繁に登場する。
「金光明経」とか「最勝王経」と略されて出てくることも多いが、
この経典の巻第十が「捨身品第二十六」。
ここに「捨身飼虎」の話が具体的に説かれている。
三島神社の社叢には、スギが一番多くて、クスノキもありました。
あと素晴らしいと思ったのが、この写真。ケヤキです。
一瞬、もし、これを加工すれば、
どれくらいの大きさの板がとれるんだろう?と、
鎮守の森で不敬なことも考えてしまいました。
あと素晴らしいと思ったのが、この写真。ケヤキです。
一瞬、もし、これを加工すれば、
どれくらいの大きさの板がとれるんだろう?と、
鎮守の森で不敬なことも考えてしまいました。
今朝、庭を眺めると、結構な数、梅の実が落下していた。
昨晩の強風・雨の影響だろうが、実も太っているようなので、
夕方に収穫をすることを決心。
例年であれば、5月下旬の収穫。いつもより10日は早い。
梅の木に登り、一通り収穫完了。とりあえず、自宅の梅は確保。
あと、2本、裏山に梅の木があるが、それも近いうちに収穫の予定。
梅といえば、万葉集に桜よりも数多く詠まれている花であり、
日本人に親しまれているが、梅に関する民俗というと、
すぐに想起できるものがない。
秋に収穫できる柿なら、「柿の民俗」と題してまとめることが
できるほど、俗信や渋に関すること等、題材は多い。
「松竹梅」の「松」、「竹」と比較しても、「梅」に関する
文化伝承は少ないように思える。
こはいかに?
昨晩の強風・雨の影響だろうが、実も太っているようなので、
夕方に収穫をすることを決心。
例年であれば、5月下旬の収穫。いつもより10日は早い。
梅の木に登り、一通り収穫完了。とりあえず、自宅の梅は確保。
あと、2本、裏山に梅の木があるが、それも近いうちに収穫の予定。
梅といえば、万葉集に桜よりも数多く詠まれている花であり、
日本人に親しまれているが、梅に関する民俗というと、
すぐに想起できるものがない。
秋に収穫できる柿なら、「柿の民俗」と題してまとめることが
できるほど、俗信や渋に関すること等、題材は多い。
「松竹梅」の「松」、「竹」と比較しても、「梅」に関する
文化伝承は少ないように思える。
こはいかに?
去年の5月末に撮影した写真。
場所は私の家の裏山。
竹が繁殖しているがわかるかと思う。
(手前に見えるのはJR四国のアンパンマン列車。)
30年前の同じ場所の写真を見てみると、
そこは竹ではなく、畑だった。
毎年、竹の占有面積が広がっている。
今日も、職場からの帰り道、
道端に、モウソウチクの竹の子が
50センチ近く伸びていた。
すかさず、処理をしたが、
ほっておくと、すぐに伸びてしまう。
雑草よりも、竹の繁殖力の凄まじさを
この時期は実感する。
というわけで、このブログのデザインも
当分、竹でいきます。
場所は私の家の裏山。
竹が繁殖しているがわかるかと思う。
(手前に見えるのはJR四国のアンパンマン列車。)
30年前の同じ場所の写真を見てみると、
そこは竹ではなく、畑だった。
毎年、竹の占有面積が広がっている。
今日も、職場からの帰り道、
道端に、モウソウチクの竹の子が
50センチ近く伸びていた。
すかさず、処理をしたが、
ほっておくと、すぐに伸びてしまう。
雑草よりも、竹の繁殖力の凄まじさを
この時期は実感する。
というわけで、このブログのデザインも
当分、竹でいきます。