愛媛の伝承文化

大本敬久。民俗学・日本文化論。災害史・災害伝承。地域と文化、人間と社会。愛媛、四国を出発点に考えています。

愛媛の方言「がいな」

2010年12月12日 | 口頭伝承
NHKのドラマ「坂の上の雲」を視聴して、子規や秋山兄弟が話す愛媛方言に興味を持ったということで、昨年もそうであったが、私のところに電話やメールがよく来る。先日は「がいな」についてどう調べても明確な答えが帰ってこないというので、NHK松山さんや松山市役所さんからもこちらに問い合わせが回ってきた。この際、「がいな」については明らかにしておこう。来年もドラマは続くし、この種の質問は絶えそうにない。
「がいな」については明確な語源説があるわけではないが、「我意」もしくは「雅意」に関係するのではないかといわれている。これは既に『日本国語大辞典』にも紹介されており「『我意』の意から変化した語と思われるが明らかでない」とし、その他にも「異(け)」あるいは「実(げ)」の変化したものという説も記載されている。
 この「我意」、「雅意」とは①「自分の考えを押し通そうとする心。気ままな心。またそのようなさま。勝手きまま。わがまま。」の意味と②「程度が標準よりぬきでているさま。良い意味にも悪い意味にも用いる。けたはずれなさま。」の2つの意味がある。①については平安時代末期の辞書『色葉字類抄』に「雅意 ガイ」とあるし、文明6(1474)年成立の『節用集(文明本)』にも「雅意 ガイ 随意義。我意也」とある。『日葡辞書』にも「Gaina」とあり、わがままな人と訳されている。この「わがまま」という意味の我意が①である。一方、②の用例については室町時代中期の『史記抄』に「項羽はがいなものぞ」とあったり、江戸時代初期の『雑兵物語』に「がいに働いて、息が切べいならば」という記事がある。室町時代には既に「ぬきでている」、「はなはだしい」という意味の「がいな」はあったことが間違いない。これが①の「我意」が変化して②になったのかどうかは明確にはできない。むしろ別の言葉と考えた方が理解はしやすい。ともかく、方言「がいな」は室町時代には中央(都)では使われていた言葉であったことは確かであり、それが全国に伝播していったものと思われる。
 その「がいな」の分布であるが、当然、愛媛に限ったことではない。山陰でもよく使われる言葉であるが、案外この分布は広い。『日本国語大辞典』から拾うと、青森県三戸郡、岩手県、宮城県登米郡、秋田県、山形県村山、栃木県那須郡、静岡県、名古屋市、三重県、但馬、淡路、和歌山県、広島県豊田郡、出雲、徳島県、香川県、愛媛県、高知県、大分県南海部郡。以上の地域では「はなはだしく」という意味で「がいな」が使われる。また、これに類する「ひどく」、「おびただしく」、「乱暴に」という意味で「がいな」が使われる地域は以下のとおりである。青森県、愛知県碧海郡、三重県志摩郡、京都府竹野郡、和歌山県、島根県那賀郡、徳島県、香川県、愛媛県、高知県、大分県、対馬(以上は「ひどい」・「乱暴な」という悪い意味で使う)。岩手県遠野、宮城県牡鹿郡、富山県、三重県志摩郡、和歌山県、鳥取県西伯郡、島根県、愛媛県、高知県、大分県(以上は「たいした」、「大きな」という意味)。富山県、但馬、奈良県、和歌山県、島根県、岡山県、広島県比婆郡、徳島県祖谷、香川県、愛媛県(以上は「強い」、「丈夫な」という意味)。埼玉県入間郡、新潟県刈羽郡、大阪府泉北郡、和歌山県(以上は「ひどく」、「強く」の意味)。福島県、千葉県君津郡、伊豆大島、山梨県、愛知県知多郡、三重県、和歌山県、鳥取県、島根県、愛媛県(以上は「おびただしく」、「たくさん」の意味)。以上のようになる。これを見ると、大分県を除く九州と北海道以外はほぼ全国を網羅することになる。ただし、色濃く出てくるのは、やはり山陰と四国、そして三重、和歌山である。このように、愛媛のみで伝わっている方言というわけではなく、分布は全国に見られ、おそらく室町時代以降、全国各地に伝播したものと思われる。
 なお、「がいに」を「はなはだしい」という意味ではなく、「それほど」とか「全く」といった真逆の意味で使っている地域もある。それは岩手県釜石、福島県、群馬県吾妻郡、静岡県榛原郡、石川県、福井県である。この地域も含めてみれば、「がいな」という方言が伝わっていない都道府県は、北海道、茨城、東京(伊豆大島を除く)、神奈川、新潟、長野、岐阜、滋賀、福井、奈良、山口、そして大分を除く九州・沖縄のみとなる。以上がおおまかな方言「がいな」の概要である。

 ちなみに、この「がいな」。今でも八幡浜など愛媛県南予地方では若い人でも使う。この私も「今日はがいにひやいな~」(とってもさむいですねの意味)という具合に使っている。生きた方言である。


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方言 だんだん

2010年12月12日 | 口頭伝承
今日は広島の放送局からの問い合わせ。ドラマ「坂の上の雲」を見た方が愛媛の方言「だんだん」や「がいな」を聞いて、なぜ山陰方言が愛媛にもあるのか?という内容。この質問は昨年から各方面から何件も受けているし、ドラマ制作段階でNHKからも方言考証として多くの資料を提出したこともあり、すぐに対応できた。「だんだん」については、既に私が『民俗の知恵―愛媛八幡浜民俗誌―』(創風社出版)142~144頁で由来や分布を紹介しており、この文章で大抵は問題が解決できるはずである。「だんだん」は天明年間には京都で始まった言葉で、その後に北陸や山陰、四国、九州に伝播したもので、方言周圏論で説明可能なものだとも解説した。この「だんだん京都発生説」を紹介して数年経つが、最近、「『だんだん』は京都の遊郭に遊びに行った地方人が伝えて帰ってきたらしい」という話が聞こえてきた。私はこの話を聞いて、方言「だんだん」の伝播が誤解されて伝わっていることを危惧した。方言は時間をかけて徐々に中央から地方に伝わったからこそ多くの人々が使っているのであって、遊郭に遊びに行った地方人が伝えたというのは、説明としては面白いかもしれないが、納得はできない。自分が書いたものが別の方向で流布しているのを聞いて、少しだけ驚いた。


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愛媛の珍しい地名

2010年12月07日 | 口頭伝承
山梨の西広門田を紹介したので、愛媛の地名も出しておこう。

宇和島市三間町にある「土居仲」。

「どいなか」と読みます。

いなかはいなかですが、幹線道路沿いでもあって、

究極のいなかというわけではありません。


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大洲のしいたけ

2010年11月29日 | 口頭伝承
もう一つ、大洲の食文化について。

大洲で非常に盛んなしいたけ栽培。

写真は「しいたけフェスタ2010in大洲」での、しいたけバベキュー。

肉を食べているのと変わらないほどの厚み、歯ごたえ。

大洲のしいたけは、実に美味い。




愛媛はしいたけ生産量は全国でも上位を占める。

近年の数字は手元にないが、

昭和56(1981)年には、大分、宮崎に次ぐ生産地で、

全国の9.4%を占めていた。

このしいたけ栽培は、戦前から盛んだったというわけではない。

大分、宮崎は戦前から盛んだったが、

愛媛では昭和40年代に入って急速に生産が拡大している。

県内では特に大洲市など肱川流域が盛んである。

昭和30年代のエネルギー革命で薪炭林の需要低下で、

それがしいたけ栽培へと転換し、

地元の森林組合、農協の共販体制で安定した販路を確保したことで

大洲のしいたけが発展したといえる。




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童謡「里の秋」

2010年11月26日 | 口頭伝承
小学校低学年の娘が学校で習った「里の秋」を歌ってくれた。

静かな 静かな 里の秋
お背戸に木の実の
落ちる夜は
ああ 母さんと
ただ二人
栗の実煮てます
いろりばた


この1番の歌詞は知っていたが、次の2番は知らなかった。


あかるい あかるい 星の空
鳴き鳴き夜鴨の
わたる夜は
ああ 父さんの
あの笑顔
栗の実たべては
思い出す


母と二人で栗を食べていたのは父と別離していたためだと、改めて気づく。

そして、娘は「音楽ファイルには歌詞は載っていないが、3番もあって、先生に教えてもらった」という。その歌詞には驚いた。

さよなら さよなら 椰子の島
おふねにゆられて
帰られる
ああ 父さんよ
ごぶじでと
今夜も母さんと
祈ります


椰子の島(南洋)から船で無事に帰って来ることを祈る。これは戦地からの復員のことではないか。

1番だけだと牧歌的な秋の情景を思い浮かべるが、2番、3番を聞くと戦中、戦後の引き裂かれた家族の現実を目の当たりにする。

この歌は作詞は斎藤信夫、作曲は海沼實。昭和20年にラジオ「外地引揚同胞激励の午後」という番組で童謡歌手川田正子が歌い、翌年からラジオ番組「復員だより」の曲として使われ、昭和23年に日本コロムビアよりSPレコードが発売された。

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西広門田�

2010年11月21日 | 口頭伝承
今、道後行きの高速バスの中。今日もひめぎんホールでの高文祭に参加します。

さて、先週、山梨県に行った際の難読地名「西広門田」。これが何故「かわだ」と読むのか、『角川日本地名大辞典 山梨県』と平凡社の『山梨県の地名』を図書館で確認してみた。角川には「古くは川田・河田・広門田と書き、広は訓でカハラ、門田は和歌などでタと詠んだことから『かわだ』となったといわれる」。平凡社には「かつて当地には東西の広門田があって重川の水害により東村が流出、西村のみが残って現地名の西広門田となったとの説がある」と紹介されている。また、天正10(1582)年徳川家印判状写には「河田」、翌11年の徳川家康印判状写では「広門田」とあり、慶長7(1602)年の休息山立正寺門徒連判状には「川田」、慶長古高帳には「西河田」、延宝8(1680)年「牛奥山手目録」には「広門田」と出てくる(平凡社より)。

少なくとも16世紀後半には「かわだ」を「広門田」と表記しており、東村と対比させるために「西」を加えて「西広門田」となったようである。

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山梨の珍地名「西広門田」

2010年11月15日 | 口頭伝承
甲州市の塩山駅まで車に乗せてもらったが、「西広門田」という交差点を通った。

この地名は何と読むだろう。

「にしひろもんた」か?いや違う。

標識には漢字の下「Kawada」と書いてある。

わけがわからない。

なんと、この「西広門田」は「かわだ」というそうだ。

漢字4文字なのに、ひらがな読みだと3文字?

どう頭の中をめぐらせても解釈できない。

角川か平凡社の地名辞典で確認してみたいが、

今手元にないので図書館に行った際に調べてみたい。




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おーいちにのさんよいど

2010年10月17日 | 口頭伝承
今年も幼稚園や小学校の運動会が終わった。

毎回、運動会、特に綱引き競技を見ていると
心にひっかかることがある。

綱引きの掛け声のことだ。

「オーエス、オーエス」

これが、今の掛け声。

自分が子供の頃の掛け声は「オーエス」ではなかった。
「オーエス」の存在は知っていたが、他所のもので、
自分達の掛け声ではない、という認識だった。

自分達の掛け声は、

「オーイチニノサンヨイド」

だったような記憶がある。

これを周囲の人に言っても、
なぜか笑われてしまう。

はて?この掛け声は、どの範囲まで通用するのか?



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愛媛の巨人伝説メモ②

2010年04月25日 | 口頭伝承


宇和の堂所山の「オオヒトの足跡石」は、実は西予市民はほとんど知らない。宇和の巨人伝説といえば、歯長峠の方が格段に有名である。この歯長峠の巨人伝説は、足利又太郎忠綱が源氏に追われてこの地に居住する。力は百人力で、声は十里に及び、歯の長さは1寸。この歯の長さから「歯長峠」と名前がついた、という伝説である。もとは、江戸時代編纂の『宇和旧記』に足利(田原)忠綱の記述が伊賀ノ上村の項にあり「是末代無雙勇士也、三事越人也、所謂、一、其力対百人也、二、其聲響十里、三、其歯一寸也云々」と巨人の様子が紹介されている。しかし最後の「云々」というのがひっかかる。そう、実はこの文章はある文献の「引用」なのだ。その文献とは「吾妻鏡」。治承5年閏2月25日条に同じ記述があるのだ。ということは、歯長峠その場所の伝説として巨人の様子が具体的に筆記されたのではなく、「吾妻鏡」の記述・知識がもとにあって、それを引用し、後に現地の巨人伝説として語られるようになったのである。このこともあって、某放送局の問い合わせには歯長峠の巨人伝説も興味深いが、堂所山の「オオヒトの足跡石」の方にリアリティがあると判断した次第。実際、オオヒトの足跡石からは、佐田岬半島・九州方面がよく見える。そして金山出石寺も見えるということで、足跡ができた理由とされる言い伝えに出てくる場所がすべて眺望できる位置にある。見えるからこそ、そこで語られたのだということが実感できた。さて、巨人のことを「オオヒト」と呼ぶが、漢字で表記すれば「大人」。これは東日本の巨人伝説「ダイダラボッチ」と関係があると言えなくもない。柳田国男によれば、ダイダラとは大きな太郎の意味で、ボッチは法師。つまり、大・太郎・法師というわけで、西日本のオオヒト=大・人と意味は似通っている。こんな巨人伝説は、全国各地にあるが、愛媛にもいろんなところにある。宇和でも堂所山、歯長峠、そして法華津峠にもあるらしいとの話を伝聞している。最後に、今回、某放送局の番組で放送されることになって、視聴者は現地を見たいという衝動にかられるかもしれないが、堂所山のオオヒトの足跡石は普通乗用車は避けた方がいいし、実際、放送局の車は最後、道を通ることができなかった。しかも、車を降りてから歩きが大変。これからの季節、草木が茂って、歩行困難。私が現地に行った際には、地元の方々が草刈機・鎌で道を作りながらの強行突破。お一人での現地散策は、まずお勧めできません。

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愛媛の巨人伝説メモ①

2010年04月24日 | 口頭伝承


すべては『宇和町誌』の記述が始まりだった。平成19年に愛媛県歴史文化博物館の企画展「異界・妖怪大博覧会」の開催準備の際に、私は愛媛県内各地の怪異伝説に関連する史跡を写真撮影していたわけであるが、『宇和町誌』1185頁に「大人様の足跡石」という項目があり、「山田の堂所山中に人の足形のついた岩石がある。里人はこの足跡のついた岩石をオオビトサマの足跡石と称している。この足跡は大人が谷をまたいで歩いた時、または、出石寺の仏様と山田薬師様が長い棒で荷物をかついだときについたものだという」。この記述を見て、地元である宇和町石城地区の方々にこの「足跡石」がどこにあるか聞いてみた。近年、その足跡石を見たわけではないが、昭和20年代には薪を取りに行く際に堂所山を登る途中に大きな足跡のついた岩があり、「オオヒトの足跡」と呼んでいたという。もう亡くなった老人の話では「オオヒトが九州へ飛んで行ったときにできた足跡」ともいい、「岩木の山からまたいできたときの足跡だ」ともいう。平成19年に一度、地元の方と堂所山に登って、その足跡石を探してみたが、結局、見つからなかった。そして3年が経ったつい先日のこと、「オオヒトの足跡の場所がわかった」との連絡があった。それは実際に行かねばならぬ。ということで、すぐに堂所山に登った次第。今回は、平成14年に足跡石を実際に見たという他の方も同行していただき、場所を確認。確かに「足跡石」と呼ばれる大きな岩にはたどり着いた。しかし岩の表面は草・土で覆われていてオオヒトの足跡はその大岩のどの部分にあるのか、確定できなかった。そして、運が良いのか悪いのか、時を同じくして四国内の様々な謎を解き明かすという番組を作っている某放送局から、愛媛県内の「謎」・「不思議」についての問い合わせがあり、この「足跡石」について話すと、番組で取り上げたいという。あれよ、あれよと取材を受けることになり、足跡石の表面の草・土を除く作業の際にテレビカメラが入ることに。結局、天候の都合もあり、当日、現地での作業・放送局の撮影は1時間だけであった。残念ながら、その限られた時間では足跡は確定できなかった。一応、足跡とおぼしきくぼみはあったのだが、昭和20年代に見たという方の証言では「もっとくっきりしていた」ということで、違うということになった。しかし、平成14年に見たという方の話では、そのくぼみが足跡ではないかという。結局は不確定。ただし、その大きな岩が足跡石であることは間違いなく、その場所を確認できただけでも収穫だった。テレビ的には「残念」ということになったのかもしれないが。このテレビ放映は、5月14日(金)20:00~20:43にNHK「四国なぞ解き行脚」。四国4県で流れるらしい。

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妖怪とパワースポット

2010年02月25日 | 口頭伝承
先日、ある出版社から携帯に電話がかかってきた。家でゆっくり休んでいたので、急な電話で少々驚いた。電話の内容は、パワースポットを教えて欲しいという問い合わせ。私が以前、妖怪の展示を担当していたため、問い合わせてきたようだ。

そもそも、パワースポットとはどういうものか、定義がはっきりしない。昨今、マスコミで取り上げられているのを見るが・・・。問い返すと、愛媛で強烈な御利益や霊験があるものを探しているという。しかも、妖怪に関するパワースポットも探しているとのこと。

神仏に御利益を求めるのはよく聞くが、妖怪に御利益・霊験を求めるとは、こはいかに?

自分ではこの問いがよく咀嚼できす、即答できなかった。鳥取境港の妖怪神社くらいしか思い浮かばなかったのだ。

妖怪に御利益を求めるのは、本来の怪異伝承のリアリティからは程遠く、何やら消費社会での新たな妖怪像の一形態?

信心、信仰心とも無縁に感じられるパワースポットと御利益と妖怪という連関。神仏を「畏れ」、妖怪を「怖れ」るというような人間の畏怖の対象として、神仏と妖怪を等距離に感じるものではなく、「自分に利益をもたらす」前提で存在する、という意味で神仏・妖怪を一括りにしている。

パワースポットに出向いて、パワーを得る?それにしても、テレビを見ただけの感想だが、報謝は、おそらく若干の賽銭?長時間、行列に並んで参詣・参拝し、パワーを得ることを強制祈願するには、ちょっと身勝手なような気もする。これも一種の消費社会的ツーリズムなのか?

今回の問い合わせ、少しばかり困惑しました。妖怪にそこまで求めるのは酷?自分の中でいろんな「違和感」が交錯しています。

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事起こし

2009年10月28日 | 口頭伝承
先日、夜中に町内の飲み屋さんで静かに飲んでいて、店内にいた見知らぬ元気な(酔った?)おばちゃんに言われた台詞「兄ちゃん、ずんだまりのことおこしやな~」。

いやいや、静かに飲んでいただけで、事は起こしていません。

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はげちゃびん

2009年10月21日 | 口頭伝承
秋は抜け毛の季節。かく言う私も、長年連れ添った頭髪たちが、徐々に別れを告げて去っていく。抜け毛を実感する今日このごろ。嗚呼、20年前が懐かしい。

そんな話を家族としていたら「まだ、はげちゃびんやないけん大丈夫!」と、なぐさめにもならない一言。「まだ」ということは、いずれ私は「はげちゃびん」ということではないか!

そもそも「はげ(禿)」は、「剥げる」が名詞化したもの。調べてみたら中世の辞書である文明本「節用集」に「ハゲ 無髪也」と、バッチリ、簡潔な説明がある。

じゃあ「はげちゃびん」は?というと、漢字で書くと「禿茶瓶」。頭が茶瓶のような形だからという理由だろう。この言葉は、私が幼き頃にやっていたアニメ「ハクション大魔王」の台詞から流行したものだと思っていたら、そうではないようだ。

江戸時代後期に喜田川守貞が著した大百科事典「守貞漫稿」にしっかりと紹介されている。「老父の頭の赤く禿たるを、江戸にてやかんあたま、京坂にては、はげちゃびんなど云り」

つまり「はげちゃびん」は、京都や大阪方面の言い方で、江戸では「やかんあたま」と言っていたようだ。

「やかん」よりは「ちゃびん」と呼ばれる方がまだましなような気はするが、今まだ生きながらえている私の頭髪たちが抜け去っていかないように祈るのみ。ハクション大魔王が実在するならば、この願いをかなえてほしいと思うばかり。

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方言「ねくじ」

2009年09月22日 | 口頭伝承
赤ん坊や幼児が眠くなって泣いたり、不機嫌になることを「ねくじ」というが、どうやら標準語ではないらしい。日本国語大辞典を見ると、山口県と愛媛県の方言とのこと。語源は不明。「ねくじ」の「ね」は「寝る」から来ているだろうが、「くじ」がよくわからない。「愚図る」が「ぐじ」→「くじ」になったと考えるのが説明はしやすいが、「ねぐじ」という方言がどこまで存在しているのか、手元に資料がないので、よくわからない。

「ねくじ」は、親にとっては大きな悩みの種であるが、その用語が方言であるとは認識していなかった。

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ぐうのねもでない

2009年04月25日 | 口頭伝承
今日、ある出来事で、つい「ぐうのねもでない」と口ずさんだ瞬間、それをどう表記するのか、わからなくて困惑。愛読書『日本国語大辞典』を手にした。

「ぐう」とは「呼吸がつまったり、物がのどにつかえたりして苦しい時に発する声や、苦しい状況に追い込まれて発する声を表す語」。これが「ぐう」の意であり、「寓」でも「偶」でも「宮」でもないのだ。単に音を表す語で、漢字で表記するわけではない。

というわけで「ぐうのね」の「ね」は「音(ね)」。決して「根」でも「値」でもない。

面白いのが、この「ぐう」という音を、夏目漱石が頻繁に使っている事実。
『三四郎』でも「三四郎はぐうの音も出なかった」とあるし、『坊ちゃん』でも「勘太郎は四つ目垣を半分崩して、自分の領分へ真逆様に落ちて、ぐうと云った」とある。

水を一気に飲む音も漱石は「ぐう」と表現している。『吾輩は猫である』には「硝子鉢を口へあて中の水をぐうと飲んでしまった」とある。

漱石は「ぐう」が好きだった?いや、いつも人生「ぐうの音も出ない」と悩みながら過ごしていたから頻繁に使ったのだろうか。

いずれにしても「ぐうのね」の「ぐう」は、去年の流行語、エドはるみの「グ~」ではないことは明確になった。少しスッキリ。

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