夢発電所

21世紀の新型燃料では、夢や想像力、開発・企画力、抱腹絶倒力、人間関係力などは新たなエネルギー資源として無尽蔵です。

弘前市災害訓練に参加

2010-08-20 15:14:05 | つれづれなるままに

 8月20日(金)午前十時弘前市を震度5の地震が発生したことを想定とした官民こぞっての災害訓練が行われました。
 町会の役員を担う関係から、家内と二人で参加しました。私の町会は集会所に集まって、隣の町会と一緒に公共バスに乗って会場である岩木海洋センターに向かいました。
 弘前市はもちろん、自衛隊や、消防署、NTTなども参加し、地震後の車からの救助訓練や、火災に伴う消火訓練、道路の障害物を除去する訓練、炊き出し訓練などが行われました。ヘリコプターが音を立てて旋回し、救急車や消防車がサイレンを鳴らして本番さながらの訓練でした。
 防災グッズの展示もあり、いつかこういう訓練が生きる時がくるのかと感じながら、自らの心準備もすべきかと思った次第。
 それにしても、形ばかりの訓練は否めず、障害者や高齢者など逃げ遅れた人たちの検索システムなどがないことを不思議に思っていた次第。阪神淡路の震災で、淡路島ではこの検索がうまくいったということでした。今日の訓練はそういう意味で、行政側のライフラインの確保的な要素が強かったように思います。
 最近新聞に福祉施設などが、緊急時の避難施設として登録したというニュースが掲載されましたが、障害者や高齢者の多くは体育館機能では暮らせないことを強く感じました。

いのちを託すこと

2010-08-20 08:24:25 | 創作(etude)
 いのちという
 両親のいのちよりも
 かけがえのない
娘のいのちを
 他人に託すとは
 どういうことか

 このいのちは
 娘のゆるやかな
 人生の機微を全部
 つないでいる
 大切にしてきた
 価値観と暮らし

 価値観とは
 生き方や
 精神の
 自発性
 自分を発揮可能な
 自由への許容

 自由空間は
 遠慮のいらない
 自分らしさを保てる
 抑制を感じさせない
 安らかな寝息と
 空腹感
 

 時間を
 無為に
 あるいは
 読書三昧で
 空腹も忘れて
 どう使おうと

 選択ができるとは
 自分で決められること
 自分でできないことも
 望めばかなえられること
 足りないときは
 注文がかなうこと

 いやなことは
 とことん
 雷が落ちても離さない
 すっぽんのごとき根性で
 拒み続けること
 自己主張の大切さ

 人に嫌われても
 人を嫌っても
 人を好きでたまらなくなっても
 恋をし失恋することも
 いつでも誰に遠慮なく
 大声で泣くことができる

 時には
 呑めない酒を
 口に押し込み
 嫌なことを
 全部忘れようとしたり
 反吐を撒き散らしたり

 失敗こそ
 成長の第一歩だと
 壁に書きなぐって
 ぶらり気ままな
 旅に出るのも
 人生か

 いつまでも
 親が立ち会うことには
 おのずと限界は来て
 望んでも
 それは
 かなわなくなる

 だからこそ
 託すしかないのだ
 託すには
 祈りが添えられる
 娘たちの
 平穏な日々を

 親がある日
 その姿を消しても
 そこには
 祈りだけが
 残っている
 子らの平安を

   
 

 

 
 
 

 

 


 
 
 

 

生きるとは

2010-08-19 06:07:44 | 創作(etude)
 何故私は
 生きているのだろう
 失敗をしながら
 恥をかきながら
 迷惑をかけながら
 反吐を吐きながら
 苦しい苦い酒を飲み
 いのちを
 明日に
 つなげているのだろう

 生きるとは
 辛いことが
 幸せに
 つながっているからだろうか
 それでは
 人間の幸せとは
 果たしてなんだろうか
 辛いことを
 乗り越えたあとにある
 輝く心に会えるからだろうか
 
 

ハングルメ教室 ~ クンジャン トッポギ

2010-08-18 06:49:26 | つれづれなるままに
韓国の宮廷料理 「トッポギ」は、トックという棒状の韓国の餅である。クンジャントッポギは韓国料理にしてはぜんぜん香辛料が少なく、いつも必ず使用する「コチュジャン」は使わなかった。
 
【材料】
 ①トック(韓国餅)
 ②牛肉(ソコギ)
 ③玉ねぎ(ヨンパ) 
 ④ネギ(パ)
 ⑤ニンジン(タングン)
 ⑥ニンニク(マヌル)
 ⑦エリンギ(ポソッ)
 ⑧エノキタケ(ポソッ)
 ⑨シイタケ

 【調味料】
 ①しょう油
 ②オリゴ糖
 ③ごま油
 ④酒
 ⑤コショウ
 ⑥水

【作り方】 
 ①トック(棒状の餅・5センチ大)をボールに入れて、水につけ置く。
  トックは一旦煮てから、水の中に入れて冷ましておく。
 ②野菜を刻む 
  1)ネギは白い部分を3センチ大に切り、青い葉の部分は千切り
  2)ニンジンは細く刻む(5センチ大)
  3)エリンギも薄く刻む
  4)玉ねぎも薄く刻んでからミキサーで粉砕しておく。
  5)牛肉にしょう油、オリゴ糖、コショウ、ごま油、酒、細かく砕いたにんにくを入    れて味付け
  6)トックに醤油、ごま油を入れて付け置く(味付けのために30分から1時間)
  7)鍋に牛肉、にんじんなどを入れて炒めにくいものから順にいためる。
  8)最後にトック(味付け汁ごと)を入れ、水をひたひたになる程度に入れて煮る。
  7)最後に味見をして調整する。
  8)盛り付けてから白ゴマをかける。

「トッポギ」は宮廷料理の場合、甘しょっぱい感じ(すき焼き風)。ご飯にかけていただくと更に美味しくいただけます。トックは日本の餅よりもやや固めで、かなり歯ざわりも違います。
 トッポギは庶民料理では、コチュジャンや唐辛子なども入れてピリ辛だそうです。 

 この日ソウル市からサンアさんのいとこで、小学校4年生(10歳)のチウン君が一人で遊びに来たということでつれて来ていました。
 はじめは少し緊張気味でしたが、日本のおもちゃや手遊びをしているうちにすっかり慣れてきました。彼は10歳ですが、ソウルの学校のホームページへ日本の様子を書き込んでお友達などに知らせているということでした。時代は確実にインターネットの次代に入っていることを感じさせられました。

 幼いうちからこうして訪日交流をすることで、日本文化や日本の庶民の生活への理解が深まっていいなと思いました。

 食後ゴウンさんに、私のハングルの学習状況を見てもらいました。書くこと、読むことはかなりできてきたので、これからは聞いて覚える、聞いて応えられるようにヒアリングに重点を置いたらとアドバイスをいただきました。
  

初めての裁判所体験

2010-08-17 09:03:11 | つれづれなるままに
 8月16日(月)
 きょうは昨日と打って変わって、気温は高いが湿度が低くて過ごしやすい気がする。それでも32℃の最高気温だから、直射日光はきつい残暑である。

 冒頭の裁判所は何故行くことになったのかといえば、隣宅が競売されるということを知ったからである。業者がこの競売物件を買う気がないかということで、我が家を訪問して来た。競売物件というからには、裁判所で詳しく調べてみようということになって、家内と出かけたという次第。これまでの人生で、幸か不幸か裁判沙汰になったことはなく、したがって裁判所にも用はなかった。
 我が家をいずれはケアホーム第二号にしたいという思いがあり、そのためには私と家内、義母の三人が暮らす家が必要となるのだが、隣のこの一件を聞いて動く気になった。 建物はまったく使用することのできない代物ではあるが、隣りあわせでもあり少し気持ちが動きかけていた。(更地にしてくれるという)
 青森地方裁判所弘前支部は市役所のそばにあり、建物の裏側には駐車場も広くあった。
 競売物件は建物一階の入って左奥に資料が設置されてあった。必要な資料は三階でコピー(サイズに関わりなく一枚10円)できる。

 購入動機の第一は隣の宅地であり、ひょっとしてリンゴ畑が含まれているかということがあった。というのもリンゴは我が家の塀越しにあり、毎年洗濯物を干していても薬かけの際には取り込まないと汚れてしまうこと。第二は道路端に建っている旧自動車整備工場の屋根雪がいつも我が家や道路に落ち、我が家で片づけを余儀なくされていることがあった。この建物がなくなれば負担が減ることもあった。
 しかしながら調査をした結果、売り地の対象の中に母屋とリンゴ畑は含まれず、隣宅の家族も引き続きこの場所から出る気がないこと。このことは我が家にとって、購入しても依然として火種は残るばかりか、遺恨に発展しかねないことも考え、現状では無理という判断を下した次第。

 通常では購入できない不動産物件が、裁判所にいくとこうして資料が閲覧でき、一般的な不動産屋で購入するよりもはるかに安く購入入札ができるというメリットがあることがわかった。そのためか若い夫婦が資料をあさるように見たり、コピーをする姿があった。
 残暑の時には図書館か裁判所のこうした時間の過ごし方もありかなと・・・。

天候異変~でも秋だ!

2010-08-16 07:01:46 | つれづれなるままに
 8月15日(日)終日蒸し暑く、そして急激な強雨を繰り返している。
 お盆も今年はちょうど13日(金)から15日(日)だった。先週の金曜日は、長女の発熱から始まった。ちょうど一週間だが、ようやく本調子に戻っている。
 昨夜は大雨が降り、目屋ダムの放水を知らせる緊急放送とサイレンが鳴った。湿度が高いのか、すこし動くと汗が出る。次女も寝苦しいのか、なかなか眠りにつけないらしい。
 それでも窓を少し開けて寝ていると、コオロギやカンタンなどの虫の音が合唱に近くなってきた。確実に秋が巡って来ていることを、虫たちが教えているのだ。暑い暑いといっても、津軽には寒さの冬がやってくる。この四季の明確なリズムの中で、私たち東北人は生かされている。その時々の感覚を大切に、五感で感じることが大切なのだろう。
 娘たちと毎週こうして再会し、お互いにふれあいの中でささやかなかぞくの温かさを感じることができること。それが以前にはなかった感覚のような気がする。有限ではあるが、行ける所まで共に楽しく生きていこう!
 

生活の質

2010-08-15 15:35:29 | つれづれなるままに
 「生活の質」をQ・O・L(quality of life)というが、生命の質とか、人生の質ともいったりする。
 人間はただ命を長らえてさえいれば幸せなのではなく、その人らしい暮らしがそこに保障されているかどうかが幸せの本質なのである。参加すること・選択すること・決定することなどがその基本要素であるが、更には失敗する自由や挑戦する自由がそこには必要なのだと思う。
 とかく障がい者の親は(いや、一般的に親は)だまって子どもにチャレンジする姿を見守ってくれる人は少ないのではないだろうか。これはまた施設職員にも当てはまるのかもしれない。管理的であることとその人の安全を守ることとは、内容的に違う要素を持っているのではないだろうか。たとえば刃物で鉛筆を削ることを見守れるかとか、自転車でひとり出かけることなどは、多少の怪我や事故はつき物である。その多くは失敗経験の中で痛みとして記憶体験する。それを乗り越えてこそ、次にその経験を活かすことができるのである。

 私の娘たちは心身に重い障害を負って生まれたが、幼いころからオムツではなく定期的なトイレ誘導をすることによって、トイレの中での排泄習慣が生まれた。オムツが汚れれば、それを教えるようにすらなった。絵本やギター、キーボード、音楽などを身近に置くことで、その楽しさを享受し、それを手にするという目的を得た。長女は自分では歩けないが、自分の両上腕だけを使って腹ばいで移動全身することを手にした。その力の源は何かといえば、彼女たちの楽しみを自分の手にしようという自身の目標と自覚である。
 
 この春からケアホーム暮らしをして、落ち着いたかに見える娘たちではあるが、週末の土曜日には帰宅している。彼女たちのそれまでの生活との違いは、彼女たち自身がよくわかったのかもしれない。長女は自宅での腹ばい移動の量を大幅に増やすようになった。そして夜中にベッドでオムツを当てて寝るのであるが、排尿などでぬれると、私の寝ている上から顔をめがけて絵本爆弾を落とすのである。私はそれまで、何でこんない私をめがけて本が落ちてくるのかわからなかったが、しばらく彼女の排尿との関係の中での伝達手段であることがわかった。伝えるという意思表示をする彼女の表情も、ケアホーム暮らしで、更に豊かになってきたように感じている。時にはうまく親が理解していない時など、ブスっとした怒り顔になっている。
 何でも彼女のために容易に手元にそろえてあげることが彼女の幸せになるわけではないことを、今更ながら33歳の長女たちから学んでいる。

Mさんからの電話

2010-08-15 06:48:20 | 私と福祉とであいの旅
 他施設入所者で、長い間の付き合いをしているMさんは40台後半の女性である。身体に障がいがあり、移動や移乗動作、排泄時など全部介助を要する。軽度の知的障害者ではあるが、会話能力もあり時々夜中に電話をかけてくる。
 彼女の眼はいつも社会に向けられていて、入所者同士の関係よりも、社会人との交流を求めている。具体的には自分の思いを聞き届けてほしいという願いが、彼女をそういう行動を取らせている。
 制度的には彼女の属する入所施設はまだ事業移行ができていないので、彼女が私の事業所を利用するのは私的利用になる。彼女は毎月一回のペースで、移送サービス(私的な)を利用してやってくる。
 彼女はパソコンを練習したいという強い希望があるが、現在の施設でそのケアを引き受けてくれないという。そのために片道30分かけて、私の施設にやって来て1時間程度交流のある社会人に手紙を書くためにパソコンに向かう。彼女はひらがなは読み書きできるが、漢字の読み書きはできない。そういう意味でのパソコン上の字句の校正が必要である。彼女はパソコンの操作はかなり上達してきたが、その操作以上に職員との会話を楽しんでいる。自分の施設スタッフは相手にしてくれないと言って、時々大泣きをしていく。 昨夜も彼女の訴えは、トイレに行きたくてナースコールをしても、なかなか来てくれないという。結果彼女は漏らしてしまったので、それが悔しくて電話をかけてきたのだ。施設長に訴えてみたらどうかというと、「お盆休みで職員がいないのだから我慢しろ」と言われたということである。
 この四月法人のケアホームができ、本来ならば彼女は既にその住人のはずなのだが、残念ながら未だにそれは実現していない。その理由は彼女に疾患が見つかって治療を要する状態であることだ。ほとんど彼女のニーズは、ケアホーム入居と同時に解消されるはずであったが、11月まで延期となっている。退所予定だった・・・と言うことではあるが、退所ではないのに、彼女は自分の部屋を出されて、現在は一般居室ではない場所においやられており、どうせ退所して行くのだからという理由できちんと対応してくれないことが多いと、電話の向こうで大泣きをする。
 一度オンブズマンに相談してみたらどうか進言すると、オンブズマンなど見たことがないという。
 彼女の訴えがどの程度まで妥当な訴え(真実か)なのかはわからないが、少なくともこうして長い期間にわたって不満を持ち続けていること事態に問題があると思う。
 課題が解決することは少ないにせよ、彼女の訴えを正面から向き合って受け止めてくれる人がいない状況こそが問題であると思う。

福祉的価値観~バイスティックの7原則

2010-08-13 07:23:16 | 福祉について
 「バイステックの7原則」とは、ケースワークでの援助関係における、援助者が修得しておくべき7つの基本原則です。
 「ケースワーク (casework) とは、困難な課題、問題をもった対象者(クライエント)が主体的に生活できるように支援、援助していく個人や家族といった個別に対する社会福祉援助技術のこと」(Wikiedia)です。

1.クライエントを個人として捉える(個別化)
2.クライエントの感情表現を大切にする(意図的な感情の表出)
3.援助者は自分の感情を自覚して吟味する(統制された情緒的関与)
4.受けとめる(受容)
5.クライエントを一方的に非難しない(非審判的態度)
6.クライエントの自己決定を促して尊重する(クライエントの自己決定)
7.秘密を保持して信頼感を醸成する(秘密保持)

 何故こんなテーマを上げたかというと、昨今の知的障がい者やその保護者と対峙をするときのケースワーカーの視点として大切な価値観として、もう一度思い起こす必要がある。福祉専門職としてのソーシャルワーカーを生業とするのであれば、この価値観を常に念頭に置くことが重要だと考えるからである。
 支援困難なクライエント(またはその保護者)に対し、我々が基本に戻る必要のあること、それは「バイスティックの7原則」であると考える。それは「信頼関係」の構築こそがソーシャルワークの基本原則であるからだ。この原則から外れることによって、信頼関係が瓦解し、結果「対決するか」「疎外」する「ネグレクト」などにつながっていく可能性を含んでいるからである。
 我々の専門性を発揮する基本は、この視点からの出発である。

 処遇困難なクライエント(もしくは保護者)が存在したとき、われわれがいついかなる場面においても放棄すべきではない援助の視点であり価値観とする必要がある。

台風がやってくる!

2010-08-12 17:06:11 | 原ヶ平農場
 

 

 今夜は青森県を台風が通過します。今年初めての台風なので、収穫期を迎えて緊張しています。とりあえず収穫できるものは収穫しようと雨降りの中、ブルーベリーを収穫しました。そして原ヶ平農場では、心配のトウモロコシの一部を収穫しました。夢のコーンですが、初試食してとっても甘いのに感動しています。去年はカラスちゃんにかなり食べられてしまったので、今年はテグスやきらきらテープを張り巡らした効果か、カラスちゃんもあきらめ気味です。
 今年のトウモロコシの問題は、虫でした。農場では一切薬を使っていません。にんにくや唐辛子で作った「元気丸」は、葉ものだけに散布していますのでトウモロコシまで届きませんでした。安全な証拠ということで、勘弁していただくことにしています。
 台風禍がないことを祈って・・・。