夢発電所

21世紀の新型燃料では、夢や想像力、開発・企画力、抱腹絶倒力、人間関係力などは新たなエネルギー資源として無尽蔵です。

麦畑で熱く語る

2007-08-04 08:13:36 | 岩木山麓 しらとり農場日記
 8月3日(金)は朝から暑く、弘前の予想最高気温は33℃だ。車を運転していても、首筋を汗がツーッと伝うのが分かる。
 昨日来訪した千葉県の養護学校教諭Kさんとともに、しらとり農場を目指した。しらとり農場に着くと、オーナー夫人の実家(北海道。瀬棚町)から両親と姉妹家族の皆さん9人が到着したばかりのところだった。
 オーナー夫人の父上は草柳大蔵風のインテリジェンスを感じる紳士で、語り口も学者然とした落ち着いた知性を感じさせた。北海道で酪農などを通じて農業の学校を実践してきた偉人の一人だという。このしらとり農場のオーナーも20歳のころ、農業に憧れそして悩んで、氏を訪問したという。氏は「誰でも希望している思いがあれば、それはもう半分できていることだ」と言われたという。その出会いがあって、オーナーの進むべき道への迷いが消えたと言う。多くの先人は、相談してもその困難性や問題点をのみ並べ立て、人のやる気を失せる助言?しか行なわない中にあって、氏のこの助言こそ新鮮な奥深さをもって伝わってくる。
 挨拶を終え、オーナー、Kさんは、台風に備えた建物のコーキングをして、私は麦畑に行き、麦の頭だけを採取する作業を行なった。あうんメンバーが到着して一緒にこの作業を行い、オーナーとKさんも後にこの作業に加わった。台風の余波もあってなのか、突風が吹いて麦藁が散乱していた。
 「農業は宗教かもしれない」とオーナーが言われた。私は「宮沢賢治もそうだったが、同じ宗教(価値観)をもって暮らせる人は幸せだと思うが、父との信仰の違いは永く賢治と父、そして家族の大いなる悩みとなったのではないか」と話した。そして「オーナー夫人の実家の皆さんのような、共通の価値観をもって暮らしが成り立っている家族は、幸せなことだ」と話した。さらに「孔子の之を知る者は之を好むものに如かず、之を好む者は之を楽しむ者に如かず。つまり、知る、好む、楽しむと言う3つの違いのことについて語った。新しい情報を出来るだけ多く、そして早くキャッチすることが現代社会の特徴にある。知ることに心を使い過ぎると、それに疲れてしまったり、情報量の多さに押しつぶされてしまって、それに主体的に関わって行く力がなくなってしまう。「好む」者は、つまり「やる気」を持っているので、積極性がある。情報は与えられて来るので、人を受動的にする。人間の個性というものは、何が好きかというその人の積極的な姿勢の中に現れやすい。
 孔子は「好む」の上には「楽しむ」があるという。「楽」は相手の中に入ってあるいはそれと一体化して安住することだという。これらを得て第三段階の「安らぎ」の理想像に達する」という。「好む」は積極的だが、下手をすると気負いすぎになる。「それは近所迷惑」を引き起こすことさえある。「楽しむ」はそれを超え、あくまでも積極性を失っていないが安らぎがある。そこにこそ多くの人々が自然に集まり、活動も無理なく長続きが可能となる。」そういうことを話していた。
 午後の作業を終えて、オーナーハウスで休憩をした。オーナー夫人のお母さんやお姉さん達の作っているハーブ入りパンなどをいただいた。
 自家製のソーセージのお話をしていただいている最中に、お姉さんが飼育している豚の悲しい話をされた。それは豚がいよいよされるために出荷の車に向かおうとする時、その緊張感を感じてか車に乗りたがらず、抵抗するのだという。そしてその車の荷台に乗った時、いかにもこれ以上ない悲しそうな鳴き声が耳に残るという。これから豚が今までの日常とは違う場所へ行くという中で、自然に感じる悲しみを感じるのだという。『宮沢賢治の「フランドン農学校の豚」を思い出すね』とオーナーが麦畑で言ったが、私はそれと同時に、ナチスドイツによって殺戮を目的に毒ガス室へ向かうユダヤの人々の胸中を思っていた。
 オーナー夫妻がピアノとチェロでの「カントリーロード」を奏で、その後に夫人の父親のチェロの演奏を聞いた。演奏前に父君は映画「タイタニック号」の話をした。沈み行く前の船の中で逃げ惑う乗客と、その中で最期の演奏をしようとする楽団員たち。父君は「それは事実ではないのではないだろうか」と言った。「人は本当に死の間際であんなに冷静に楽曲を演奏できるだろうか」と語った。それは自らがサイロの中で酸欠になって死を予感したときの恐怖感の中で、そう感じたことだとも語っていたのが印象的であった。
 まだまだ氏のお話を伺いたかったが、時間がそれを許さなかった。
 
 

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