晏次郎のぐうたら日記

偶にする星見(重星観賞)や鳥撮関連などの気紛れ思いつき日記
  開設 2006年12月

重星に魅せられて (壱)

2008年10月09日 23時31分04秒 | 天文ネタ

Double 今日は大雨に雷と酷い天気で、稲刈り作業は出来なかった。しかし、夕方より晴れ上がり、前回,酷評気味の書き方をした宮内BJ-100にて星空観望。幾つかの双眼鏡重星を見たが中々素晴らしい見え方であった。私はその時の気分で機材等の感想を述べる性質なので、其の時によって印象が甚だしく変る。述べたことに関しては、その辺り、汲んだ読み方が必要であるのと、又、戯言をほざいているなと受け流して頂きたい(^^;

さて、今回の話題に入りたい。 自慢では無いが、私は非常に厭き易い性格で三日坊主と云う言葉は、当に私のことを云っているようなものである。 そんな私が、天文復帰を遂げ(2003年)5年以上も星を見続けているのは重星の存在が大きく寄与しているようだ。中学生の頃から望遠鏡を使い星を見ていたが、重星を見ることは無く、惑星や星雲団のみで、その後は星雲団撮影オンリーとなり全く見ることは無かった。否、余りにも地味で面白みの無い対象で見る気にもなれなかったと云うのが本当のところである。

二十代中頃より興味の対象が天文外へ移り、天体撮影も止めてしまってから二十年後、フッと思いついて天文復帰を果した訳だが、最初はやはり天体撮影からであった。 復帰後の天体写真界はデジタルの時代で、私もデジタル一眼に依る直焦撮影で、銀塩時代には苦労しても中々大変であった対象が面白いように簡単に写り随分と夢中になった。撮影後は画像処理ソフトを使いコンポジットやトーン、レベル補正等を施し一人悦に入っていたものである。しかし、一時の興奮が冷めると同時に物足りなさが付き纏い始めた。己の撮影画像は勿論のことだが、星との関わり方に対して疑問も生じてきた。パソコン画面や印刷した星を見ても余りにも詰まらなく気分がちっとも昂揚せず物足りない。何が足りないのか・・・臨場感が全く無い!死んだ光でしかないのだ。やっぱり生きた光が欲しい! そうだ、眼視だ眼視に転向しよう。 

果して眼視は裏切る事無く、心に新鮮さと充足感を存分に与えてくれた。その後、当に貪るように星を見るようになった。(当時、主に使用していた機材が20cm、15cm、13cmニュートン鏡) 対象は惑星専門で旬のものをマンジリともせず、来る日も来る日も眺め続けた。だが、惑星も切れる時期がある。 その時期を如何しようか・・・ ネット時代の今日、実に便利なもので天文関係の某掲示板にその旨を書き込みした。即レスで、重星は如何ですか?そして、プルケリマと云う重星も紹介してくれたのである。 (このレスをくれたのは、今もお世話に為っている、小樽星の会N氏である。) 続きは又・・・(長くなったので・・・)