saratomaさんが運営されているブログ「のんきな日本人」で知ったのだが、
天木直人氏が自身のブログでこんなことを書いていたらしい。
田村で金、谷で金、ママで金、という名言を語ったやわらちゃんこと谷亮子。ママでこそ金を取ってもらいたい。
女性だけではない。私が期待する一人は柔道の石井慧だ。
一本勝ちで金メダルをとるのは格好がいいかもしれない。
しかし勝つためには組み技でも、時間稼ぎでもいい、格好悪いと批判されてもかまわない、と言い切って金メダルを取ると公言する、その覚悟がいい。
http://www.amakiblog.com/archives/2008/08/07/#001060
つまり、どんな醜態を晒しても、どんな手段を使っても目的を達成する(金メダルを獲る)という姿勢に天木氏は共感しているらしい。
私はこの感覚よくわからない。
どんな醜態を晒しても、どんな手段を使っても勝つという姿勢は柔道や剣道など「道」の精神に馴染まない。
もっといえば、日本人の精神に馴染まない。
むしろ、支那人のそれだろう。
なるほど、北京でやるオリンピックだから支那人のように戦おうということか。
他にも天木氏の記事にはツッコミたいところが沢山ある。
何でもかんでも中国を批判し、北京五輪の問題ばかりを騒ぎ立てる連中も、しばし選手達に声援を送ることに反対は出来ないはずだ。
日本の見苦しい政争も北京五輪の間は休戦だ。そんな政争は、五輪参加の選手達の活躍の前には、あまりにも卑小である。
スポーツにはいかなる批判も封じる力がある。そこには人間賛歌がある。
日本の見苦しい政争とは一体どういう意味だろう。
いま、目の前にある日中間の問題はギョーザ問題にしても尖閣列島の問題にしてもあるいはチベット問題にしても非は中国の側にある。
それを「日本の見苦しい政争」とはあたかも日本が悪いような書き方だ。
これが、元外交官の文章なのだから恐れ入る。
いや、日本にはこういう外交官ばかりだからいつも外交でバカをやるのだ。
それに、スポーツにはいかなる批判を封じる力があるというのもよくわからない。
また、天木氏は次のように書いている。
いよいよ北京五輪が明日からはじまる。(略)
なぜスポーツは素晴らしいのか。
それは虚飾のない世界だからだ。
なるほど、一見正しいことのように思える。
しかし、それはスポーツ一般を指す場合にだけ正しい。
オリンピックに限って云えば、そこに莫大な金が動き、つねに政治的である。
金に関して云えば、前IOC会長のサマランチは金まみれだったことで有名だし、
近くではソルトレイク五輪で審判の買収が行われ、不正な審判が行われている。
政治の話では前にも書いたが過去に中国は政治的な理由で七回も五輪をボイコットしている。
内、六回は台湾問題、一回はソ連のアフガニスタン侵攻が原因だ。
虚飾がないというのも怪しい。
選手の不正も挙げればきりがないほど例がある。
特に旧共産圏ではドーピングや肉体改造が平然と行われていた。
有名な旧ソ連の体操選手コマネチはモントリオール五輪当時、十四歳だったが小さくてより幼く見えた。
だから、「白い妖精」なんて呼ばれたがあれは成長を止める注射を打たれていたことによる。
ほかにも、ホルモンの打ちすぎで髭が生えた女性選手とか、
ドーピングの影響で畸形児を生んだ選手だとかこの手のエピソードはえぐいものが多い。
古代から、オリンピックは国威発揚の格好の舞台であり、国の威信を懸けた形を変えた戦争のようなものだった。
人間讃歌だとか呑気なことを言っているのは日本人など国威発揚の必要の国だけだ。
反対に国威発揚が必要な国であればあるほどオリンピックにを懸ける情熱が凄い。
いまの中国がまさにそう。
今日の開会式でも「中華人民共和国を讃える歌」を聴かせられた。
ナチスドイツが国の威信を懸けて開催したベルリン五輪でもそんな歌、唄ったかしら。
そして、スポーツ界における日本人いじめも見逃せない。
歴史を振り返ってみると日本人が得意な競技の多くは日本人に不利になるようにルールが変更されている。
古くは1956年メルボルン五輪で古川勝で金メダルを獲得したとき。
古川は五十メートル潜ったまま、いわゆる潜水泳法で優勝した。
直後、潜水泳法は禁止される。
次は長沢次郎が開発し1972年ミュンヘン五輪で田口信教に金メダルをもたらした平泳ぎのドルフィンキック泳法。
背泳では鈴木大地が取り入れたバサロ泳法。
これらの泳法で日本人が優勝するとすぐに禁止された。
スキーでは日本人がジャンプで高得点を獲るようになると、ジャンプの得点換算を低くするルール変更が行われた。
さらに、国際スキー連盟は、スキー板の長さを背の低い日本人に不利な「身長×1・46」に変更した。
世界のスポーツ界における制限や禁止はおよそ日本人がらみだと見ていい。
こういうことを云うとかならず、「考えすぎだ」とか「被害者意識が強すぎる」と云う者がある。
これこそ、お人好し日本人の典型。
腹黒い世界の連中はそんな日本人の姿をみてほくそ笑んでいることだろう。
歴史的に見て日本人はいじめられてもいじめられてもほとんど不感症でいじめが極限に達した時、キレるという性質がある。
真珠湾がいい例だが、それはまた別の話。
こういう具合だから、私はオリンピックが「平和の祭典」だとか「虚飾がない」とか到底思えない。
裏には政治とか国家とか妬みとか人間のどうしようもないドロドロした部分が見え隠れする。
五輪に夢中になっている人には水を差して申し訳ないが、天木氏のあまりにもな記事を読んで少々嫌気が差したのでついこういうことを書きたくなった次第。
悪いのは天木氏だ。
ところで、この天木氏、日刊ゲンダイを愛読しているという。
これだけでも、氏の人物像が知れるというものである。
天木直人氏が自身のブログでこんなことを書いていたらしい。
田村で金、谷で金、ママで金、という名言を語ったやわらちゃんこと谷亮子。ママでこそ金を取ってもらいたい。
女性だけではない。私が期待する一人は柔道の石井慧だ。
一本勝ちで金メダルをとるのは格好がいいかもしれない。
しかし勝つためには組み技でも、時間稼ぎでもいい、格好悪いと批判されてもかまわない、と言い切って金メダルを取ると公言する、その覚悟がいい。
http://www.amakiblog.com/archives/2008/08/07/#001060
つまり、どんな醜態を晒しても、どんな手段を使っても目的を達成する(金メダルを獲る)という姿勢に天木氏は共感しているらしい。
私はこの感覚よくわからない。
どんな醜態を晒しても、どんな手段を使っても勝つという姿勢は柔道や剣道など「道」の精神に馴染まない。
もっといえば、日本人の精神に馴染まない。
むしろ、支那人のそれだろう。
なるほど、北京でやるオリンピックだから支那人のように戦おうということか。
他にも天木氏の記事にはツッコミたいところが沢山ある。
何でもかんでも中国を批判し、北京五輪の問題ばかりを騒ぎ立てる連中も、しばし選手達に声援を送ることに反対は出来ないはずだ。
日本の見苦しい政争も北京五輪の間は休戦だ。そんな政争は、五輪参加の選手達の活躍の前には、あまりにも卑小である。
スポーツにはいかなる批判も封じる力がある。そこには人間賛歌がある。
日本の見苦しい政争とは一体どういう意味だろう。
いま、目の前にある日中間の問題はギョーザ問題にしても尖閣列島の問題にしてもあるいはチベット問題にしても非は中国の側にある。
それを「日本の見苦しい政争」とはあたかも日本が悪いような書き方だ。
これが、元外交官の文章なのだから恐れ入る。
いや、日本にはこういう外交官ばかりだからいつも外交でバカをやるのだ。
それに、スポーツにはいかなる批判を封じる力があるというのもよくわからない。
また、天木氏は次のように書いている。
いよいよ北京五輪が明日からはじまる。(略)
なぜスポーツは素晴らしいのか。
それは虚飾のない世界だからだ。
なるほど、一見正しいことのように思える。
しかし、それはスポーツ一般を指す場合にだけ正しい。
オリンピックに限って云えば、そこに莫大な金が動き、つねに政治的である。
金に関して云えば、前IOC会長のサマランチは金まみれだったことで有名だし、
近くではソルトレイク五輪で審判の買収が行われ、不正な審判が行われている。
政治の話では前にも書いたが過去に中国は政治的な理由で七回も五輪をボイコットしている。
内、六回は台湾問題、一回はソ連のアフガニスタン侵攻が原因だ。
虚飾がないというのも怪しい。
選手の不正も挙げればきりがないほど例がある。
特に旧共産圏ではドーピングや肉体改造が平然と行われていた。
有名な旧ソ連の体操選手コマネチはモントリオール五輪当時、十四歳だったが小さくてより幼く見えた。
だから、「白い妖精」なんて呼ばれたがあれは成長を止める注射を打たれていたことによる。
ほかにも、ホルモンの打ちすぎで髭が生えた女性選手とか、
ドーピングの影響で畸形児を生んだ選手だとかこの手のエピソードはえぐいものが多い。
古代から、オリンピックは国威発揚の格好の舞台であり、国の威信を懸けた形を変えた戦争のようなものだった。
人間讃歌だとか呑気なことを言っているのは日本人など国威発揚の必要の国だけだ。
反対に国威発揚が必要な国であればあるほどオリンピックにを懸ける情熱が凄い。
いまの中国がまさにそう。
今日の開会式でも「中華人民共和国を讃える歌」を聴かせられた。
ナチスドイツが国の威信を懸けて開催したベルリン五輪でもそんな歌、唄ったかしら。
そして、スポーツ界における日本人いじめも見逃せない。
歴史を振り返ってみると日本人が得意な競技の多くは日本人に不利になるようにルールが変更されている。
古くは1956年メルボルン五輪で古川勝で金メダルを獲得したとき。
古川は五十メートル潜ったまま、いわゆる潜水泳法で優勝した。
直後、潜水泳法は禁止される。
次は長沢次郎が開発し1972年ミュンヘン五輪で田口信教に金メダルをもたらした平泳ぎのドルフィンキック泳法。
背泳では鈴木大地が取り入れたバサロ泳法。
これらの泳法で日本人が優勝するとすぐに禁止された。
スキーでは日本人がジャンプで高得点を獲るようになると、ジャンプの得点換算を低くするルール変更が行われた。
さらに、国際スキー連盟は、スキー板の長さを背の低い日本人に不利な「身長×1・46」に変更した。
世界のスポーツ界における制限や禁止はおよそ日本人がらみだと見ていい。
こういうことを云うとかならず、「考えすぎだ」とか「被害者意識が強すぎる」と云う者がある。
これこそ、お人好し日本人の典型。
腹黒い世界の連中はそんな日本人の姿をみてほくそ笑んでいることだろう。
歴史的に見て日本人はいじめられてもいじめられてもほとんど不感症でいじめが極限に達した時、キレるという性質がある。
真珠湾がいい例だが、それはまた別の話。
こういう具合だから、私はオリンピックが「平和の祭典」だとか「虚飾がない」とか到底思えない。
裏には政治とか国家とか妬みとか人間のどうしようもないドロドロした部分が見え隠れする。
五輪に夢中になっている人には水を差して申し訳ないが、天木氏のあまりにもな記事を読んで少々嫌気が差したのでついこういうことを書きたくなった次第。
悪いのは天木氏だ。
ところで、この天木氏、日刊ゲンダイを愛読しているという。
これだけでも、氏の人物像が知れるというものである。
>目的を達成する(金メダルを獲る)という姿勢に天木氏は共感しているらしい。
>私はこの感覚よくわからない。
自分は、「無様に勝つぐらいなら、綺麗に負けるほうがいい」「四球で塁に進むぐらいなら、思い切って三振したほうがいい」みたいな、ある意味「お人好し」ともいえる「自滅の美学」みたいな考えは好きではありません。
それよりも「どんな手を使ってでも勝つ(もちろん、ルールの範囲内で…です)」「なりふり構わずに勝ちを狙う」構え方のほうが、遥かに共感できます。
その他に関してはおおよそ同意です。
オリンピックはスポーツの形態を借りた政治・戦争であるのは事実ですし、虚飾(ドーピング・審判買収・技法の禁止・などなど)だらけであるのも事実ですね。
そういうドロドロした場だからこそ、(ルールの範囲内で)なりふり構わずに勝ちに狙う姿勢でないと、勝ち進んでいけないのでは…と思う自分がいるのですが…。
…。
……。
………。
…っていうか、自分としては、日本が何枚メダルを取るかよりも、この大会で(薬を盛られた事による)ドーピング失格者が何人出るか、(審判買収による)疑惑の判定が何度出るか、(中国の環境汚染で)怪我人・死人が何人出るか、テロや暴動が何回起きるか…のほうが遥かに気になるんですけどね(鬼)
選手の頑張りそっちのけで、「ドロドロした汚い部分」を楽しむのが国際競技の楽しみ方…と思う自分がいたり(鬼畜)
2002年の日韓ワールドカップとかみたいな。
「道」じゃないのでどんな汚い手を使っても問題ないですよ
都筑さんの御意見、なるほどと何度も頷きながら拝見しました。
オリンピックは人間讃歌など綺麗なものではなくもともとなんでもありのドロドロした勝負事である以上、日本も業に入らば業に従えで、なにがなんでも勝ってやろうという姿勢なら私も全く共感するものです。
むしろ、今の日本に足りない部分がまさにこのキレイゴトが通じない国際社会を生き延びてゆく術だと思っています。
そして、「選手の頑張りそっちのけで、「ドロドロした汚い部分」を楽しむのが国際競技の楽しみ方」というお考えにも全く共感します。
私もそういう楽しみ方なら十分出来ます(笑)
というより、私が云いたかったことは、都筑さんが仰ったここと共通すると思います。
私は「オリンピックは虚飾などなんでもありのドロドロした部分がある」という苦い事実を無視して、やたら「人間讃歌」だとか「虚飾がない」などとキレイゴトを並べた上で石井慧の戦い方に共感を寄せる天木氏の態度がよく解りませんでした。
つまり、一方で綺麗なことを云って、一方で汚い戦い方に共感を寄せるという態度に私は違和感を覚えたわけです。
私は大前提として、オリンピックは汚いというものがあって、その上で戦い方をどうするかは好みの問題というスタンスで、私は上記のとおり、恥ずかしくない戦い方をして欲しいという立場です。
一方、都筑さんのように「いや、汚いんだから我々も汚くいきましょう」というのもありだと思うのです。
・・・ちょっと、汚いを連発しすぎましたね(笑)
あまり、汚いというと元もこもないので「五輪には結構汚い面がある」程度にとっておいてください。
以上、長文失礼しました。
今後とも、なにかありましたらお気軽に書き込みされてください。
都筑さんの書き込み、大変参考になりました。
まさにその通りだと思います。
青い胴着を着た時点で、もはや「柔道」でないことに気づくべきでした。
私はオリンピックに勝るとも劣らない程問題山積の高校野球が好きなので、あまりオリンピックには興味がありませんが、それでも日本人がメダルを取ると嬉しいですね。
私は基本的に今のオリンピックは肥大化し過ぎと思います。野球は今回で姿を消しますが、サッカーやテニス等々、他にオリンピック以上の大会を持つ競技は整理すべきでしょう。
書き込みありがとう御座います。
高校野球も色々と問題山積のようですね。
私はオリンピック以上に野球に興味がないのですが、やはり地元に近い高校は応援してしまいます。
一方、オリンピックは日本人が金メダルを獲っても「あ、そうですか」くらいのリアクションです。
戦前なら「非国民!」と罵倒されたかもしれません(笑)
どうも、国家レヴェルで盛り上がる行事が嫌いなんですね。