富山マネジメント・アカデミー

富山新聞文化センターで開講、教科書、参考書、講師陣の紹介、講座内容の紹介をいたします。

カターレ富山のJリーグ3部の最下位から浮上できるか?

2018年05月10日 | Weblog

 すでにあり得ない成績である。最初、Jリーグ2部の上位・中位からスタートしながら10年で、プロリーグの最下位に沈んだ。それで、急遽、安達新監督の就任となった。TVで就任会見を拝見したが、「魂」という言葉を使われた。またか、という思いだ。このチームは精神論では立ち直れない。精神論で激変するレベルならば苦労は要らない。何が欠けているのか?動態空間の認識力である。つまり、視界が狭すぎる。それは、1対1のボールの奪い合いに勝てる技術がないので、ゾーンでディフェンスする。持ち場を守るという固定された空間しか意識が働かない。これは、育成の仕方や戦術変更により飛躍的に改善されるものではない。同じことを繰り返し、最下位に沈んだ。集めた選手には、自ずと基礎的な能力の基準がある。アマの新庄のチームに天皇杯予選で負けている。そこに選手を補強しても、部分最適となり、チームバランスが最適化しない。日本代表の西野監督は、G大阪を強くする過程で得点力だけに部分最適を図り、失点には目をつぶり、1分間で1点をとる、すると、すぐ1点取られる、こういう戦法から強豪に仕上げていった。広島は、守りにのみ徹し、失点をしないことにのみ評価軸をおいて強豪への道を開いた。最下位だから、勝ちたいという気持ちが常に焦りをうむ。引いて0-0の引き分け第一段階の最高の評価軸におく。相手の軸となる選手には、2対1で守る。・・・というようなサッカー談義は辞めておこう。 問題の根源は、スポーツ・マネジメントの質にある。投下資本に対し、観客を集め収益を上げるには、どれだけ人件費に初期投資できるかである。この面で、後退に後退を重ね、主要なスポンサーの「投資」が衰退すると、どんどん劣化する。バスケも厳しい。野球もダメ。サッカーもアマ以下。これは、背広を着た関係者の背後にいるオーナーたちの問題でもある。 気運を失うことで、地運も失われる。郷土選手の育成という郷土愛は、スポーツ・ビジネス・マネジメントの辞典にはないコードである。

 

 



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YKKは成功の停滞を破り、成長軌道に乗った

2018年05月10日 | Weblog

2018.5.9、富山大学経済学部で、YKK㈱の亀山秀夫執行役員・人事部長による「経営学の現場」という講義をして戴いた。数年前は、YKKさんの経営は、成功の停滞がおきていると感じていた。達成感は、停滞を生む。誰にも言わなかったが、工機のエンジニアリング・マネジメントが生まれ変わったことを喜びたい。ゴールドラットの理論の説くところと対照してみると、過去は、生産工程の部分最適を無邪気に追及する機械職人の個性だけが際立つものであった。今は、ロジスティクス・マネジメントとして、トヨタ自動車には負けないレベルに達した。経営理論も、精神論と数理合理性との双方向に検証され洗練されてきた。馬駿教授が「経営学の教科書」とコメントしたが、人事制度が経営戦略と無駄なく結合し、顧客ニーズ把握→発注→原材料調達→加工→製造→搬出→納品→代金回収の一連の流れになかで、ある部門が突出するのではなく、全体最適により<総売り上げー総費用>を最大化するというシステム思考と業務への具体化がすでに完結し、あらたな成長軌道に乗ったことを意味する。ただ唯一の不確定は、流行という市場の風の変化である。YKKさんは、どの部署も、その専門性において、異業種と比較しても世界第一流に到達している。

 


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世界史における富山県政の先進:YKK史観の勧め

2018年05月10日 | Weblog

 世界史は、工業化社会への移行を通じ、その過程で、農業・農村・農民の富裕化による個人消費市場を形成できたか否かをモノサシとして分析できる。経済学・経営学は、この工業化社会の主軸である製造業の高度化を命題とする科学である。しかし、科学の全体性は、伝統社会である農業に依存する社会を工業化といかになじませるのかというトータル・マネジメントを求めている。その場合、都市をユニットに考えると、整理は簡単だが切り落としがでてくる。都市と農村とを結ぶ一つの自然的な社会有機体が抽出できる。

 富山県を論じるとき、大きな誤りを冒すのは、土木史観である。富山県の成立を土木工事の必要から説明する。90%の正しさがあろうとも、人の人生に深く切り込めない統治者の思想となる。人の心に寄り添うには、富山の農業・農村・農民の富裕化を主体として、農村工業における副業から、兼業、専業という人に即した工業化に道筋である。吉田金属工業という企業は、技術は高岡のアルミに起源し、当初は、農家の女性の家内副業から創業されている。そして、ファスナーを縫製産業という顧客に高品質、安定価格で提供する過程で、農村工業から離脱し、世界のYKKとなった。これが僕のような世界史と富山県史の双方向を研究するものにとり、富山県史のなかに世界史があると感じる所以である。このようなYKKの発展を在地の力とすれば、不二越の創業は外的な契機からの工業化を代表するものである。そして、決定的に重要なのは、製薬業の本格化である。売薬業は農村・農民の副業に起点がある。ビジネス・モデルの先進性が、相対優位を導いた。今日では、生物を原料とするバイオ製薬が、大きな可能性を切り開くことになる。そのためには、YKKの成功・成長モデルを異業種はしっかりと学びこむ必要がある。

 


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後戻りできない金正恩の政権

2018年05月10日 | Weblog

金正恩が体制の保証をアメリカに求めるのは、すでにアメリカへの脅えに他ならない。朝鮮労働党は、ロシア、中国に体制の保証を再確認したうえで、アメリカにも同様の体制保証を求めている。これは、一見、正しいようで、歴史の基本原則から離れている。体制の保証は、北朝鮮の民衆の民生と民意に依拠している。この点は、習近平の金正恩にたいする助言は正しい。実は、北朝鮮は一度も、民衆から体制保障の儀式を行っていない。武力による君臨である。従って、中国のような改革開放の経済政策に転換すれば、国内に経済的に安定した中間層が形成され、金正恩の子供に政権の世襲を正統化し、それを制度化することは不可能であろう。ただし、朝鮮戦争を能動的に終結させたとなれば、逆に、金正恩の政権の正統性は新たに付与される。韓国の場合は、政権の安定性は保障されない。恩讐の政権交代劇が繰り返される。その原因は、韓国には、李朝時代と比べ、文官官僚制度が安定してないからである。では、北朝鮮では、文官官僚制度が確立し、中国に似た官僚国家に脱皮できるか、どうかである。その判断の分かれ目は、農業生産・農村社会環境の整備が、国権が主導して合理的、効率的な安定が生まれるのか、それとも、民間の市場経済原理が実効的に優位になるか、そこが大きな評価の分かれ目となる。朝鮮労働党には、党の革命幹部として農民運動を地道に進めてきた歴史はない。中国共産党は、基本、極貧農の解放のための革命の原理ばねがある。習近平の権威と人望もそこにある。北朝鮮は、軍人が農業部門から兵士と食料を略奪するシステムを改革する契機を持っていない。銃剣の力では、経済成長の基盤となる農民の富裕化の道筋は描けない。

金正恩の時代が、仮にあと50年続くとしても、世界史の底流にある工業化社会への移行を通じた農業・農村・農民の富裕化につまずくなら、朝鮮半島の動乱は続く。金正恩の世襲政権は、後退も、前進も、双方向に自壊の危機に立たされている。


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日中関係に新時代はくるのか?

2018年05月10日 | Weblog

誰の目にも、日中関係に新時代が到来したことは明らかである。問題は、この新局面がどこまで永続するのか?そして、誰が日中関係の改善により利益を共有できるのか、という問題である。基本合意は、国際通貨基金の主要構成国としての日中の貿易通貨決済のシステムが安定したこと、これを妨げてきた両国の軍事衝突の偶発的な事件化を回避するシステムの実効化、この2点の基本的な合意は、両国が人類社会に及ぼす好ましい効果音を届けることができた。その他、過去の関係悪化の原因と諸問題をきめ細かく点検した合意内容である。過去の対立は、両国の外交の路線が「対決準備」にあった。中国は、明らかに安倍外交の孤立化を図り、日本は、アジアにおける中国の大国化・覇権を阻止する包囲網を重視したからである。これは、中国経済には不利に作用し、ある種のブレーキ現象を自覚せざるを得ない状況におかれた。しかも、中国共産党の党内では対日融和を推進すると、失脚するという「反日バネ」が作用した。これが微妙に転換したことが確信できたのは、昨年の12月である。その内容は県日中友好協会の中国文化セミナーで報告した。今回の歩み寄りの根本は、経済の障害を除くことと、環境の改善における日本側の先進経験を導入するという中国側の目標が明確であることだ。

それでは、新時代は来るのか。来るでしょう。なぜなら、日本人の新聞記者が中国語を用いて取材でき、その逆に、中国の新聞記者の日本語理解力も格段に向上している。だから、この半年で、日本の省庁と中国の国務院の関係部署とが、「同行」関係を言葉の誤解なしに実務のレベルでうまくやれるようになったからである。若い世代の成長が、新時代を呼び込んだといえる。僕を含めて過去の世代には、中国をあつかう人材は、第三流の専門性しかなかった。今の世代は、「専」は国際水準、「言」は通訳不要、確認は相互が英語ができるからだ。かくて、老兵は消えゆくのみである。


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5月9日(水)のつぶやき

2018年05月10日 | Weblog

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