富山マネジメント・アカデミー

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母子が密着する時代なのに、なぜ富山女子が流出するのか?

2018年05月08日 | Weblog

 アピタなどで観察していると、母親と娘が密着する傾向は高い。しかし、統計的には、富山女子は若い成人層の流出に歯止めがかからないそうだ。むしろ、姑と嫁との買い物客のほうが目立つ。おそらく直接原因は、職業専門学校がかなり充実してきているが、今一つ地元人気が湧かない。調理の青池学園、公務員の大原簿記などが経営努力されているが楽観はできない。この深層の歴史原因は、婆さん世代の学力観にある。死んだ家内の母は、99歳で亡くなったが、95歳くらいの時、孫が帝大に通る夢をみていた。旧制帝大への夢、これは富山では、不可能ではなかった。昭和の初期、旧制富山高校からの旧制の帝国大学への進学率の高さは群を抜いていた。南日恒太郎の受験英語が、一世風靡していたからだ。旧制富山高校の全盛期と、義母の娘時代は重なる。彼女は、高等女学校の経験がない。小学校の経歴しかない。それでも、富山では、高等女学校の定員収容率は、男子の旧制中学とあまり変わらない。我が家の女子たちの会話は、女子は女子に厳しく、男子には本音は優しすぎる。男子は、手放したくないというので甘えを許す。かくして、婆様の女子会を頂点に、富山の重層的な女子会は、本来、地元に定着するはずの学力層の女子を冷ややかに見る。男子では、製造業を受け入れる限り、信じがたいほどの学力最低層にも職業訓練の機会がある。 女子の年代別の人口構成において、統計では解けない問題がある。その境目は、富山に生きている限り「匿名性」がない、という強迫観念だ。匿名性を求めて、大都会に身を隠そうとするトレンドを遮断するのは、もはや行政技法の限界を超えている。中部高校の女子にすら、坂東真理子さんは、好かれない婆さんなのだ。旧制富山高校のような白馬の王子をならべるしか、引き留める手立てはない。匿名性のない富山社会から消えたいのが本音である。これには、地元新聞の郷土主義も、逆効果になっているようだ。


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5月7日(月)のつぶやき

2018年05月08日 | Weblog

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