富山マネジメント・アカデミー

富山新聞文化センターで開講、教科書、参考書、講師陣の紹介、講座内容の紹介をいたします。

朝鮮戦争終結・日朝国交樹立はほぼ確定

2018年05月02日 | Weblog

このブログでは、3月段階で朝鮮戦争の終結を確実視した文章を流していた。4月1日には、神戸の友人に朝鮮戦争が終結するので、それを先読みした企画を助言していた。今、安倍首相がヨルダンにおける記者会見において、過去の平壌宣言を基礎に日朝会談を開くことを発表した。安倍首相の北朝鮮への厳しい態度、慎重な情報分析からして、北朝鮮の核兵器の問題につき、アメリカが承認できる条件がほぼ煮詰まり、事前折衝がゴールに達したことを意味している。これは基本的に手詰まり感のある世界的な規模の景況感を見ると、日本には、朝鮮戦争の特需とは意味が違うが、北朝鮮への信用供与により、中国・韓国・日本の3国には、大きな変化と経済刺激を意味すると考えるのが自然である。全ての結果を見てからというのでは遅すぎる。今回は、日中、日韓、日朝の四国の関係が同時変化を起こすので、北東アジアの融和が一気に加速する。中国は、東北三省の沈滞した経済状態の打開へ、韓国は、中国との関係改善による対中貿易に再浮揚へ、さらに、北朝鮮は、経済封鎖の解除と、中国式の経済改革へと政策転換する。その場合には、金正恩の「王朝」には多くの利権が流れ込み、独裁体制の強化に繋がる。だが、民主主義も宗教的な信仰原理の一つに過ぎない。管子が述べた「衣食足りて礼節を知る」のは事実である。かと言って、朝鮮半島の経済統合が進めば、日本にとっての軍事的な脅威は減殺されない。逆に強めておかないと、国家の安全は保障されない。


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<高岡御車祭>でも、観光資源にはならない訳

2018年05月02日 | Weblog

昨日、ケーブルTVのお陰で、人込みの嫌いな僕も、ゆっくりと高岡御車祭を自宅で拝見させていただいた。こんな立派な山車があるのに、高岡の知名度が上がらないのは、なぜか?TV番組は、相本さんの素晴らしい解説のお陰で、本当にためになる番組でした。18歳のとき、京都の祇園祭りを見たときの感動に比べると、何かが足りない、何が足りないのか・・・。そうです、どこにも音曲がないのです。相本さんによると、「御車」が主役だとのこと。神社を核にして、神が宿る山車が巡行するという形式では同じなのに、何が欠落してるのか。それは、「祭り囃子」という耳で聞く要素がないことである。音では、車の車軸から出るキシミ音の違いが大事だそうであるが、それは雑音である。聞かせるために工夫された音ではない。あと、印象に残ったのは、保存会の会長が、挨拶のスピーチに「英語」を添えられたことである。それは、世界遺産に登録されたからであろうか。答礼の市長の挨拶には、「英語」添えが無かった。相本さんの解説に、もしも、英語が添えられていたら万全である。観光資源としてみた場合、「奉行」役である高岡市長は、西欧式のスーツでは興ざめである。あとは、女人禁制、これは頑固すぎる。「伝統」は墨守する要素と、「新時代」を取り組む要素とが必要だが、歴史遺産として登録されると墨守のみが自己目的化する。とくかく、リズム、メロディーのある阿波踊りでも、観光資源としては、主催者は「赤字」である。観覧席を有料にしても、そうである。だから、観光を意識しても、町起こしに利用するというツールには不向きである。まして。5月1日は、観光としては、この期間は、競争条件が厳しすぎる。保存会の会長が、挨拶のスピーチに「英語」を添え、町衆の見識の高さを示された。その立派さが、まわりの水準からみて、高く岡の上にとまると敬遠されることになり兼ねない。ともあれ、音楽性なき祭りは、無理。

 


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中国人の中国人たる自己トラップ

2018年05月02日 | Weblog

なんでも1番にならないと気が済まない。これは、世界の中心におるという快感が、虚偽意識であるとしても、漢語という言語の底流にある「平天下」思想である。孔子がすでに、「大同社会」の到来を夢見て、杏子の樹のしたで人材育成の塾を開いたのは、管子の宰相としての富国強兵策の大成功を目の当たりにした結果である。「礼」の文化のゴールに「大同」を置いたからである。今は、「孔子」*「荀子」+マルクス「共産党宣言」*シュンペーター「均衡と創造的破壊」の算式である。漢語訳された欧米の学術文献は、日本の場合、岩波書店がリードしすぎてきたが、中国の場合、商務印書館のリードにより書店にはある程度が並んでいるが、中国共産党内には、「内部」という非公開の書籍があり、非マルクスの文献も広く漢語訳されている。また、外国人による中国研究論文も、広く翻訳されている。それと、世界の少数民族の言語に通じており、それぞれ現地留学させ、外交部の通訳が扱える世界の少数民族の言語の数も、日本やアメリカの比ではない。中国語が国連の公用語なので、学びに来る発達途上の青年を10歳代から育成している。中国は、おそらく外交使節の首都への訪問数では、アメリカと変わらない。これに応対するのが、政治局常務委員である。こうして、チャイナ アズ No.1とはやし立てると謙遜はするが、まんざらでもない自負心がある。だから、「中国特色社会主義」という「中国式」には、大きな自負がかかっている。この勢いは、ほぼ、今後は20年程度は安泰であるが、個々人のレベルではチームワークが弱い。国家自尊と個人自尊とが一体化しているからだ。「ウオメン我們」か、「ウオ我」か、まだ、個人自尊が強い。それが成長の原動力であるが、そこに部分最適の答えしか出せない自己トラップがある。


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中国の高級官僚の経済・経営学の基礎学力

2018年05月02日 | Weblog

中国の場合、唯物論という哲学が、中国共産党の認識論の基礎にあるのが、強みでもあり、弱みでもある。強みは、過剰な「科学信仰」である。そのため、説明できるものは、学理として外国から導入される。まず、製造業における生産の科学は、異常ともいえるほど、「交通大学」を中心に発達している。ここでは、マルクス主義の教条は、棚上げされる。だから、経営学は「管理学」という名称で中国化されている。世界の工場といわれるだけに、生産工学は進化している。国産旅客機では、日本は敗退したが、中国では挫折していない。独自に国産戦闘機も稼働域に入っている。日本が優位な分野は極めて少なく、そこにはすでに中国から博士生として優秀な人材が送りこまれているというか、個人が自発的に伸び筋を見つけている。中国の大学は、教育効果が高く、日本式の生産管理はすでに消化ずみである。経済学に関すると、中国では「資本論研究」に特殊な努力をしないで、社会主義のよる国民経済のオペレーションの優位性をみいだしたシュムペーター学説がベース理論となっている。このような「モノ」と科学の単純信仰では、現実の人間社会の諸問題は解決できない。そこで、彼らは「中国特色」の学問を必須としている。それが、「管子」「孔子」「荀子」さらには、漢代の王充などの伝統心性の再学習である。ここへきて、古典は、現代の口語訳で容易に理解できるようになったため、指導者の講話には、古典の引用がある。個人としては、孔子をきちんと理解し、行動に生かしていないと幹部にはなれない。今や、中国の高級官僚は、人事には、告知の期間があり、予定者が告示され、その人物の就任を非とする人民からの密告が奨励されている。それを特殊に扱う国家機構が憲法に明文化されている。国民による公務員の監察権は、孫文が1906年、東京で講演したときに述べた「五権憲法論」に起源し、台湾の憲法にも存在したが、うまく機能しなかった国民の監察権に基づく。中国の憲法は、不思議にも孫文の先見性にそって改訂された。これで、台湾の憲法の良さを消した。

 


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中国の経済統計の真偽

2018年05月02日 | Weblog

ここで、中国の政府機関の発表する経済統計は、信じて良いのか?という基本的な疑問に答えることにしよう。それは、政府機関の個別の職掌と、数値目標という「経済計画」の推進度の評価が、官僚の個人能力評価となる省政府の数値を積み上げた統計は、必然、水増しや、隠しがあるので、これは判断材料にはならない。中国の経済統計において、イギリス式の税関業務を定着させるため、清王朝は、外国人税務司の制度を採用した。ここで、ロバーツ・ハートというイギリス人の総税務司の名前と、「海関」という税関の漢語表記を知らないひとは、少し黙って話を聞いて欲しい。この海関制度と業務の安定度は、近代中国の国民国家として唯一ともいえる国民経済統計の装置であり、外国貿易為替管理の基幹である。このような機縁で、中国はイギリスとの税関つながりから経済学を同期させ、実務的には、一時的に、お雇い外人で済ませた日本とは異なり、税関業務から国民経済学の知的地盤が形成される。さらに、ここに電信為替業務と近代的が銀行制度が、香港上海銀行を基軸に形成される。中国は、国家が蒋介石型から毛沢東型に変化しても、税関業務の連続性が保障されている。つまり、税関統計が他の経済指標の真偽を判定する基準となる。日本が日本銀行統計を基準に真偽判定や、指標の有効性の検証ができるが、中国では中央銀行制度が機能するのは、1980年代からである。今日、国務院のなかに国家統計局があり、そこには政権中枢の人事後退から相対的に独立した統計司がおり、信頼性の高い海関統計の速報値と、日銀短観の相当する企業からの購買力に関する速報値を利用し、中国共産党の中央の総書記は、週間単位で微妙な指数変化を読み取る技法を駆使し、外交と内政の最重要事項に対処している。統計があります、トップは年に1回しか見ません、というような国民経済機構にはなっていない。回帰方程式のパラメーターの微変化を読み取っている。現在は、これをアメリカ経済を分析する装置、日本経済を分析する装置としても活用している。世界のどの国でも、税関統計は同じカウント方式が用いられ、週間の速報値が出せるからだ。


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5月1日(火)のつぶやき

2018年05月02日 | Weblog

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