トシコロのありのままの暮らし


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日本の仲良し主義の歴史を振り返って

2020-08-04 16:04:54 | 日記
  よく1945年まで大日本帝国は続き、その後の日本国も今年まで続いてきたものだと思った。「仲よく」は非常に内向きな発想だから。人間と言うものは、個人にしろ、集団にしろ、内向きになれば、伸びないものであるから。同様に、旧ソ連も1991年までよく続いたと。


  元患者の伊藤まつさんと、島田療育園の身障園生M氏はそれぞれ、「人は気が合う人としか、仲よくできないものだ。それ以外の人と仲よくする事はきつい」と同じ事を証言していた。内、島田療育園は個室がなかったし、多磨全生園もかなりの期間、個室はなかった。そのような所で「仲よくしろ」と言われても、できるものではない。そこからも「仲よく」のおかしさが判る。それゆえ、二人は外に目を向けたから、世界が広まったわけである。

  「仲よく」にこだわった果て、障碍の有無の別なく、男性を子供扱いするようになった女性も複数見てきた。福祉会の規約書に「仲よくしなければならない」みたいに書いてあったから、そうしたわけだが、これでは恋愛関係などはできないだろう。その会は後年でも非婚者が目立つが、「仲よく」を人為的にすると自然な関係はできず、こうなるわけである。例えば、僕などの身障者にそうすれば、差別に当たるかもしれないが、その会はそうでもなかった。また、もっと基本的な事として、仲よくと友情の区別が付かなかった。それゆえ、同じ事をして仲良くする事が友人になる事だと思っていた人が多い。とは言え、人間のやりたい事は一人一人違う。次第に各自が「自分のやりたい事を無視して、仲良くする必要はない。友人作りはおかしかった」とか言い出し、会を止めていった。後年は友人という言葉も否定する例が多くなった。むしろ、自分のやりたい事をして、たたえ合う事が真の友情なのに。やりたい事は一人一人違う。それも当然。友情という言葉をはき違えていたようだ。やはり、国単位で「同じ事」を1940年前後の日本やドイツはしたわけである。ドイツはともかく、日本ファシズムの根の一つも「仲よく」だったかもしれないし、「同じ事を皆で」という、昔の僕の福祉会や身障会での経験も日本ファシズムの亡霊という面もあったと今は気が付いている。教育勅語にあった「仲よく」が日本ファシズムの根の一つだったとしてもおかしくない。今後の研究を待ちたい。

  もう一つ。「愛、あなたと二人」で恋人や夫婦が二人だけに目が行く。人情的に仕方ないが、そうすると視野や心が狭くなり、愛も発展せず、しまいにはエゴ丸出しになり、不幸な別れになるわけである。仲の良さにこだわると、逆に仲が悪くなる。皮肉だし、逆に二人で全人類、全生物に目をやると、愛や慈悲をしようとすると、幸福な夫婦になるわけであるが。戦前から日本でも離婚が本当は多かった。それは何を示しているのだろうか...。


日本の仲良し主義の歴史とその崩壊

2020-08-04 10:50:07 | 日記
   明治期に作られた教育勅語が発祥だと思われる。一牧師から「キリスト教の愛の代わりに、その言葉を教育勅語の精神支柱にした」と聞いた事がある。いかにも情感を重んずる日本的な発想である。学校を通して日本人の心の中に染み通っていった。ところが、それは気や意見が合う人にしか通じないものである。外国人には勿論、日本の中でもアイヌや琉球関係には通じないし、何より、意見や目的が違う人たちには通じない。立場が違うとか。また、意見や目的は余り違わなくても、グループを組むと、グループ内の人たちとしか付き合えなくなり、他のグループの人達には冷たくなる。そのような「矛盾・欠陥」を元々持った観念であった。国民が仲良し感覚を追及するにつれ、その矛盾が現れていった。特に、昭和初期になり、政治家たちに目立つように。各政党が足の引っ張り合いをして、政治は弱体化して、軍部に権力はとってかわった。でも、皮肉な事に、軍部も同じ事をした。陸軍と海軍は互いに冷たく、ケンカばかりしていた。特に、アジア太平洋戦争の末期、南洋のある島で、海軍は、陸軍を囮にさせ、アメリカ軍に爆撃させ、その間にアメリカ艦隊を撃沈する作戦を実行し、当然、陸軍部隊は壊滅し、それを聞いた陸軍大臣が海軍に激怒したということもあった。NHKスペシャルで少し前に放送され、僕も呆れたものである。昭和天皇がいくら陸軍と海軍の間を取り持っても、どうにもならなかったわけである。まさに「仲良し関係」の落とし穴。日本人同士でさえそうなのだから、外国とうまく付き合える訳もなく、日清戦争以来、戦争ばかりしてきた訳である。


  戦争についての反省はしたが、戦後になっても仲良くの反省はなく、小中学校の教育指導にも取り入れられた。政党間は昭和初めと変わりがないようなケンカばかり繰り広げられているし、大政党は派閥が次第にでき、仲良し主義が横行。会社も、福祉や身障者運動関係も仲良し視主義。「内は情愛を濃く、外には冷たく・無関心」。世間の動きにも無関心になったため、雪印や東芝は売れない商品ばかり作るようになり、潰れていった。身障運動や福祉関係も度々話している通りである。特に、仲良し主義は地方において強い。都会は経済性重視の面も強く、「仲良し主義を都会にもってくれば、経済性第一の矛盾は解決する」と主張した福祉団体もあったわけである。また、新左翼や右翼もその体質には違いなかった。(因みに、スターリンの時に教育勅語を旧ソ連は拝借し、教育に利用。潰れるまで、旧ソ連は日本と非常に似た社会になっていたわけである)。

  さて、コロナ。「三密の禁止」、「他人に対してのウィルス保持の疑心暗鬼」。この半年の間で、教育勅語以来、続いた仲良し主義はすでに消滅したと僕は見ている。仲良しの象徴だった地方の市民病院や葬式、カラオケの場から集団感染の起きた地方は特にショックでもあったに違いない。また、都会にある経済第一主義も滅びつつある。今は「今までの価値観が崩れる」段階だが、やがては別の価値観が人々の間から湧き上がるに違いないと見ている。願わくば、それは人類愛的な広い思想であってほしい。明治以来の日本の歴史を見ても、「内向きはもうたくさん」と思うわけだが。因みに、ルター派や無教会主義の伝道師やクリスチャンからは「仲良しと愛は根本的に違う。仲良しはエゴに過ぎない」という話をよく聞いたし、仏教関係の多くの本を見ても、仏教の慈悲や菩薩愛は仲良しとは違う事もよく判るわけです。