トシコロのありのままの暮らし


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連帯を欠く差別

2020-08-23 15:34:13 | 日記
  80年代。教会関係で行った長野の知的障碍者施設の僕の書いた報告書。神学校を卒業したばかりの若い伝道師。当時の言葉で「精神薄弱という面ばかりが強調されている。そうではなく、『同じ人間』という視点が必要。神の下の同じ人間という意識が。また、人間関係は横中心でないといけない。連帯しないと。でも、この教派は連帯を欠いている。だから、トラブルとか孤独感になる。イエス・キリストは連帯を説いた」と手紙に書いてありました。連帯できないその教派を嘆きつつ、早くに病気なり、40歳の若さで天国に行ったわけです。
  キリスト教の愛は連帯愛なのか。判りません。教派によっても、一つ一つ違う。愛の解釈も無数にありますからね。他の教派の解釈を「インチキだ」と決めつける例も非常に多いし。「インチキだ」からは何の連帯もできません。
  以上はともかく、思い出し、当時の僕の知的障碍者への見方もおかしかった事を再発見する訳です。連帯の事を知らなかったかから、知的障碍の面ばかり見たわけですね。まさに、僕のしていた無意識的差別。見るべきものは、他人の命です。対動植物にも言えますね。連帯なき行動や社会活動はマイナスです。例えば、僕が対ヘルパーさんに介護だけを見ても、差別に当たるわけですね。以上思い出せてよかったです。