トシコロのありのままの暮らし


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イルカのイルちゃん・その1   🐬  文芸誌に投稿した創作童話

2020-08-22 17:26:06 | 日記
イルカのイルちゃん・その1   🐬  文芸誌に投稿した創作童話

 ここは日本の小笠原諸島の近くの海。一年中、あたたかい。魚やプランクトンもたくさん泳いでいます。空には鳥もたくさん飛んでいる。その海の中のお話をこれから楽しくしていきます。

 初めまして。僕はイルです。歳は一才半。ママのミルクをやめて、お魚やプランクトンを食べ始めたところです。ぼくはいろいろなことを知るのが大好きです。海の中にもおもしろいものがたくさんあり、きれいなサンゴもあります。ママやおばさん、おねえさん、弟や妹と今はいっしょにくらしているけれど、話をするのは楽しいね。また、ときどき息をするため、海の上に出るけれど、鳥さんたちが空を飛んでいる。鳥さんとは話ができないのかな。ぼくも空を飛べたら、いいな。
 海の上と言えば、ときどき大きなものが速いスピードで通り過ぎるんだよ。この間は、おばあちゃんに「それには近付いたらいけないよ。大きな化け物だから。ぶつかると、ケガしてあぶないからね。それは人間という動物が作ったものだよ。人間はあまり泳げないから、そのようなかたいものに乗って、動いて旅をするんだよ」と言われたんだよ。そんなものを作る人間はどんな動物かな。これから魚をとって、自分で動けるようになるから、いろんなところに行けるね。

 今日の話はこれでおしまい。これから海の冒険も始まるよ。その話を楽しみにしてね。またいつか、お話しするね。
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 イルカの気持ちはイルカにしか判りませんが、それでも僕と共通の「命を持つ身」だし、遺伝子のかなりも共通しているから、科学的な視点さえあれば、書けるわけです。また、大事な点は、イルカを通して我々人間の文明、コミニティ、生き方、愛もあぶり出せると思います。これからの仕事や介護、教育などのヒントも出るかもしれません。

官僚機構も崩壊中

2020-08-22 13:43:50 | 日記
  「福祉の根本」に書いた、「通所や施設崩壊」対策を厚生労働省の役人たちが考えた形跡は日本経済新聞にも載っていない。そして、今回のコロナが感染した障碍者や高齢者の介護マニュアルも「作る動きが見られない」とあるヘルパーさんは言っていた。

ひょっとして、役人たちは以上の問題を解決する能力がないのではないか。やる気以前の問題かもしれない。コンパが多い役人の生活も勉強不足を招くし、もっと根本的な問題として、日本の大学教育。質が悪いからかもしれない。古い話だが、昔、一度だけ、旧友と東大生コンパの場に行った事がある。芸能人などの話ばかりしていた。程度が非常に低い。ビール瓶を股間に持ってきて、ふざけた真似をする人もいた。当時は男性だけだったが。酒の場だから、こうなったのか。島崎藤村著の「春」では、例えば、ドイツ語の「野ばら」を歌うものの様子が描かれている等、昔の大学生は教養が高かったのに。更に根を掘ると、大学以前は、記憶だけの受験勉強。ならば、応用能力も身に付かないではないか。

資本主義だけが崩壊しているわけでもない。官僚機構も激しく崩壊しているのである。





福祉の根本・フェイスブック投稿

2020-08-21 13:45:13 | 日記
日本の福祉の根本的な欠陥も、多くの人たちの無関心だろう。昔の児童関係の「かぎっ子」、障碍者や高齢者への介護なども行政や一部の人たちに任せて、関わろうとしない多くの人たちの姿勢であり、まさに「利己心百%」の今までの人たちの心が作り出したものである。また、関わり、福祉職やボランティアしても、根がそうならば、うまくいくわけもない。障碍者や高齢者たちへの虐待とか、すぐ止めるなど、中途半端な関わりになるわけである。利己心は消せないものである以上は、それに利他とか連帯愛を本当に付け加えなければ、解決できない。ケアされる側も、その心がなければ、介護者たちとは意志疎通できず、どうにもならなくなる。
 数年前から、施設や通所の大きなトラブルや、倒産が実は増えている。日本経済新聞にも常に載っていた。かなりが会社形式だが、それは経営が難しくなっている事を示している。又、ハンセン氏病関係含む、国立などの公営の施設でも、職員の何かの腐敗とかトラブルの事も情報が洩れている。元々秘密主義の所だけに、「漏れる」ならば、腐敗が相当深く、本来ならば、いつ潰れてもおかしくない状態だろう。
  今の施設や通所崩壊も、根ははるか前にあったこと。コロナは問題が浮き彫りにされた結果に過ぎない。コロナのせいではない。「利己心100%」の人々の心が原因。
  これから会社も、国の力も決定的に衰える。今まで通り、「利己心だけ」の人々の心ならば、高齢者、障碍者、小さい子供たちはどうにもならなくなる。また、「無関心」の多くの人たちも本当は非常に寂しく、不幸だが、その問題も解決しない。「連帯愛や利他」の心を持たないと全ての人たちが救われない。
  因みに、今までの日本の「アベノミクス」は夢に過ぎなかった。幻想と言おうか。幻想を与えた側はおかしいが、受け入れた人たちもおかしい。大体、高度経済成長時代と社会状況は日本も大きく違う。そのようなものができるわけもないでしょ。夢・幻から覚めて下さい。それも大事なことですね。

今まで「共生」が実現しなかった理由

2020-08-19 10:47:07 | 日記
簡単である。一人一人の心の中心が「エゴ=自分さえ良ければ良い」という気持ちだったからである。説明も要らない。


  1960年代の全学連とは違う感じで、僕の世代も共生を模索した。学生や社会人ボランティア、身障者、聴覚障碍者、精神障碍を持つX君と。その為の見聞もあってか、ハンセン氏病の多摩全生園にも行ったものだ。友情とか、仲間意識、男女愛と、共生に至るものを一つ一つ考えた。無論、善意とか。また、教会関係では、信仰心とか。でも、全部中途半端に終わった。友情や仲間を言い合った者ほど、何故か、ケンカが多く、挫折が強い。詳しくは述べられないが、結婚して、離婚の例もかなり見てきた。他にも「脳性まひと脊損など、種類の違う身障者間はケンカする」という話をよく聞いたものだ。

僕はそれらからの連想から、羽仁進が言っていた「友情ほど、あてにならないものはない」という言葉も強く思ったものだ。

  ところで、「友情」は何だろう。今の日本では、単に仲良くなる事をさしているが、最近ある人に教えられた所によると「互いに利他=相手の事をひたすら想う気持ち」だと仏教では説かれているそうだ。又、新約聖書にも、イエスの言葉として「友のために命を捨てる愛ほど、大きな友情はない」とある。つまり、本来の友情は利他、又は、強い連帯意識が下敷きにあるものらしいし、仲間意識、恋愛、夫婦愛と同じである。

  ならば、僕なんかの見てきたものも友情や仲間意識でもなかったわけである。下敷きに「エゴ」があったから。その場合、いくら友情、仲間、恋愛、夫婦愛、親子愛を求めても、悪いものになる。当然だし、そのように小さい時からマスコミなどで洗脳され続けていたわけである。マスコミのなかった時も周囲の社会から。ならば、そのような者が権力を持てば、いくら純真な気持ちが最初はあっても、独裁者になるのも当然だろう。また、信仰も下敷きにエゴがあれば、自分本位の信仰になり、同じ宗教の信徒とさえ心通じないわけである。他の教派の人とはもっと合わない。僕が見た異なる教派のクリスチャンのケンカもこういうことだったようだ。


  更に言うと、1990年代からお世話になった例の中学教師の言っていた「働かざる者食うべからず」の社会構造の根も、一人一人のエゴになってくる。彼はその点もよく知っていたようだ。でも、「エゴを消す方法はない」みたいな事も言っていた。本当に消す策はないが、東日本大震災の時に気が付きかけた、強い連帯とか利他の気持ちを心の中心にすれば、共生も可能だと思う。それとエゴを一緒にさせれば、聖書にある「己の如く、隣人を愛する」になるわけである。まさに、共生。

  つまり、一人一人の心の中に、共生の心を持つ事から始めるのが解決策である。(かつては、その先生も、僕も気が付かなかったから、僕は学校を撤退したわけであったが)


1990年代の東京の小中学校の状況と、今年の社会刷新

2020-08-18 13:25:02 | 日記
1993年。かつては全生園の伊藤まつさんの所に一緒にも行った公立中学の一男性教師が手紙で「ぜひ、(身障を持つ)君に学校に来たり、生徒と交流して欲しい」と述べてきた。応じたが、理由が判らなかった。その先生は、「今の生徒は、頭が良い者ほど、『勉強して良い大学に入っても就職できない。就職して、お金をもうけてうまいもの食べてもつまらない』と言って、勉強しない。それで君が来て、生徒たちの刺激になれば良いと思う。具多的には判らないが」と述べていた。理解は僕はできなかったが、また、身障運動の挫折経験も頭にあったが、熱意に押されて行ったり、随筆文を書き送った。行く時は父が介護者で付き添ってくれた。


  その先生の以上の話だが、当時を振り返れば判る。日本はバブル崩壊後の不景気。政治も混乱。オウム真理教が色々悪さをしていた時だった。経済格差は広まり、バブル時代のご馳走を食べる事もつまらない事に多くの人たちが気が付いてきた。もう少し経つと、住専とか雪印事件も起きてくる。高度経済成長は夢だとかなりが気が付いていたが、それに代わる価値観が見出せず、閉塞感強い時代だった。その暗い状況を反映し、生徒たちも無気力になっていた訳である。とは言え、僕も高度経済成長に代わる価値観が見出せず、生徒たちに何を話せばよいかも判らず、悩んでしまい、2005年に父の他界をきっかけに止めてしまったわけだが。でも、福祉に関心を持ったり、僕を見てリハビリ師になった生徒もいて、行って良かったと思う。

  ところで、以上の90年代の状況は、オウム真理教を除けば、その後に引き継がれ、今に至っているわけである。空しいと判りつつも、高度経済成長の「夢」を求めて。経済成長した中国への輸出が、又、その後の政権が夢を許して。東日本大震災の後も。それが今は、今年はコロナきっかけに、夢が崩れ、社会が刷新されているのではないだろうか。崩れつつあるのは「高度経済成長の夢」であり、社会は刷新という言葉が当てはまる。ただし、高度経済成長に代わる価値観かまだ見えないから、崩れているように見えるだけで。人間は社会を作らないと生きていけない以上、一時的に崩れる事はあっても、崩れたままになる事はあり得ないと。

  因みに、その先生は別にマルクス主義者ではないが、「働かざる者食うべからずの社会構造=資本主義が構造的に悪い。だから、格差とか、障碍者、ハンセン氏病関係の矛盾が起きる。でも、暴力革命しても、ソ連みたいなおかしな国になるし、対策はない」と言っています。また、80年代には「校内暴力を新たな日本軍に力を向けさせる勢力が出なければ良いが」と心配もしていました。すでに学校関係は、80年代から崩れていたわけですね。今の学校の状態も、コロナのせいで狂ったわけでもないようです。根は深いです。

   以上の事も判り、学校に行って、働き掛けて良かったです。その先生にも感謝しています。